2002年生まれ、三重県出身の23歳。島津製作所のテニス部「SHIMADZU Breakers(シマヅ・ブレーカーズ)」に所属。生まれつき聴覚に障がいがあります。6歳からテニスを始め、同志社大学ではテニス部の部長を務めました。国際大会でも活躍。2023年にギリシャで行われたデフテニス世界選手権、女子のシングルスとダブルスを制覇。今年1月のデフテニス全豪オープンでは、女子シングルス2連覇。女子ダブルスでも初優勝を果たし、2冠に輝きました。初出場の東京2025デフリンピックでも、金メダルを狙います。
◾️6歳でテニスを始めた菰方選手。その前に取り組んでいたスポーツは?
「お姉ちゃんが水泳やっていたってのもあって、水泳だけは先に始めていて。その後にテニスを始めました」
◾️最初は一般のジュニアの大会に出場していた菰方選手。デフテニスの大会に出るようになったきっかけは?
「中学2年生のときにデフテニスに出会って、そのあたりから国内大会には中学生の後半ぐらいから少しずつ出るようになっていった形になります」
「私がジュニアの大会に出ているときに、同じ会場でデフテニスの合宿をやっていて、たまたまフラッと……そのデフテニスのそのときの監督が、外の試合を見に来たときに、私がたまたまいて。補聴器つけているので、わかりやすいと思うので。そこから繋がって初めて出会った、という形になります」
◾️菰方選手は地元・三重の高校を卒業後、京都の同志社大学に進学。大学ではテニス部の部長も務めた。
「部をまとめる難しさっていうのはすごい感じたんですけど。男子と女子、部長1人ずついて、ちゃんと男女でも連携を取らなきゃいけなかったので、コミュニケーションをしっかり取っていくっていうことも大切にしないといけないということを学んで。結構、後輩とのコミュニケーションも取るようにしていたので、自分のコミュニケーション能力というものは、すごい上がったのかなって思います」
◾️菰方選手が初めて国際大会に出場したのは、高校2年生のとき。デビュー戦は2019年、トルコで行われた「世界デフテニス選手権」だった。初出場にもかかわらず、世界選手権の女子ダブルスで優勝した。
「やっぱり世界の選手はもう体自体すごく大きくて、パワーも大きかったので、すごい押される部分はあったんですけど。その中でもできることを探していけば、相手に食らいつけるところはたくさんあったので。結果としても、自分の納得いかない結果でもあったと思うんですけど、学びになる部分は多かったかなと思います」
「ダブルスで優勝したことはすごい自信にはなりましたし、ミックスダブルスでも、男の選手って海外の人は本当におっきくても強いので、そこにしっかり食らいついていけたっていう部分でも、自信になる大会にはなりました」
◾️それから4年後の2023年、菰方選手はギリシャで行われた世界選手権に再び出場。女子のシングルスとダブルスで優勝を果たし、2冠に輝いた。
「やっぱり2回目の世界選手権っていう部分で、ダブルスは特にペアも同じ人だったので、もう2冠取るつもりで来ましたし。シングルスでも勝ちたい部分はすごい大きかったので、そこもしっかり考えながら試合に挑みました」
「やっぱりここで2冠取れたっていうのは、テニスに対して考えてプレーするっていう部分ができるようになったのが、1番大きい賞品だったのかなと思います」
◾️ 2024年、菰方選手はデフテニスの女子世界ランキングで初めて1位に輝いた。世界ランキング1位になったことで、菰方選手は全豪オープン・デフテニス部門の出場権を獲得。念願の4大大会に初めて出場。女子シングルスでみごと優勝を果たし、初めてグランドスラムを制した。
「やっぱりシングルスで優勝したときは嬉しい気持ちもありましたし、世界選手権が終わってすぐの大会でもあったので、やっぱり優勝することでさらに自信になった大会でもありました」
「やっぱり試合するにあたってプレッシャーっていうのは結構かなり大きくって。この大会はリーグ戦スタートだったので、1回戦負けたとしてもまだ次があるっていう状況ではあったんですけど。負けられないっていう部分もあったので。そのプレッシャーにも勝てば自分は勝てるんじゃないかなっていうのは思ってまいした」
「決勝トーナメントの1回戦が、一応準決勝にはなるんですけど。日本人対決になりまして、その相手とはあまり試合を多くしてきたわけではなくて。そこまで勝ったことがある相手でもなかったので、どうやって勝てるのかな、という不安はすごい大きかったんですけど。そこをしっかり勝ち切れたのは、次の決勝に勢いづけることができたかなと思います」
◾️菰方選手は、女子ダブルスでも準優勝を果たす。
「ダブルスはペアの人が、オーストラリアの選手とペアだったんですけど。海外の選手と組むのが初めてだったので、結構もうコミュニケーションも取れないっていうところで難しさはあったんですけど。お互いがやることをやって、しっかり準優勝はできたので。楽しいダブルスだったなと思います」
「やっぱりコミュニケーションに関しては、お互い補聴器を外してるので、何か伝えたいことがあれば、ジェスチャーとか、コースの指示とかは全然できるので。そういうちょっとしたことだけを伝えるっていう形でやっていました」
◾️今年1月、菰方選手は2年連続で全豪オープンに出場。女子シングルス連覇、女子ダブルスでも優勝を果たした。
「ちょっとほっとした部分も大きかったかなと思います」
「プレッシャーはかなり大きくて。この大会はトーナメント方式だったので、もう負けられない戦いでもありましたし。その1回戦の相手が、前の年のダブルスのペアの子だったので。ジュニアの子だったので、結構もう伸びている時期だったっていうのもあって、かなり緊張したんですけど。そこをしっかり勝ち切れたからこそ、次の試合にもつなげていけたかなと思います」
◾️今年は11月に東京でデフリンピックが開催される。菰方選手は女子シングルス・女子ダブルス・ミックスダブルスの3種目に出場する予定だ。目指すはもちろん、3冠。東京2025デフリンピックに向けて、菰方選手に抱負を聞いてみた。
「地元開催でもあるので、日本大会ということで。ただ、私としてもデフリンピックは初めての出場になるので、プレッシャーもたくさんあると思うんですけど、しっかり楽しみながら1戦1戦戦い抜いて、金メダルを見せられるようにがんばりたいと思います」
◾️菰方選手の今後の夢は?
「今後の夢は、デフリンピックで優勝することがすごい大きい目標でもありますし、デフ自体をもっと多くの人に知ってもらいたいなっていうのは、すごい感じていて。まだまだ認知度が低い競技でもあるので、小さい子たちにも、やっぱり障害を持っている子たちはスポーツを始めにくかったりすると思うので、そういう子たちのきっかけの1つとして、私たちのデフテニスを見て『やりたいな』って思ってもらえるようにしたいなっていうのは、思っています」
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