高田文夫のおもひでコロコロ

2025.12.04

第147回『ほんの夢の途中』

「2週間半のごぶさたでした。玉置宏でございます。ついでに笑顔でこんにちは」
という訳でもう師走だよ。77年間、女性首相じゃないが「働いて働いて―――」大していい事もなかったかな。少しはあったか・・・。

「実は私は来生たかおが ずっと好きだった」と言ったら周りはびっくり。心の中は来生に負けない程 二枚目だ。
曲をきくと いつも若き日のようにロマンチックになれる。
詳しくは11月8日発売の「週刊ポスト」に書いたので そちらでよろしく。
50th記念ボックス(5枚入)をサイン入りで頂き11月26日のNHKホールでのコンサートへも行ってきた。
アンコールで来生は言った。
「まだ“夢の途中”です」と。そしてこの曲へ。
格好いい。
たしか私より2才下だと思うが まだ夢の途中なのだ。私の夢は・・・・・?

同じ時間、来生とは真逆のタブレット純が初アルバムで恵比寿コンサート(行くか!) 
「タブレット純 大いに歌う 中川博之 作品集」
中川とはムード歌謡をいっぱい作った作曲家なのだ。
「わたし祈ってます」「足手まとい」「ラブユー東京」「さようならは五つのひらがな」「夜の銀狐」など沢山。

私は よく志らくや一之輔、そしてクドカン、太田光らと「オール日芸寄席」をやっているが、すべての元はこの人。
日芸の大先輩であり談志の無二の親友。我らが毒蝮三太夫。
先日「ポスト」に徳光さんと蝮さんの事を書いた。するとお礼だと言ってサイン入りプロマイド風のものが届いた。
学生服(多分 中学生)で笑う謎の石井伊吉と現在の蝮さん。
このプロマイドをもらって嬉しい人は居るのだろうか。
蝮さんには いつまでも元気でいて欲しい。
なんたって同い年が談志、長嶋茂雄、歌丸、東八郎、松村邦洋の父なんだから。

「戦後80年 昭和100年」
私の心の中では決定盤と思える写真集が出た。朝日新聞のフォトアーカイブである。
あの時の日本人が ここに生き生き。
小さい頃の私も写っているような。
胸を打つ。これ1冊で1週間飲める。
「国宝」が大当たりしたお陰だろう。
神保町シアターでは「芸道物」の映画ばかり集めた。12月13日~12月26日。
「人生とんぼ返り」(1955)
森繫久彌の殺陣師段平である。
「鶴八鶴次郎」(1938)
芸に生きる男女を長谷川一夫と山田五十鈴が。
「雲右衛門とその妻」(1962)
三波春夫、魂の演技。浪曲界の話。

他にも様々上映。調べて行って下さい。
「国宝」のお陰で「芸」というものが色々考えられるようになった。

12月3日「あちこちオードリー」に出演した講談師 神田伯山が面白かったネ
落語・講談といえばコアな人がひっそり読んでいる「東京かわら版」
毎年12月号は時の芸人さんがサンタクロースの格好で表紙を飾る。
今年は なんと昇太。どこが旬なんだ?
巻頭インタビューにて「落語界」のことなど喋っている。滑舌がまだ悪いから読みづらい。
入門当時のことをきかれ
「ちょうど漫才ブーム。日本のお笑いが劇的に変わった時代だった訳。
落語が世の中にうまく対応しきれていなかったんだと思う。
あの頃、評論家なんかじゃなくてマスコミの真ん中にいて“落語は面白い”と声高に発信してくれたのは 高田文夫先生だけだったような気がする」
えらーい。こういう事はキチンと発信し伝えていかなくちゃ。
さすが昇太。落語芸術協会会長。
無駄なお城好き。松村と並ぶ「ビバリー」1番の古株。兄貴が地味。
松村が毎年出してる「大河ドラマ」シリーズ。
来年は「豊臣兄弟」らしい。
「べらぼう」を延長してくれねぇかな。
「エンタメ」「芸」を語るなら関西だったらこの人。
信用のおける戸田学である。
帯に「映画を、映画人を、映画館を語り継ぐ」とある。
「映画が娯楽の王様だった」(戸田学)
色んな事を書き残しつづけるのは 本当にありがたい。

11月21日は談志の命日。2011年のことである。
ほんの気持で実は いつもお線香を送っている。
おカミさんからきれいな字でお礼状が。
「今を生きてるのは高田さんだけ」というありがたい言葉が。そして息子の慎太郎クンからTシャツが届いた。
なんだか嬉しい。

蝮さんのプロマイドといい、慎ちゃんのTシャツといい、東京の人って やっぱりこうなんだよな。
私もあわてて「笑点カレンダー」を姉に送った。志ららは野末陳平氏をごはんにつれてった。年寄りが大好きなのだ。

 

12月5日

 

 

高田文夫

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    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。