高田文夫のおもひでコロコロ

2026.01.12

第149回『ハガキ職人』

暮・正月ジタバタしてる間に1月も10日過ぎた。本年もよろしく。
私からの年賀状。
「ジュリーもチャールズ国王もピーマンも今年で78才。皆な、あいにく元気です。」
と書いてある。
こんなに面白いことに気が回る77才、他に居ないでしょ。一生現役。ラジオ界のキング・カズである。
少しは敬えよ。リスペクトが足りないんだよ。

永六輔は言った。
「現場へ足を運びなさい。
人と かかわりなさい。
そこで得たものを スタジオへ持ち帰り 整理して人に伝えなさい。
それが放送の作家」
まったく その通り。
私は この言葉を守って 弟子のようなものとして動いている。
オールドメディアと言われようが 私はラジオがテレビが活字がライブが好きだ。
スマホってなに?

永六輔人形である。
ラジオの上に印半纏(しるしばんてん)の永。胸には「火の用心」。
格好いい。粋な形。下には刺子(さしこ)。
消防や柔道着に用いる。
江戸の人として申し分なし。
「火事とケンカは江戸の華」である。

テレビができた頃、おっちょこちょいなインテリ江戸っ子がやり出した仕事が「放送作家」。
青島幸男しかり 永六輔しかり 大橋巨泉しかり・・・・・。田舎者は井上ひさしだけだった。
我らの時代も 高平哲郎、景山民夫、私。みんな純粋な東京っ子の道楽者。町の文化。
田舎者は喰始だけだった。

ジャーン、我らが談志が60年ぶりに帰ってきた。29才にして衝撃の書を出版。
「芸界のバイブル」が60年たって ついに初めての文庫化。
書いた談志が29才、読んだ私が17才の時の話題作。
下は書店に立っているポップ。

 

師匠が書いた60年後に弟子の志らくが書いた「現代お笑い論」。
トムブラウンが大――――好き。

トムブラウンとランジャタイに対抗するには 浪曲の玉川太福しかない。
超々大入りだった末広亭伝説が まただ。
玉川太福・新宿末広亭(1/21~30)
1月下席  夜の部・主任(トリ)
いやぁ~~~なにしろ熱気がすごい。
圧巻。行ってやってくれい。

もっと熱い男が一人。芸能界広しといえどもオリックスファンは多分この男だけ。
とうとう「ますだおかだ」の岡田圭右とオリックスが ドキュメント映画になった。
どこで見たらいいのか分からないと思うが 探してみて下さい。関西方面なら見やすいみたいです。

久しぶりに「ビバリー昼ズ」で岡田と会ったら呼吸もピッタリ。
「そりゃそうだよ。伝説の“GAHAHAキング”でオレが審査員で 最初に爆笑問題を復活のチャンピオンにして、2代目が“ますだおかだ”だもんな」と言ったら
「なに云うてますの。僕らデビュー1年目で大阪のABC新人漫才コンクールで優勝して その時からも高田センセ ずーっと審査員だったじゃないですか」だと。
忘れてた。1年目から目をつけてたんだ。
あの頃は どこからも審査員を頼まれてて ウラでは「職業・審査員」だった。
M-1が始まる ずっとずっと前の話である。
もっと古くはフジTV 1月3日に生で毎年やっていた「放送演芸大賞」も最年少の審査員だった。
大阪のスタジオには藤本義一ら20名の作家。東京のスタジオには塚田茂、矢野誠一ら20名の作家。
大賞「柳家小さん」やら「古今亭志ん朝」、新人賞「明石家さんま」なんて選んでいた。
その後「ツービート」が毎年つっ走り、「タモリ」の出現で「演芸」の線引きがむずかしくなり、この番組は消えた。

私の知り合い達からの告知
私が名付け親<元祖在宅記者>渡辺寧久が書いた「落語家になるには」(どこで売ってるのか分らない)。
右の三人の会のチラシは 何処へ行けば見れるのか分らない。どうやら静岡らしい。
松村邦洋、山田雅人、立川志らら。

ラジオ好きにはたまらない漫画「さむわんへるつ」。売れに売れて現在品薄。
深夜ラジオ   昔でいう「ハガキ職人」の現代版。熱くなるネ。
漫画の中の大喜利のネタなど 下手な放送作家より全然うまい。
ちなみに「ハガキ職人」なる言葉、私が「たけしのANN」で広めた。
最初に言い出したのは国士舘大学の「ベン村さ来」。こういうことは時代の証言者がハッキリ記しておかねば。
たしか当時  たけしの映画の役名が「ベン村木」 私が当時初めてCMに出たのが「居酒屋村さ来」 そこからつけたRN。
「一気一気」と はやらせたが二年後とんねるずが「一気」を出して大ブレーク。一気飲みブームである。
その後「村さ来」のCMは私VS小遊三とか 私VS松尾伴内などシリーズ化された。


ちなみに ほぼ元祖に近いハガキ職人は 私が高校生の時TBSの永六輔番組に出していたものが有名。
その永六輔はペンネームを使い萩本欽一のLFの「欽ドン」にネタを毎週出していた。
たしか二回しか採用されなかった。

これからも私しか知らない事を書き留めていくよ。
それが町の文化だから。
文夫が化けて「文化」。

 

1月12日

 

 

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。