みごと‼ 文句なし‼
これ程めでたい事は近頃あったろうか。親方稀勢の里以来8年ぶり 日本人横綱の誕生である。
ニッカン一面は13連勝で横綱を決定づけた瞬間。
歴史的な一面を書かせてもらったのは(記名がLASTに)私ではなく私の長男。
こんな日に一面を書けるとは 記者冥利に尽きる。
日頃から私が土俵で胸を貸しているからだろう。
それにしても 生涯に数回しかないチャンスの縁起ものである。
子供の頃、私がつけた「スポーツ記者養成ギブス」のお陰だろう。
かつての「長嶋4打席4三振デビュー」「大鵬横綱」以来の喜びだろう。良かった。
この節、昔の仲間に話をきくと(60代70代)どうやら働いているのは私だけらしい。
皆な悠悠自適。リタイア。好きな事だけやってる。
話を総合すると ほとんどの連中はこの「ブログ」を読んで「ラジオ」をきいてるらしい。
「高田も元気だよなぁ。この前 仙台まで行ったろ」なんて言われる。
「息子ずっと大の里書いてるなァ」
まッ連中の希望の星として 私が元気でやってるのが一番なのだろう。
「お前がすすめる本もチェックして 参考にしてるよ。本屋ぐらい歩いていけるからな。なめるなよ」
5月16日(金) この日は松村 そして「高田よ、死んでくれ」と言いかねない女優 磯山さやかと90分おバカな「ラジオビバリー昼ズ」
なんと松村の口からサッチモ誕生。びっくり。
放送後「さんぽ会」。
リーダーの高野氏(大塚のガラス屋)体調悪しで休み。急遽わたなべリーダー(赤信号ではない)となる。
「いつも東京の右半分歩いてるから わたなべがコース考えて 左半分行ってみようよ。
アウェイ感強かったから 今回は俺のホーム感で」「それは面白い」とシティ派ババちゃん。
わたなべ案でいきなり赤坂見附。
「とらや」へ。私思わず「わたなべ、オレの本籍地知ってたっけ?港区赤坂1丁目 とらやのとなり」「エ―――ッ」とびっくり。
生まれてこの方 本籍はここである。
父や祖父が居た。私の生まれは渋谷の富ヶ谷。
せっかくだからと お向かいの「豊川稲荷」へ。
豊川さんのいなり寿司 うまそうだなと思いながら進むと 何やら人影がずっとついてくる。
寺男?ガジロー? ここは寺じゃなくて神社だしな。
思い切って振り向くとなんと徳光和夫Jr.・・・・・・怪談噺なんかも書いてる。あの息子。
「なにやってんの?」「いや、松村さんと?ビバリー終わりですか? 僕、週の内4日はここへ来てるんですよ」
(よっぽどザンゲする事があるのかと口に出かかったが やめた)
ここから神宮へさしかかり 球場へ。
ヤクルトの事務所の前で胸をはだける私。
ジャー―ン、Tシャツはこの日おろしたつば九郎! 私なりの追悼である。
絵画館前。ここの木々が切られないことを祈る。
左はババちゃん(石和)。軟式球場ではヤクルトの選手達がキャッチボールを始めていた。
右はデートする二人。
松村の足許 よく見ると分るが やたらと雀が寄ってきた。
外苑をグルリと歩く。
LFの洗川アナとバッタリ。
「センセー もう昼からビールですか」
「お前はショーチューか」
「ボクは実況です!仕事です」
「前もお前に会ったな」
「五反田です。センセーが勝手に歩いてんでしょ。五反田は僕30年いるんです」
「じゃ お前の力で なんとかヤクルト勝たせてくれ」
今は「キラー通り」? 昔は「オリンピック通り」といって 月星のビルの中に私の師匠の事務所があって 10年以上ここで働きづくめだった。
角には「VAN」があったものな。
最後は原宿へ出て ウラのウラにいい居酒屋。さすが わたなべリサーチ。
5月20日(火)両国へ 大相撲五月場所
最後尾で見る私。
目をこらして土俵上をよー―く見て欲しい 大関の「大の里」である。
もう「大関」という肩書きじゃ見られないからネ。
そしてその左下の砂かぶり(例の芸人席) 今日は浪曲の玉川太福がいた。
遠隔操作でからかってやった。
ババちゃんが用意した結構なうなぎ屋で一杯。
リーダーのわたなべ「待たせたな~」とコーラを一気呑み。
マーサ三宅が亡くなった(92)
初代大橋巨泉夫人。JAZZの大家(たいか)。
昭和のいるが亡くなった(88)
のいる・こいるの「ヘーヘーホーホー しょうがない しょうがない」は数年前に亡くなった。
私の作詞、玉置浩二の作曲で「そんなもんだよ しょうがない」
名曲だけが残った。
沢竜二も亡くなった(89)
久保浩も亡くなった(78)
「霧の中の少女」は大マジで名曲。
5月22日(木) 渋谷伝承ホールにて「白酒の会」
ゲストは先日 芸術祭のなんとかを獲った活弁士・坂本頼光。
打ち上げも亡くなったマーサ三宅の話から 巨泉のホラ話に終始。
永六輔談「巨泉のボーリングも麻雀も釣りも全部インチキ。唯一凄かったのは俳句だけ。早大の学生時分から巨泉という俳号を名乗ってた」
「ビバリー」スタジオにはビビる大木、柳沢慎吾、新沼謙治らが来てくれる。
5月28日(水) 「座・高円寺」にて塙の劇団スティック第3回公演。
塙のドラマ出演を見て私が「流れるような棒読みだな」と言ったのがきっかけで始まったこの棒劇団。
3年目に入って 皆勤なのは我ながら情ない。
入口でどこかのおばちゃんがシャツをひっぱり、
「は?」「塙の母です。今お父さん呼びますから」父までやってきた。
あいさつ済ますと水森かおり飛んで来て、「今の人誰?」「塙の・・・・・・・」
「え――ッ」とあいさつに走った。
そこへ塙のSAGA兄がきたので「お前のお袋あそこいいるよ」といったら
「母ちゃ――ん」と飛んでいく。
ここは塙の法事か。
ノラちゃん、安藤なつらも前へ座り私の横に土屋。
「お前の母ちゃん来ねぇーのか」
「なんでどこの誰だか知らない奴らの芝居見なきゃいけないんですか」だと。
これには笑った。
タブレットは6月9日 浅草公会堂
志の輔らくごは7月11日~21日 本多劇場
生志と木久蔵「ブーとパー」、ゲストがこの私。
8月26日(火)渋谷伝承ホール
THE 柳沢慎吾劇場(初ライブ)
9月21日 有楽町朝日ホール
こうやってあちこち行って遊んでるように見えますが、秘かにアッとおどろく企画を考え 根まわししたり、本も一冊まとめようかとコツコツ原稿。
77才を前にして まだまだラジオ喋ったり 連載原稿書いたり、6月5日(木)には「ロケット団」のゲストに出て とんでもない話をしたり。
今週の「週刊文春」に一之輔が「70代がやたら元気だ」と書いていたが その通り。
さしたる物欲もないから 他人(ひと)と話したり「芸」を見たりしてるのが一番の道楽なのだ。
5月30日
高田文夫
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