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2025.09.22

井田朋宏(「愛知・名古屋アジア・アジアパラ競技大会」組織委員会・事務局次長)

1962年生まれ、愛知県出身の63歳。日本体育大学卒業後、東京都の障がい者向けスポーツセンターの指導員を経て、パラリンピック陸上日本代表のコーチに就任。2000年のシドニー大会では監督として陸上日本代表を率い、2024年パリ大会では、日本選手団の副団長を務めました。現在は日本パラスポーツ協会参事を務めるかたわら、来年行われる「愛知・名古屋アジア・アジアパラ競技大会」の組織委員会・事務局次長に就任。今回は、この大会の概要や、準備の進み具合、大会の意義や目指すものについて、井田さんにお話を伺います。

◾️井田さんがパラスポーツと関わるようになったきっかけは?

「学生時代に国立リハビリテーションセンターというところが埼玉県にあるんですが、そちらに大学の担任の先生から紹介されてですね、こういうスポーツの世界もあるんだよということで、見学に行ったっていうのがきっかけなんですね」

「ちょうどそれが1984年のロスのオリンピック・パラリンピックの年でして、たまたまその選手たちが合宿していたんです。それを見て感銘を受けて、この世界に入りました」

◾️井田さんは、1988年のソウル大会、1992年のバルセロナ大会で、パラリンピック陸上日本代表のコーチを務め、2000年のシドニー大会では代表監督を務めた。

「元々1988年のソウルのパラリンピックの際に、陸上を元々やっていたもんですから、コーチとして行ってくれという要請がありまして、パラリンピックに参加したんですね」

「ソウルで最初に感じたのは、義足の選手ですね。特にアメリカの選手だったと記憶してますけれども、足の切断部分にソケットをはめるんですが、そのソケットをむき出しにしていて、星条旗がそこにペイントされていたと。その障がいを隠すんではなくて、個性の1つだというような形でですね、闊歩している姿に非常に感銘を受けました」

◾️井田さんは2013年から、現在の「日本パラスポーツ協会」の前身にあたる「日本障がい者スポーツ協会」で企画情報部長を務めた。

元々、本業としてはですね、スポーツセンターの指導員を経て、雑誌の編集者になっています。そこで様々なパラスポーツの取材をすることによって、より障がいのある人の魅力、特にアスリートの魅力を世の中に発信したいという風に思うようになりました」

「そういったところから、日本パラスポーツ協会の方ではちょうど広報活動に力を入れようっていうタイミングである一方で、そういったことに長けた方がいなかったようでして。そこでお声がけをいただいて、広報の担当者として入ることにしました」

◾️2018年、井田さんは日本パラリンピック委員会の事務局長に就任。東京パラリンピックの準備・運営にも携わった。

「とにかく会場に足を運んでもらおうという、そういう取り組みをしてきました。子どもさんを連れた家族連れがたくさん応援に来たということと、企業の皆さんが社員さんと一緒に応援に来たっていう、この2つの柱がですね、年を経るごとに高まっていったという風に実感しています」

◾️来年・2026年10月、愛知県と名古屋市の共催で行われる「アジアパラ競技大会」は4年に1度開催されるパラスポーツの国際大会。今回が5回目で、日本で行われるのは初めてのこと。

「ご存じの方もいらっしゃるかと思うんですが、まず選手村を作らないっていうところが決まりまして。したがって、選手が生活をし、選手を輸送し、食事をしてとか。いろんなところが全部分散になるわけなんですよね」

「特にパラの場合は車いすのかたですとか、視覚障がいのかたもいらっしゃるので、やっぱりホテルのアクセスビリティっていうのが非常に重要になってくるわけです。ところが、愛知、名古屋の場合は、なかなかそういったシティホテルが少ない状況にありまして。そこをいかに選手が快適に生活できるようなホテルを見つけるかということに相当時間をかけています」

「車いすの人が例えばエレベーターに乗って、自分の部屋まで行ったり来たりするのに十分なエレベーターのスペースがあるのか。あるいは、バスで実際には移動するわけですが、そのバスの駐車場がですね、ホテルに横付けできるところと、できなくて公道で乗らざるを得ないところもあったりするんですね。じゃあ、そういった場合の対策をどうしたらいいのか、ということを、もう日々苦労を重ねてきていて。今もまだそれは続いているんですけれども、なんとかおおむね競技別の会場は見つかってきたというような状況にあります」

◾️この大会が、愛知・名古屋で行われる意義は?

「私自身がやっぱり東京オリ・パラを経験していますので、同じように愛知、名古屋においてもですね、特に県民、市民のかたが、障がいのある人に対する認識が変わっていき、それがきっかけで行動も変わり……そういったことが総合的に町づくりを変えていき、障がいのある人もない人も、みんなが当たり前のように社会に参加できるような。そういったような社会変革のきっかけになればいいなという風に思っています」

◾️注目してほしい競技は?

「例えばゴールボールですとか、ブラインドフットボールのように、視覚障がいのかただけの団体スポーツ。これは音を頼りに行うスポーツですので、プレー中は観客席は静かにしていて。プレーとプレーの間に声援を送るという、ちょっと通常のスポーツとは異なったものではあるんですが。それだけにですね、非常に見ていて新鮮さがあろうかと思います」

「それ以外では、地元愛知の出身で、今や日本全体でも割とパラの中では知られている小田凱人という車いすのプレイヤーがですね、今世界ランキングナンバーワンですけれども。彼が地元ですので、今女子でもナンバーワンになってる上地結衣さんと、お2人ともですね、おそらくこの大会に来て、ロスの代表権を取るような活躍をしてくれると思いますので。そこもぜひ応援していただきたいなというふうに思っています」

◾️あと1年と少しで開幕する「愛知・名古屋アジアパラ競技大会」。どのようなレガシー(遺産)を残したいと思っているのだろうか?

「レガシーに関することは、愛知県と名古屋市さんが中心になって取り組んでいただくことにしております。組織委員会としては、もちろんそこは連携してですね。そこに参加する選手を紹介する、仲介をしたりとかですね、そういうことをしております」

「昨年までは、例えばオリンピアンとパラリンピアンが小学校とか中学校を訪問して、そこでお話をしていただいたりとか。実際の体験をしてもらったりとか。そういったことを連携しながら進めています」

「また、日本パラリンピック委員会が国際パラリンピック委員会の認証を受けて、教育プログラムとして作っている『I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)日本版』というのがあります。こちらも県・市と連携をしてですね、学校で展開するようにすることによって、パラスポーツの魅力に加えて、共生社会を考えるような、そういった教育プログラムを今一緒になって進めているところです」

◾️「愛知・名古屋アジアパラ競技大会」を通じて、目指すものは?

「大会を通した共生社会を育む1つの大きな契機になると思っていますので。とにかく大会期間中に盛り上がることも大事なんですが、それ以降にですね、この大会をきっかけに『街が変わったな、人の考え方が変わったな』というようになっていくことを期待しております」

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