高田文夫のおもひでコロコロ

2024.12.23

第117回『未亡人の会からボブ・サップ』

今日12月22日(日)は「雀々の会」のはずだった。
この所、毎年毎年12月の雀々の会は私がトークゲストで「チュウ チュウ マウス会」と称して ただ客前でふたりでイチャイチャするだけの下らなすぎる会だった。
私のひとまわり下のネズミ年が雀々だった。
関西人とは あまり気が合わない私だが雀々とは なじんだ。笑っても哀しそうな表情が芸人の哀しみで好きだった。
本来なら今頃 高座の上でイチャイチャしてたのに…「ほな、またな」。
私も「必死のパッチ」で生きて行く。

 

忘年会やら飲み会も多い。
下は新橋SL広場。SLがクリスマス仕様で飾られ あまりに可愛いので通りすがりの人にパシャリ撮ってもらった。
一杯飲んだ帰りSLの前へ行ったらクモの子を散らすように人が散り御覧のように人っ子一人居ない。アハハ。珍風景。

 

報告遅れました。
これが「三四郎IN武道館」の入り口です。
下が私のようなファンクラブの会員のみに渡されるチケット。

 

そして「力道山未亡人の会」が いつしか「未亡人の会」と名称も変わって芸界の極悪人達が ひっそりと「口外禁止」で集まりました。ゴシップ・スキャンダルだけが好きという とんでもない連中です。
最初は著者の細田クンと塙と一之輔と話していただけなのに3回目をむかえる今回の神保町、気がつきゃこんなに集まっていました。どうして他人(ひと)の噂って面白いのだろう。「あの芸人が!?」「あの女優が まさか」の連続で5時間オーバー。

この顔にピンときたなら110番です。
写真左手前から―――松村のようにみえるのが桃月庵白酒(師は この度の人間国宝・雲助)、
後ろにナイツ塙、その後ろが「力道山未亡人」著者の細田昌志、その後ろ出世が早いジョニ男(12月30日の朝11時~12時ニッポン放送「ジョニ男くんと文夫くん」OA)、その後ろの帽子が石和のババちゃん。
右列手前から志らら(社団法人)、その後ろが私のストーカーも仕事のひとつ「笑点」Pのキトウ、その横から順にロケット団三浦、「あなたとハッピー」一之輔、私、テレビマンユニオン若き総務部長わたなべ、「月刊Takada」を編集した川島。川島のカミさんが凄い人で この度「“右翼”雑誌の舞台裏」を出版。いきなりベストセラー。私が連載している「月刊HANADA」の編集者だったのがフリーとなり いきなりのヒット。
名物編集長・花田紀凱との対談もあり。花田氏は元祖「文春砲」の大人気編集長。右から左までオールOK。“ビジネス右翼”の花田氏と右に片寄る編集部の中でも最右翼と呼ばれた梶原麻衣子。楽しみ。
私と爆笑問題はノンポリ代表として連載している。

 

そして本日新聞を開いたらジャーン。
「未亡人」と同時に書いていた新作が!!
ボブ・サップ。倒れる曙である。
あの日 全員 紅白を見ずにサップを息を殺して見ていたっけ。

いよいよ発売である。
「未亡人の会」の時「まだ見本なんですが」と渡され毎晩読んでいる。夢中。格闘界と興行界とヤクザと放送界が大戦争。2003年の あの日  紅白と民放三局が格闘技という異常事態。面白い。

 

若い才能が こうしてドンドン本を出してくれる事が一番嬉しい。
私の家の家業が出版社だったもので本を書ける奴が一番偉いと思っている―――フシがある。
逆に言うとマスコミに居て本も書けない奴はゴミだネ。

そんな出版のプロ中のプロの中。細田がゴソゴソとカバンの中から「本の雑誌」の1月特大号を広げ「本の雑誌2024年度ノンフィクションベスト10。見て下さい。ここです。1位は私の“力道山未亡人”です。」

空手チョップを受けたような衝撃だった。

 

 

一年間 御愛読ありがとうございました。
年内もう一回くらい書くかもしれません。
その節はよろしく。

 

〈ふろく・今月の一枚〉

ジャイアント馬場「ビバリー」に現れる。
私と早坂好恵は思いっ切り背伸びして ここまでである。

 

 

12月23日

 

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。