高田文夫のおもひでコロコロ

2022.10.27

第47回『74才日記』

仲本工事さんの最後が衝撃的だった。「全員集合」が大絶頂期、1970年代後半。仲本さんは渋谷宇田川町で呑み屋を始めた。多分最初のカミさんの時だったと思う。私と同期の作家(「全員集合」担当中)松岡が「仲本さんの店に行ってみようよ」と言うので ふたりでのぞいた。ニコニコした仲本さんが居て「よく来てくれたね。この席座って。ボクもここいい?」と同じテーブルに座った。松岡が仲本さんに「1年で”全員集合”から逃げて 高田は今、三波伸介さんとかツービートやってんですよ」と嫌な紹介の仕方をした。このあとすぐに”MANZAIブーム”が来て「ひょうきん族」と闘うとはつゆ知らず 仲本さんは あのお人好しの笑顔でしみじみと「ツービートはいいねぇ。あのたけしさんって人は凄いと思う。面白い。あゝいう人が天下とったら素晴しいね」と私に言ってくれた。合掌。

10月18日(火)待ってました。平成中村座。クドカン作・演出の「唐茄子屋・不思議国之若旦那」中村座の復活に浅草という町全体が浮かれていた。中村勘九郎、七之助、獅童、そして荒川良々までが生き生き。周りから舞台上で何か言われると良々「それが梨園のパワハラか」には笑った。唐茄子屋は古典落語「唐茄子屋政談」から。相当昔 私のライブがCD化され そこそこ売れた。ここに出てくるおせっかいな江戸っ子(かぼちゃを代わりに全部売ってくれる)が私は好きでデフォルメして爆笑。この役を獅童が演じている。私・クドカン・獅童。全員日芸。私が1番ただ古い。クドカンの この作品10月と11月やってますので まだ間に合うと思います。下は中村座の筋書き(プログラム)と立川藤志楼のCD。

訃報ばかり。新宿ゴールデン街の名物ママ「しの」が亡くなったと思ったら今度は沢山ライブもやらせてもらった池袋の新文芸座の永田支配人が亡くなった。知り合いが多い分お別れも人より多い。

10月19日(水)有楽町国際フォーラムの1番大きなホールA(5000人)で「山内惠介コンサート」つきぬける歌声にいつもすっきりする。ここまでいっぱい人が入ると やっぱりライブはいいな としみじみ。ヒット曲の数々の途中に さだまさし「無縁坂」中島みゆき「時代」など入れてくる憎い構成。下はさし入れ持って行ったらスタッフから逆に頂いた「恵ちゃん甘栗」。山内惠介の歌のうまさに酔いしれて考えてみた。恵ちゃんよりうまいのは・・・そうだ、頼んでおいた ちあきなおみのニューアルバムが届いた。”ニューアルバム”という言い方もおかしいか。だがこうして新作が出たのだ。タイトルは「残映」(ちあきなおみ)。「東京砂漠」「赤と黒のブルース」なんてのから御存知「夜へ急ぐ人」「紅い花」も入っている。

10月20日(木)原稿書いたり届いた本読んだり。「テレビはプロレスから始まった」(福留崇広)帯に曰く「全日本プロレス旗揚げと中継開始に至るまでの真相、ワールドプロレスリングとのブラウン管ごしの攻防」

出ました!そう あの我が青春のド天才 荒木一郎が復活の大原稿。「今夜は踊ろう」であり「いとしのマックス」であり「梅の実」で「893(やくざ)愚連隊」。帯に曰く「60年代の映画・テレビ界を舞台に異才・荒木一郎が自らの彷徨する魂を描く!」とある。題して「空に星があるように 小説荒木一郎」年令的には私より4才上(78才)。もの凄い量の原稿を書くエネルギーを内に持つ78才はみごとすぎる。

様々な所で紹介してきたが「芸能界誕生」(戸部田誠)が若いのに とことん昔の芸能界を きき歩いて調べて好読物。夢中で読んだ業界人多し。新書ではもう1冊。「脚本力」(倉本聰)文庫では「淀川長治映画ベスト100&ベストテン」(淀川長治)「作品集 講釈場のある風景」(夏目漱石 立川談志 瀬戸内寂聴 神田伯山ら)

10月21日(金)「ビバリー昼ズ」やす子と生対面。「はいーーッ」。さんぽ会リーダー(高野)の写真展・古書展を見に平井へ。平井とくれば「ヨイショッと」の月の家円鏡(のちに円蔵)。下の写真は「平井の円蔵亭」である。貴重なる3ショット。

10月22日(土)週刊文春の増刊号で12月に出る「文春エンタ」にて「ラジオ特集」。爆笑問題 太田光との対談。太田と会うといつも嬉しい。誰よりも何よりも読書量が多いので どんなものにも実は造詣が深い。炎上とやらで大変らしいが私は一切ネットとかAVとか見ないのでよく知らん。数日後のラジオをきいていたら太田が「高田センセーと会ったんだけど9割は人に言えない話。あんなの載せられないよ。墓まで持ってく やばい話ばかりズーーっとしてんだから」だとアハハ。談志からも愛された脳味噌。あの男の感性だけは代えがきかない。我が悪友 景山民夫と話をさせたかった。

夜はTVで日本シリーズ第1戦。ヤクルト先勝。

10月23日(日)月刊「文芸春秋」が100周年だそうで特集「100年の100人」の原稿頼まれ書く。12月10日発売号。私が書く1人が「ビートたけし」。エピソードをひとつ書く。

そこへフランス人記者、編集者に囲まれて取材を受けたフランスの映画マニア雑誌「SOfilm」届く。中は”世界の北野”の大特集。フランス語の記事に囲まれて私の写真。よく見ると「NIPPON HOSO」なんて文字も。要するに「ここに居るFUMIO TAKADAが1番えらい人で日本中から尊敬されている」なんてことが書かれて・・・いない。

10月24日(月)生放送「ラジオビバリー昼ズ」。久しぶりにダンカンがスタジオに。「センセーきいて下さいよ。”たけし軍団”が ガチャガチャになったんですよ。タカラから本日発売。」と誇らしげ。軍団自体が昔からガチャガチャだ。この度の田中裕子主演「千夜、一夜」がいい。佐渡ヶ島。いなくなった旦那を30年間待ちつづける女が田中。自然体すぎる自然さ。この田中をひたすら思いつづける変態的な(変態というとダンカンはすぐ怒る。「純粋なんです」だと)漁師の役を性格異常なダンカンが。この冬は田中の「千夜、一夜」、沢田研二の「土を喰らう十二ヶ月」。夫婦揃ってぶっちぎりだ。

私の家と書斎のあいだは歩いて3分。その近くに出版社「田畑書店」というのがあって相当コアな本を出版しつづけている。そこのIという男が本を差し出し「これが”土を喰らう”の元の本ですから。どうせ知らないでしょうけど いい本です」と「精進百撰」(水上勉)をくれた。どうやら このIなる男は私のストーカー気味でアハハ 家も書斎も知っている。「センセーのマンションは”人生の成功者”の家ですね。2度ほど駅で雨を見上げるセンセーを見たことがあります」「だったら何で傘入れてってくんねんだよ。家知ってんだろ」「いやぁ~怖くて声かけられなかったんですよ」次の日この男からFAXが届いて「母からも言われました。今日から常にカバンにセンセー用の折りたたみ傘をいれとくことにします」

「週刊ポスト」の原稿書いたりして夜はプレスリーが出てくるのかと思ってドキドキして見た初回の「エルピス」。エルビスでなくてエルピスなのな。カルピスみたいなもんか。次の日(25日)「ナイツ独演会」(国立演芸場から国立小劇場に出世した)さし入れの袋に ドラマ評論家でもある塙に「お前は”もどす長澤まさみ”か!?」と書いたら次の日「高田センセーも言ってる意味が分らない。なんだよ!もどす長澤まさみって!」だと。絶対吐かしてやる。26日 インフルエンザの注射打つ。コロナからインフルエンザから打ちすぎ。王越えか。

私が人生で1番最初に大好きになった喜劇人、それが八波むと志。八波むと志と愛する三木のり平の劇中劇コント「玄冶店」(げんやだな)歌舞伎の「お富与三郎」である。戦後東京喜劇の金字塔。56本 笑いの村神様である。八波むと志が好きで好きで・・・なのに昭和39年(私が16才の時)1月 交通事故で死んじゃった。八波37歳である。泣いて泣いて学校を2日休んだ。八波は30を過ぎてから「勉強もしなくちゃ」と日大芸術学部へ入った。事故のあと日大病院へ運び込まれたが「この時の入院費は学割だった。粋なもんでしょ。」と後年 未亡人からきいて笑った。そのだいぶ後、私も日大病院へ運び込まれた。私の大好きな喜劇人 1位八波 2位のり平 みんな日芸の先輩。しかし今でも思う あの斬れ味するどいつっこみは日本芸能史上最強だと。その八波だけをひたすら研究した凄い本が出た。著者からは以前から八波の本を出したいと手紙など来ていたのだが完成して何しろ嬉しい。巻末に参考資料一覧も載っているが そこに私の本がずらり並べられているのがとにかく嬉しい。この著者の森田って人は私より1歳年上。ひたすらマジメに固い仕事だけしてきて八波の研究。一切 芸能界と違うところに居て、生きて これだけの書物を書けるのだから ただただ尊敬する。「ドリフターズとその時代」を書いた笹山敬輔もひたすらカタギ。なんたって富山の薬あの”ケロリン”の社長である。みんな素晴しい仕事を残してくれる。それにひきかえ今の40代50代の作家連中は何をやっているのか。なにひとつ残さない。情ない限り。過去の喜劇人・コメディアン・芸人に対し思いが薄いのだ。「笑い」への情がないのだ。八波むと志そして脱線トリオにどれだけときめき心を動かされたか。(注)「脱線トリオ」とは由利徹、南利明、八波むと志の3人組。

私は今気が付いたのだが誰もとりあげていないが「日芸喜劇の系譜」これは大いにあると思う。脈々と血の中に受け継がれていくアートな男の笑いのDNAだ。ざっと挙げただけでも三木のり平・八波むと志・三波伸介・ケーシー高峰・毒蝮三太夫・山本晋也・高田文夫・森田芳光・爆笑問題・三谷幸喜・宮藤官九郎・志らく・一之輔・・・なかなかの喜劇史ができそうである。

さあ日本シリーズだ。今日はここまで。

    このブログ 誰が読んでんの?

 

2022年10月28日

高田文夫

 

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。