1994年生まれ、高知県四万十市出身の30歳。電通デジタル所属。小学生からバレーボールを始め、V・チャレンジリーグの選手としてプレー。引退後の2019年、脊髄神経の病気を発症。両足と左手にまひが残り、車いす生活になりました。2021年3月からパラカヌーを始め、競技を始めて半年で東京・パラリンピックに出場、準決勝に進出しました。去年はパリ・パラリンピック代表に選ばれましたが、ドクターストップで無念の棄権。今年4月からはパラ陸上・やり投げに競技を転向、6月に16m99の日本新記録をマークしています。
◾️小学校2年生のときにバレーを始め、高校時代は春の高校バレー、大学卒業後はV・チャレンジリーグにも出場した小松選手。2018年に現役を引退すると、大阪でバレーの指導者になった。ところが2019年、脊髄神経根炎という病気を発症。両足と左手にまひが残り、車いすで生活になった。しばらくリハビリ生活が続いた後、地元・高知に戻り、2021年3月からもう一度スポーツに取り組んでみようと決意する。
「1年間入院して、そこから退院して、地元の高知に戻ってきたときに、ちょっと体動かそうかなとジムに行こうと思ったりしたんですけど、結局車いすで利用できる環境っていうのがなくて、ちょっとがっかりしたというか、悲しいなと思って。で、こういう環境を変えるために、競技を通して何かひたむきに頑張る姿を高知県内で見せることができたら、少しずつ環境が変わっていくんじゃないかなっていうことを期待して、競技を始めました」
◾️新たに始めた競技は、パラカヌーだった。
「カヌーをはじめ、ボートとかパワーリフティングとか車いすラグビー、シッティングバレー。いくつかの競技団体から『うちでやりませんか?』っていう風に声をかけてもらったんですけど、やっぱり元々やろうと決めたきっかけが、高知県内の環境を変えたいっていうのがあったので、高知県内でできるっていうことにこだわったときにカヌー場があったので、じゃあカヌーだったらできるかなという感じでカヌーに決めましたね」
「ボートも全くやったことないですし、カヌーは本当に小学校が四万十川のすぐ脇にある感じなので、カヌー体験っていうのが小学校のときにあったなっていうレベルですね。使えないところをいかに別の部位で補うかっていうような。そういう試行錯誤はちょっと苦労しましたね」
「バレーをやっていたときから、空間認知能力というか、見えてないところを自分の思い通りにするっていうトレーニングを個人的にやっていたので、そういう意味ではバランスと言いますか、パラカヌー始めてからも活きているのかなとは思いますね」
◾️パラカヌーの公式デビュー戦は、海外派遣選手の選考会だった。小松選手はいきなり2位になった。
「海外派遣選手に選ばれる自信はなかったですね。あくまでも速い選手がいたので。実際、その選手を抜けなかったので、始めたばかりで。ちょっと戸惑いの方が大きかったかもしれないですね」
◾️2021年、ハンガリーで行われたパラカヌーのワールドカップに出場。小松選手は、国際大会初挑戦でみごと5位に入賞。競技歴わずか半年で東京パラリンピックの出切符を手にした。
「ずっとバレーをやってきていたっていうこともあって、日本代表になるっていうことが、なりたくてもなれない人がどれだけいるかっていうのは理解しているつもりだったので。もう本当に、今の自分がそんな素晴らしい大会に出るにふさわしい人なのかどうかっていうところが、すごく葛藤しましたね」
◾️2021年9月、小松選手は東京パラリンピック本番を迎える。初のパラリンピック、しかも競技歴わずか半年で予選を突破し、準決勝に進出。しかし決勝には進めなかった。
「予選の結果をもって、準決勝2組にわかれたんですけど、私が速い選手の組の方に入っちゃったんですよね。もう圧倒的に私、負けたんですけど。もう逆に悔いがないと言いますか、そういう人たちと艇を並べてレースができたっていう嬉しさの方が上回ってたような気がしますね」
◾️2度目の大舞台となったパリ・パラリンピック。ところが、小松選手は試合前に体調を崩してしまう。「レース中に、てんかんの発作が起こると危険」とドクターストップがかかり、無念の棄権となった。
「ドクターストップなので、私の判断ではないですね。レース前は体調等はもう戻っていましたし、私はもう、できることならもう出してくださいっていう、もうずっとお願いしていましたので」
「ゴールの正面に艇庫があって、真正面でスタートしてるのを見て、私はゴールまで見ることはなく、控え室に行きましたね。そのときはやっぱりどうしても感情的になっていたので、もうこの東京パラからの3年間っていうのが、全て無駄になったかのような思いでしたね。いまだに悔しいですし、もっとああしとけばよかったのかな、とか思うことはあるので」
「ただ、やっぱりいろんな人と話す中で、少しずつ切り替えていうよりは、これからできることっていうことに目を向けてこれたのかなとは思います」
◾️ パリパラリンピック終了後、小松選手は今年4月からパラ陸上・やり投げへの競技転向を発表した。
「あくまでも、そもそもカヌーをやってるっていうこと自体が、社会の空気を変えていきたいなって思う中で、その手段として発信力・影響力を持つためにカヌー競技をするということを選択していたので。正直カヌーは別に続けてもよかったですし、変えるでもよかったっていう中で『じゃあどっちがワクワクするかな』ってなったときに、やっぱり新しいことに挑戦して、ちょっとでも周りの人をワクワクさせることができたらいいな、という思いで競技転向を決めました」
◾️デビュー戦は、今年4月に行われたパラ陸上日本選手権だった。小松選手は、日本パラ陸上競技連盟が定める「強化指定基準B」を超える記録・14m66をマークして優勝を飾る。
「もうちょっといけてたかなとは思いますけど。でも大会で、限られた6投の中で記録を出すっていうのは、やっぱりデビュー戦が初めての経験だったので……という意味では上等だったかなと思っています」
◾️小松選手がこれから実現させたいことは?
「本当に大きい夢ですけど、世界中の人が生きづらさを感じないような、幸せな世の中にしたいなとは思っています。でもまずは、日本の全ての人が平等に選択肢があるっていうような、そういう社会にしたいなと思って色々活動をさせてもらっていますね」
「あとはもう物理的に環境というものが、ソフト面、ハード面、変化してくることによって、ちょっとずつ、ハンデを抱えてでも社会に出てこれる人が増えたらいいなと思っています」
◾️3年後のロスまでに、どこまで記録を伸ばしたいと思っているのだろうか?
「ロスまでに最低でも21メートルは投げたいなと思っています。銅メダルとかのレベルで言うと、21メートルいかなくても届くかな、どうかなっていう感じなんですけども、やっぱり金メダル目指すためには21メートルっていうのはクリアしていかなきゃいけないところかなと思っています」
2025.08.25
小松沙季(パラカヌー/パラ陸上)
1994年生まれ、高知県四万十市出身の30歳。電通デジタル所属。小学生からバレーボールを始め、V・チャレンジリーグの選手としてプレー。引退後の2019年、脊髄神経の病...
2025.08.18
秦由加子(パラトライアスロン)
1981年生まれ、千葉市出身の44歳。3歳で水泳を始めますが、13歳のときに骨肉腫を発症。右脚の大腿部より先を切断しました。26歳でパラ水泳で水泳を再開し、日本代表も...
2025.08.04
辻悠佳(デフオリエンテーリング)
1993年生まれ、兵庫県出身の32歳。株式会社JTB所属。先天性の難聴で、音がきこえにくい状態です。2022年から地図とコンパスを使って、山や野外に設置されたチェッ...
2025.07.28
田村小瑚(パラダンススポーツ)
2001年生まれ、千葉県出身の24歳。4歳のときに発症した病気の影響で、車いす生活に。2020年2月、脊髄を損傷した人が通うトレーニングジムで社交ダンスのワルツを体験...
2025.07.21
辻内彩野(パラ水泳)
1996年、東京都江戸川区生まれの28歳。小学3年生から水泳を始めますが、目の病気で視力が低下。2017年からパラ水泳に転向し、各種目で日本記録を次々...