1993年生まれ、埼玉県出身の31歳。車いすバスケットボールの健常の選手です。埼玉県立大学時代、車いすバスケのサークルに入って競技を始め、健常者も出場できる「全国大学選手権」で3連覇を達成。MVPや得点王に輝きました。卒業後も看護師の仕事をしながら競技を続け、2019年から埼玉ライオンズに入団。今年、健常者も出場が可能になった、クラブ日本一決定戦で準優勝に貢献するなど、エースとして活躍しています。
◾️小学校では柔道、中学では野球、高校では空手をしていた大山選手。埼玉県立大学で車いすバスケットボールに出会った。
「たまたま大学のジムで筋トレをしていたら、そこから見える体育館で車いすバスケをしているところを見かけて。なんだこのスポーツは、っていうのが第一印象で。自分の学部の先輩に車いすバスケットボールサークルのメンバーがいて。その先輩から『君、ガタイいいね』って声をかけられて『車いすバスケやってみない?』って言われたのが最初のきっかけですね」
◾️大学2年生の頃からレギュラーになった大山選手。
「自分の大学生のときの役割としては、とにかく点を取るっていうのが自分の求められていた役割でしたね」
◾️在学中は、車いすバスケの全国大学選手権に出場して、3連覇に貢献。得点王や大会MVPにも輝き、社会人になっても競技を続けた。
「大学の先輩たちが卒業した後も、いろいろなところで車椅子バスケを続けていたっていうのもあって、自分も大学を卒業した後も車いすバスケは続けていきたいなっていう気持ちは強かったです」
◾️障がいのある選手と健常の選手が呼吸を合わせるうえで大事なことは?
「自分は障がいがないんですけど、障がいのある選手はそれぞれの障がいのレベルとか障がいの疾患とかが違う中で、これくらいのパスなら取れるとか、これくらいのパスなら出せるとか。こういうシュートは得意、こういうシュートはちょっと苦手っていうところがそれぞれの選手にありますので、そういうところをしっかりチームメイトとして把握して、普段の練習からコミュニケーション取りながらチームメイトを知ることが大事かなっていうふうに思いますね」
「自分の役割としては、学生のときは本当にこう点を取りに行くっていうところが求められていた役割なのですが、埼玉ライオンズに入団してから、現在もそうなんですけど、点を取りに行くだけではなくて。仲間を生かすプレーとか、ディフェンスに関しましてもディフェンスの中心になるようなプレイが今は求められていて。そういう役割を行っていますね」
◾️2019年から健常の選手も出場できるようになった国内最高峰の大会「天皇杯」。大山選手は、健常者が出られることに大きな意義があると考えている。
「自分が感じるところは、競技人口を増やすことで、日本国内の競技レベルの向上につながる、っていうところが大きいのかなと思います」
「自分が健常者として、クラブチームに入団して天皇杯に出るようになった当初に比べたら、自分の後輩たちに当たるような選手たちもクラブチームに入って。で、いろんな大会に出て。もちろん天皇杯に出る選手もいたりとか。かなり健常者の参加される人数は増えてるのかなっていうふうに思いますね」
◾️大山選手が初めて出場した、2019年5月の天皇杯。車いすバスケ日本代表クラスの選手と真剣勝負をするのは、貴重な経験になった。
「やはり皆さんどのチームを天皇杯優勝っていうのを1番の目標にプレイをしているので、選手1人1人もそうですし、チームとしてももうそこに標準を合わせてるので、長谷川杯よりもより強度が高い、もう厳しい試合になってましたね」
「自分に対するマークっていうのはすごい強く感じていて。まあ、自分自身もそこをどうかいくぐっていけばいいのかとか、自分をおとりにしてどう仲間をと合わせていけばいいのか。っていうところを常に模索しながら戦ってましたね」
◾️決勝に進出した埼玉ライオンズは、このとき天皇杯10連覇中だった強敵・宮城MAXと対戦。大山選手は、日本代表のエースでもあった藤本怜央選手とのマッチアップも経験した。
「天皇杯での決勝では、自分が車いすバスケを始めたときから、日本代表のエースとして活躍してる藤本選手と実際にマッチアップしてみて、正直、もう1つ1つのプレーのレベルの違いっていうのを強く感じさせられましたね」
「例えばなのですが、シュート1つ1つにとってもその精度の差とか、ディフェンスでも相手にとって脅威となるディフェンスのポイッショニングとか、あと、試合を全体を通しての判断力、切り替えの速さっていうところを、もう全体的に何枚も上、格上っていう感じがしましたね」
◾️車いすバスケは、東京パラリンピックがテレビ中継されたことで注目度も大きくアップ。天皇杯の観客も大幅に増えた。
「私自身としてもすごい応援してくれる方も増えて。で、天皇杯でも会場ですごい観客の方がたくさん入ってくれて、全体として盛り上がっているなっていうのは強く感じますね」
「競技としての知名度は、それこそ自分が車いすバスケを始めた当初に比べたら、もう今の知名度っていうのはほんとにすごいと思いますね」
◾️車いすバスケに取り組むモチベーションを、大山選手はどう保っているのだろうか。
「自分は国内で出られる大会に出て、そこで優勝目指すっていうのをモチベーションにやってますね」
「1つのスポーツとして、休日に例えばゴルフをしたりとか野球をしたりっていうのと同じように、1つのアクティビティとかスポーツとして、車いすバスケを楽しまれてる方もいっぱいいらっしゃいますね」
「パラリンピック競技じゃなくて、もうスポーツとしてオリンピック競技になればいいねっていう風に、自分自身も天皇杯終わった後とか、こう競い合ったライバルチームのかたから言われたりとか声をかけられたりしていく中で『そうか、1つのスポーツとして成り立てば、もう障がい者スポーツのパラリンピックじゃなくて、オリンピックとしても可能性はあるんだなっていう時に、そのとき気づかされましたね」
◾️競技者として、大山選手のこれからの目標は?
「もちろん天皇杯優勝っていうところを目指しているのもありますし、個人としてはやはり日本で1番強いって言われるプレイヤーにはなりたいなっていう風には思っております」
「チームの中でもベテランの域になっているので、チームを引っ張りつつも若手たちが活躍できればとか、生き生きプレイできる場を作りたいなというふうには思っております」
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