西城秀樹さんが亡くなられました。2003年の一回目の脳梗塞を乗り越えた時に、リハビリの大変さと今後の意気込みを伺いました。本当に前向きで頭が下がる思いでした。
2011年、2回目の脳梗塞の後にお話を伺うと、あの大変だったリハビリをまたやるのかと思うと挫けそうにもなったけれど今回もまたステージで歌うのだという気持ちだけで、辛いリハビリを乗り越えたとおっしゃっていました。
この時はご存知のように言葉が明瞭ではない部分もありました。
歌う時は大丈夫なのだけどしゃべることが大変だと言いつつも、それでも積極的にライブ活動を行っていました。
もちろんお子さんもまだ小さくて生活のためという事もあったでしょうが、秀樹さんは今のこの自分の姿を見てもらい、同じ後遺症に悩む方々に少しでも勇気を持ってもらえたらと語っていました。
先日、障害がある方々と健常者がもっと理解し合えるためにという趣旨のもとに「かわさきパラコンサート」が行われました。
カレッカ川崎という、昨年秋に完成したばかりの素敵なコンサートホールで全盲の世界的なピアニストの梯剛史さんやダウン症のリコーダー演奏者の荒川知子さん、昭和音楽大学OBの皆さんで結成されたプロのオーケストラの演奏などを無料で楽しんでいただきました。
本来は客席に障害を持つ方々と健常者が集い、音楽を通じて感動を分かち合い、互いに共感しあえる場所にしたかったようですが、1100人収容のホールの半分ほどしか埋まっていませんでした。
川崎市在住で川崎フロンターレのホームの試合のハーフタイムでつい先日まで「YMCA」を披露していた秀樹さんがこのことを知ったら、必ずやお力を貸してくれたことと思いますし、「あさぼらけ」の企画「ウルトラヒットの道標」で様々なお話を改めて伺ってみたかったと思うと残念でなりません。
今回の秀樹さんの訃報で驚いたことは、熱烈な秀樹さんのファンだった4歳年下の私の妹の思い出話でした。
一つは中学生の時に、友人と生まれて初めてNHKホールで行われた秀樹さんのコンサートに行った際に、付き添いとして父が行っていたという驚愕の話でした。
私にとって社会人になるまで怖くてなんとなく近寄りがたかった父が、秀樹さんのコンサートを娘とどのような顔で観ていたのか想像ができません。
また妹が高校生の時、下校時に駅で見知らぬ女性から「秀樹の今夜の後楽園球場のコンサートチケットがあるけれど2枚譲ってあげる」と突然言われ、恐る恐るそれを受けとって自宅にいったん帰って母とコンサートに行き、クレーンで釣り上げながら絶唱する秀樹さんに二人で「秀樹―!!」と歓声を上げた話もまったく知りませんでした。
家を出てひとり暮らしをしていたとはいえ、今は無き父と、年老いた母にも西城秀樹さんの思い出が確かに存在していた事を図らずも知ることになりました。
西城秀樹さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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