ニッポンチャレンジドアスリート

2025.09.08

舟山真弘(パラ卓球)

2004年生まれ、さいたま市出身の21歳。早稲田大学の3年生です。4歳のときに骨肉腫を発症し,手術を受け、右腕を自由に動かすことができません。小学5年のときに卓球と出会い、2021年11月、国内トップを決める国際クラス別パラ卓球選手権大会のシングルスで初優勝。12月にはアジアユースパラ競技大会のシングルスでも優勝を飾りました。2023年、パラ卓球の日本代表に選ばれ、去年はパリパラリンピックに出場。男子シングルスで5位に入賞しました。3年後のロスパラリンピックでは、金メダルを目指します。

◾️4歳のときに骨肉腫を発症して手術を受け、右腕を自由に動かせない舟山選手。もともと右利きでしたが、左手を動かす訓練をして、日常生活はすべて左手で行うようになった。卓球も左手にラケットを持ってプレーをしている。卓球との出会いは?

「まず小学校2年生の頃ぐらいに家族で旅行に行ったときに、その旅館に卓球台があって。で、いわゆる温泉卓球というのをしたのがきっかけで、すごく楽しくて。そしたら小学校5年生のときに、当時クラスが一緒だった子が卓球を習ってるっていう話を聞いて、そこから本格的に習うようになりました」

◾️本格的に卓球を始めた舟山選手は、すぐに才能が開花。小学6年生のときに、埼玉県のパラ卓球指定強化選手に選ばれた。その一方で、健常の大会、インターハイにも出場した。

「卓球を始めてから全国大会に出たことがなかったので、自分の中でもインターハイに出るっていうことを目標に取り組んでたんですけど。それをしっかりと達成できて、自分なりには結構自信を持てたと思います、そのときに」

◾️舟山選手は、高校時代の2021年11月、現在の「全日本パラ卓球選手権」の前身にあたる大会「国際クラス別パラ卓球選手権」に出場。シングルスで優勝し、日本一になった。

「まあ、高校生のうちにっていうイメージはあったかなっていう風に思いますし、またそのときは岩渕選手と同じクラスだったので。岩渕選手に勝つっていった部分では、自分としては優勝を目指してたつもりだったんですけど。こう振り返ってみると、多分、次の年ぐらいを考えていたんじゃないかなっていう……そのときの自分は」

「ただ、この年に東京パラリンピックがあって、ライブ配信とかで見てたりして、で、3年後にパリがあったので。なんかやっとこのパラリンピックを目指すっていった部分のステージ、スタートラインに立てたのかなっていう風に思いました」

◾️舟山選手が初めて日本一になったこの2021年は、東京パラリンピックが行われた年でもあった。もし自分が東京パラリンピックに出ていたら……と考えたことは?

「思いました。ただ、すごくイレギュラーだったので。東京パラリンピックが。そもそもは2020年開催のはずでしたし、それが1年伸びてっていうところだったので。ただ、パラリンピックに出ている選手に勝利して優勝することができたっていうのは、自分の中で、パリを目指す中での1つの自信にはなりましたね」

◾️2021年12月、バーレーンで行われたアジアユースパラ競技大会で国際大会デビューを果たした舟山選手。このとき、大会前に障がいの程度を医師が判定するクラス分けを受け、クラス9から10に。より障がいが軽いクラスに変更になった。

「変わったことにはちょっと少しは動揺しましたけど。でも、意外とすんなりと受け入れられて。そもそも、健常で学生の大会とかに出ていたので、基本的には自分よりも体の状態が圧倒的にいい人たちと試合をしていたので、そこに関してはそこまでの動揺なく入れたのかなって思います」

「クラスが変わったことによって、対戦相手も変わって。ランキングが19位ぐらいだった選手が、ユースの大会に参加していて。その選手に勝つことができて、世界ランキングもついたので、それで結構、そういった意味では嬉しかった大会ですね」

◾️2024年4月、舟山選手は念願だった、パリパラリンピック出場内定の報せを受けた。舟山選手は男子シングルスに出場。初出場で5位に入賞した。

「自分の中ではこの5位、準々決勝ですね。で、敗れた試合が本当に良くも悪くも自分の中で強く残っていますね。まずこの準決勝の相手はフランス人の地元の選手で、東京パラリンピックで銀メダリストになってて。ただ、この選考レース期間中に自分は2度対戦していて、最初は負けたんですけど、2回目は勝ってっていう、こう1勝1敗の成績だったので。全然、自分としてはここで勝ってメダルを獲得するんだと思って臨みましたし」

「セットカウントも2対1とリードしてて。あと1セット取れば自分のメダルは確実だったので、こう大手まできてた中で、逆転負けをしてしまったっていうところで、なんかすごく勝ち切ることの難しさっていうのも感じましたし、そういった面ではやっぱり印象に残ってる試合ですね」

「プレッシャーっていう言葉とは違うと思うんですけど、なんかすごく特殊な空間だったかなっていう風に思いますね。自分の体感としては99.9対0.1ぐらいのイメージでしたね、応援は。ただ、それがなんかすごくプレッシャーになったかっていうと、どうなのかなとは思いますし。それでも振り返ってみれば、やっぱりそれも含めてなんかすごくワクワクする試合だったなとは思いますし、パラリンピック自体が」

「パラリンピックっていう初めての舞台に挑戦して、その世界との差を非常に痛感したっていうわけではなく、ただ目標としていたところに届かなかったっていう面では、悔しかったのと、この試合が終わって、こう少し落ち着いて考えたときに、この次、こういう試合ができるのは「4年後なんだ」っていう、また時の長さを感じましたね」

◾️パリパラリンピック終了後、3年後のロスパラリンピックに向けて、舟山選手はどんな目標を立てたんでしょうか?

「ロスパラリンピックに関しては、自分としては金メダルっていうところを目標に掲げて。この3年後、もう3年後ですけど、3年後っていう数字も含めて、金メダルは妥当な目標なのかなと思いますし。自分としては金以外ないと思って取り組んでいかなきゃいけないのかなっていう風には思っています」

◾️3年後のロスに向けて、舟山選手に抱負を聞いてみた。

「ロスは本当に金メダルだだけを目指して、まずはやっていくべきだなっていう風に今思ってるので。そこはブレずに金メダル獲得っていうものを、自分の中の条件として、日々、1大会ずつ頑張っていきたいとは思っています」

◾️舟山選手に、これからの目標を聞いてみた。

「なんかこう、大きな大きな目標としては、社会に貢献したいっていう漠然とした思いはありますね。特に卓球を引退した後、何かしらの形で社会とか他者に貢献できるような仕事はしたいなと思います」

「自分、ゴールドリボンウォーキングっていうのに今年、イベント登壇させてもらって。そのゴールドリボンウォーキングっていうのは、小児がんの啓発イベントで、自分が小学校時代にも、退院して、小学校時代にもそのイベントに参加して歩いてたので。小児がん経験者として、誰かのために、もしかしたらなってるのかなっていう風に思えたりもして、いい経験でしたね」

◾️最後に、舟山選手にとって、パラ卓球の魅力とは?

「僕が最近気が付いたのは『驚き』かなっていうふうには思いますね。オリンピック競技を見るのとは違う驚きを、僕らは与えられるんじゃないのかなっていう」

「世界を見る時に、自分のフィルターをかけて、基本的に人は良くも悪くも見てると思うんですけども。そのフィルターを通して見たときに、こんなプレーもできるんだ、あんなプレーもできるんだっていう驚きがすごく多いのがパラスポーツ、パラ卓球の魅力かなっていう風に思いますし。そこでそういった刺激を受けて、また誰かのその眼鏡の色を変えられれば、それはそれで自分としては嬉しいのかなっていうふうに思います」

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