1981年生まれ、千葉市出身の44歳。3歳で水泳を始めますが、13歳のときに骨肉腫を発症。右脚の大腿部より先を切断しました。26歳でパラ水泳で水泳を再開し、日本代表も経験しました。2013年からはパラトライアスロンに競技変更し、パラリンピックにはリオ・東京・パリと3大会連続で出場しました。3年後のロス大会では4大会連続出場と初のメダルを目指します。
◾️中学1年生のときに骨肉腫を発症。右脚の大腿部から先を切断、義足での生活になった。その後、しばらくスポーツから遠ざかっていた秦選手だったが、26歳のとき、小学校以来、久々に水泳を再開した。
「社会人になって時間ができたときに、仕事以外で何か趣味になることを探していて。ふと、子どもの頃に水泳やっていたなと思って『もう一度やってみたいな』と思って、近くのスポーツクラブに入会したことがきっかけです」
「その後に千葉の障がい者の方々が集まって、千葉ミラクルズっていうパラの水泳チームを立ち上げるっていうお話をうかがって、そこで出会った皆さんと泳ぐようになって、初めてパラ水泳の世界に入ることができました」
◾️その後、本格的にパラ水泳に取り組んだ秦選手。2013年から競技をパラトライアスロンへ転向した。
「パラトライアスロンに転向したのは32歳のときだったんですけれど、1つは、水泳の練習をしている中で、トライアスロン選手とか、あとはトライアスロンを趣味で楽しんでいらっしゃる方々と知り合うことができて、皆さんがとっても楽しそうにトライアスロンをしているのを見て『なんかいいな、羨ましいな』と思ったことが1つです」
「片足でトライアスロンができるのかどうかっていうイメージがなかなか湧かなかったので、インターネットとかで調べてみると、アメリカにサラ・レイナートセンというパラトライアスリートがいるということを知って。彼女が私と同じ大腿切断の選手でしたので、彼女に憧れて『やってみよう』と決意しました」
◾️スイム0.75キロ、バイク20キロ、ラン5キロと、通常のトライアスロンの半分の距離で行われるパラトライアスロン。競技を始めるにあたり、秦選手は18年ぶりにスポーツ用の義足をつけて走った。
「それまで日常用義足しか使っていなかったんですが、初めてトライアスロンをやろうと思って、走るためのラン用の義足っていうのを身に着けて走ったときには、体が風を切って走るということと、あとは、体が宙にふわっと浮く瞬間っていうのは、やっぱり子どもの頃の自分を思い出して。すごく懐かしいのと、あとはすごく気持ちよかったっていうのを覚えています」
◾️2016年、秦選手は、パラトライアスロンが初めて正式競技として採用されたリオパラリンピックに、日本代表として出場した。
「水泳を始めたときから、パラリンピックに出場するっていうことが大きな、私自身の目標でもありましたので、やっとこの舞台にたどり着いたという思いと、そこに至るまで、病気になって、たくさんの人に支えていただいたご恩を感じながら、パラリンピックっていうのは本当に夢の中にいるような心地がしたと思います」
◾️2016年9月、リオパラリンピック本番。結果は6位入賞だったが、秦選手はゴールしたとき、それまで感じたことがなかった特別な感情が湧き起こったという。
「リオのときは、1つは無事にフィニッシュできたっていう安堵感もあったんですけれども。やはり負けてしまった悔しさっていうのを初めてそのときに感じて『これが次、4年後の力になる』っていうことを確信した、そんなレースだったと思います」
「やはりパラリンピックの舞台ってこういうもんなんだ、っていうことを肌で感じることができました。地球規模で選手たちと競い合えるって、こんな瞬間が人生の中であるんだ、っていうことを思いましたね」
◾️秦選手にとって2度目の大舞台となった、東京パラリンピック。コロナ禍で大会は1年延期され、2021年8月から9月にかけパラトライアスロンも無観客で開催された。
「リオのときが結果は6位だったっていうこともあって、今回は表彰台に上がるんだっていうことを目標にして臨みました」
「東京のときはリオのときと同じように千葉で練習をしていましたので、練習拠点としては日本でずっとやっていたんですが、特に東京大会はやはり自国開催ということで、普段練習で走り慣れている日本の道路っていうのはすごく、不安なくレースに集中できるっていうような会場だったかなと思います」
◾️東京パラリンピック本番。結果はリオと同じ、6位入賞だった。東京パラリンピックで得た収穫は?
「コロナ禍の開催ということで、無観客で行われはしたんですが、やはり徹底した感染防止対策の環境下だったっていうことは、すごく行動にも制限がありましたし、多くの方がコロナ禍で感染して苦しんでいる状況の中で、選手としては大会に出場させていただくっていうことに関してとか、スポーツに取り組むことっていうのにはすごく複雑な思いがありました」
「やはりコロナ禍だだっていうことがすごく印象的ですし、今から考えても、やはりいろんな方々の思いが込められた東京パラリンピックだったなと思っています」
「会場に向かう途中のところで、ボランティアの方々が『応援してるよ』って『頑張ってね』って手を振ってくださっている。マスクの下ですごく笑顔でいてくださったんだろうな、っていう、なんかその景色というのは、私たちにとっても特別でしたし、そんな中でも開催してくれたっていうことを感謝の気持ちを持ちながら、会場に向かったなと思います」
◾️手術を受け、右脚の状態も良くなった秦選手でしたが、パリパラリンピック直前に、思いがけないアクシデントで左肘を骨折。2024年9月、セーヌ川周辺を舞台に行われた、パリパラリンピックのパラトライアスロン競技。結果は9位に終わった。
「練習をせずにトライアスロンのレースを出るっていう、すごくその苦しさというのを味わいましたし、パラリンピックっていう大きな舞台でこのような状態になってしまったっていうことは、すごく悔しいと思いました」
「パリ大会のときはかなり沿道に、もう何重にも重なるぐらいにお客さんが見に来てくれて、壁を叩いて応援してくれるんですけれど。自国の選手に関わらず、世界中の選手たちにパリの皆さんが声援を送ってくださって。すごくレース中も励みになりましたし、この舞台に立ててよかったって皆さんが思わせてくれるようなレースでした」
「そんなに時間がなくて、シャンゼリゼ通りにレース後もう一度行って、選手のみんなとちょっとショッピングをしたりとかしたかなっていう感じですね。初めて私はパラリンピックのときにパリに行ったんですけれど、また観光で改めて行きたいなって思うような、すごく美しい景色が広がった町でした」
◾️ 3年後の2028年に行われる、ロスパラリンピック。出場すれば4大会連続となる。
「そうですね、はい。目指しています。今年の初めに肘に固定していたワイヤーを抜去する手術をしたんですけれども、それが終わって一旦体の状態っていうのをリセットした状態でもありますので。肘も日々良くなってきているので、今年1年はしっかりともう一度、土台となる体を作り直して強化していきたいなと思っているところです」
◾️秦選手に、パラトライアスロンの魅力を聞いてみた。
「障がいを負って不便なこととか諦めてきたことっていうことがたくさんあるんですが……でも、トライアスロンっていう競技を通じて、諦めないで努力を重ねていけば、不可能は可能になるんだ、っていうことを教えてくれる仲間にたくさん出会えたっていうことが、やはりトライアスロンの魅力だと思います」

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