8月31日でニッポン放送を退社になりましたという私事で、リスナーの皆さんから「おめでとうございます」「お疲れ様でした」というメールを数多くいただきました。
番組が終わってしまうと勘違いした方も少なからずいらっしゃって、物事を正確に伝えることの難しさを身をもって体験いたしました。
「あさぼらけ」「金曜ブラボー。」「笑福亭鶴瓶日曜日のそれ」など関わらせていただいている番組は続きます。
退職をすると「おめでとう」と言われることも少し驚きました。そのままの立場の方が何かと楽なんだよなぁという思いもあったのでこれは果たしてめでたいのか?という疑問がふと心をよぎったからです。
しかし考えてみれば働き続けたいのに健康状態や家庭の事情、人間関係、会社自体の問題など等々ではからずも去らざるをえない人もいるし、私のようなアナウンサーという専門職の場合、人事異動や管理職になり現場から離れた人もいることでしょう。
6人いた同期のアナウンサーでニッポン放送をアナウンサーとして定年まで勤めた人間は結局私だけでした。(もちろんおしゃべりの現場で頑張っている人はいますが!)
だから偉いなどという事はまったくなく、THE ALFEEのお三方が30数年前から私に会うたびに言っていた「うえちゃん、いつフリーになるの」という言葉を真に受けて会社を飛び出す勇気も実力もなかったとも事実です。
ニッポン放送社員の最後の日に「日劇84年の歴史に幕」というニュースが入ってきました。
1933年に日本劇場として開業しその跡地が有楽町マリオンになり、その中にTOHOシネマズ日劇という映画館の名前として「日劇」は残っていました。
しかし来年開業する高層ビルの中で「TOHOシネマズ日比谷」として都心最大級のシネコンに生まれ変わるため「日劇に幕」となりました。
ニッポン放送に入社した1981年。その年の2月15日に日劇は「サヨナラ日劇フェスティバル」で日本劇場としての公演を終えました。
そしてその次の日2月16日から私のアナウンサーの研修が始まり、当時小田急線の参宮橋に住んでいた私は新宿から丸ノ内線に乗って銀座に出てニッポン放送に向かいました。銀座に出てみたかったのですね。
小雪がちらつく寒い朝でしたが看板や飾りつけはそのままの日劇の横を通りました。ふと閉ざされた扉の窓から日劇の中を覗き込み「一つの大きな時代が終わった次の日にオレのアナウンサー人生が始まるンだなぁ」となかなか感慨深い思いをしたことを覚えています。
あれから36年。「日劇」という名前もなくなることが発表された日にその定年を迎えたのも何かの縁なのでしょうか。
とこのような文章をしみじみ書いてはいますが、今朝も同じ時間に起きて夜中に出社して番組でしゃべって、昨日と同じデスクに座って同じパソコンに打ち込み、ラジオからは「ラジオ防災一口メモ」で「~ニッポン放送上柳昌彦でした」という放送が流れてくるのを聴くと(至急差し替えるそうです)、昨日制作部フロアーにたくさんの仕事仲間が集まってくれて私を送ってくれたあのセレモニーは、夢かうつつか幻かという感じです。
しかし私はしっかりと退職祝いにいただいた花束を胸に抱えて電車に乗って家に帰るスーツ姿のおじさんを見事に体験したことも書いておきましょう。
ニッポン放送の社員証を出社時と退社時に「ピッ!」と機械にかざして時間を記録しますが、最後の「ピッ!」をした時の退社時間はなんと「12時42分」でした。そう周波数の「1242」だったのです。この偶然にも相当驚いた私です。一人で「おっ!」と声をあげましたもの。
これからもよろしくお願いいたします。
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