高田文夫のおもひでコロコロ

2024.08.16

第102回『未亡人の会』

あまりの暑さに筆も止まってすいません。7月26日以来の登板ですか?
その間に感動的だったパリ五輪も終わるし 米丸師(99才)も他界。
一門だった中丸もキンシンなんでしょ?米丸・歌丸・米助・中丸・竹丸の順でしょ?
松村が言う「三平一門の中の野末陳平」みたいなものか。
ランジャタイって少年隊の弟子って本当?
8月31日の新宿末廣亭“余一会”は「立川流」で昼の部 トリが立川志らく。ひざ代わりと呼ばれるトリ前の色物がランジャタイとあるけど どうする志らく?
なんならオレ 国崎とコントやろうか?
やれるかッ!

 

暑いから人と会って飲んで喋って噂話ばかりしている。ゴシップこそ最高の肴。
珍しく野末陳平翁(92才)から「いつもいつもゴチソーになってばかりいるから たまにはこの年寄りに美味しいものゴチソーさせてくれよ 高田センセー」と言うので銀座の高級天ぷらへ介護人の志らら(社団法人)と行く。
左の白衣は当店御主人。

ひとの金で美味しいものを食べると三年寿命が伸びるということわざが……無い。

 

別日。「力道山未亡人」があまりに面白かったので 著者の細田昌志と日芸後輩の一之輔と3人で暑気払いと「新宿鳥田むら」2号店2階集合。ここの1号店で若き日の私は売れない芸人ビートたけしと2人でいつもグチを肴に飲んでいた。
「高田さんよォ オイラはさ いつになったらTV出られんだろうか。夏木ゆたかとか斎藤清六みたいになりたいっつ——の」
ギャハハハ。
20代の私は作家として そこそこ売れてたが たけしはまったくだった。「漫才ブーム」がくる2年前である。「一寸 末廣の楽屋TELしてみるわ」と私がTELすると すぐに米助と小遊三がとんできた。
そんな毎日。私は30才になろうとしていた。小さな不安を胸に4人は いつも焼き鳥をかじり煮込みを食べていた。「将来の煮込み」なんてまるでなかった。

当日 細田ら3人で飲もうとしたら どこでどう悪事を聞きつけるのか 力道山のウラのウラを聞きたいと10人が勝手に集まっていた。この写真に高野(さんぽ会リーダー)夫妻も合流。私と細田の「プロレスのヤバイ話」に大盛り上がり。なにしろ力道山の未亡人はチャーミングな人だという話は伝わった。

左:ババ(さんぽ)・わたなべ(さんぽ)・一之輔・高田
右:志らら・三浦(ロケット団)・細田(著者)・タマ(ポカスカジャン)

 

やっぱりこの商売こうして ひととコミュニケーションとってる時が一番楽しいネ。
家にひきこもって「コタツなんとか」を書いてるバカがいるが ものかきじゃないネ ありゃ。

 

そうだ。お知らせもしとかなくちゃ。
「白酒の会」になんとゲスト出演です。
9月19日19時。チケット一般発売は8月20日です。
いまの時代 私の生トークが最強でしょうネ。(西では東野だな)
渋谷伝承ホール。

 

ついでに もうひとつ。
志の輔の弟子と私が史上初めて喋るという貴重な会。
タイトルがよく分からないのだが10月22日19時。座・高円寺2。
志の八・志の春・高田文夫です。

 

ついでに もうひとつ。土曜のラジオ日本18:00から「タブレット純」の番組。
10月12日で「400回記念」。となると————そうゲストは私です。
よろしく。きいて下さい。

 

下は8月15日の朝日新聞。
やはり「八月は六日九日十五日」(むいか ここのか じゅうごんち)なのだ。

ロッパ先生の終戦の日の日記がみつかったというのだ。
古川ロッパ。エノケンと並ぶ喜劇王。人並はずれたインテリである。
8月15日にはこうある。
「あゝ、長年にわたる戦争は終結せり。我国の敗戦」「力抜け 拍子抜け 溜息の生活」その後「仕事がなくて、家も定まらず、毎日実に落着かない」 とある。

 

8月16日

 

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。