1991年生まれ、福岡市出身の33歳。TOPPAN株式会社所属。中学・高校と野球部で活躍しましたが、2011年1月、19歳のときに事故で胸椎を損傷。車いす生活になりました。その年の夏から車いすで陸上競技を始め、2013年7月、競技を始めて2年で、フランス・リヨンで行われた世界パラ陸上選手権・男子10000mで銀メダルを獲得。その後は車いすマラソンをメインに、2017年は東京マラソンで、2024年はケープタウンマラソンで優勝するなど、国内外の大会で活躍しています。
◾️高校卒業後、社会人1年目の2011年1月、事故で胸椎を損傷。車いす生活に。そんなときに出会ったのが、北京・ロンドン・リオとパラリンピック3大会に出場した車いすランナー・洞ノ上浩太選手だった。
「入院してる病院に洞ノ上選手はちょうど薬をもらいに来てる際に、リハビリ室の先生と売店で洞ノ上さんが会ったようで。で、『今若くて元気なのがいるよ』っていうのをリハビリの先生が声かけてくださって、挨拶しに来てくれました」
「最初は『車いすレースって知っとう?』っていうような形で『楽しいよ』って。『1回やってみたら?』っていう風に声かけていただいたので。まあ嫌な印象もなく、マラソンのきつさっていうのも感じることもなく。興味本位で始めました」
◾️車いすで本格的に陸上をやってみようと思ったきっかけは?
「一番最初に外で走ったときの話になるんですが。長い入院生活で外になかなか出れないなか、いきなり外を走って風をきって、というのが気持ちよくて気持ちよくて、そこから徐々にのめり込んでいった感じです」
「またこれ別の日になるんですけど、下り坂を初めて走ったときに感じたスピード感っていうのが、障がいを負う前に経験したことがないスピード感、爽快感。それが1番、本気で志す大きな決め手になったかなと思います」
◾️渡辺選手は2013年4月から、現在所属するTOPPAN株式会社に入社。当時はアスリート契約ではなく、働きながら練習に取り組んでいた。
「働いてたときにやっぱり1番思っていたのが、1日の中でやりたいことが全てできないもどかしさというか。仕事が終わってからいつも定時で上がらせていただいていたんですけど、すぐ練習しても筋トレと走る練習、どっちか片方しかできないっていう生活がなかなか苦しかったなとは思います。もっと練習したいのに、っていう時期ではありました」
◾️渡辺選手は2013年7月、競技を始めて2年で、フランスのリヨンで行われた世界パラ陸上選手権に初めて出場した。
「やるからには1番になりたいってもちろん思って出場していますし、世界選手権の大会初日、1日目に10000メートルがあったんですけど、そのときの自分の精神状況っていうのがすごく落ち着いていて、周りの選手をそのときも冷静に見ることができていて『あの選手緊張してそうだな』と思いながらニヤニヤしてたりとか。シンプルに大会を楽しめました」
◾️世界パラ陸上選手権では初出場ながら男子10000mで銀メダルを獲得した。
「400メートルのトラックを25周するレースなので、なかなか前半から勝負が動かない。正直、半分ぐらいまではローテーションしながら消費するような流れが多いんですけど、この日もそういう流れで。で、ラスト3週ぐらいで前の方に上がっていって、いいポジションでラストのスプリント勝負っていうところを迎えることができて、結果2番目だったって感じですね」
「ゴールした瞬間、メダルを取れたことに対する喜びはもちろんあったんですけど、時間が経つにつれ、優勝したマルセル選手には何をしても敵わないなっていう悔しさが募ってきましたね」
◾️2017年、渡辺選手は東京マラソン・男子車いすの部で初優勝を飾った。スイスの強豪、マルセル・フグ選手を、同タイムながら振り切っての勝利だった。
「このときは私が好きなレース展開になってくれたって、自分の力でそうできたわけじゃないんですけど。なったっていう形だと思いますね」
「近年、スタートから集団がばらけて、もうどんどんどんどんスピードレースっていうのがあるんですけど、当時は駆け引きが多いなかで、どこかで誰かがアタックをかけて集団を小さくしていくっていう流れだったので。それがうまく決まらず、大きい集団のまんまスプリント勝負まで行ってくれたっていう形で。スプリント勝負には当時から自信を持っていたので。そこでしっかり戦えたなっていう形です」
◾️去年、渡辺選手は9月にシドニーマラソンとベルリンマラソン、10月にシカゴマラソンとケープタウンマラソン、11月にはニューヨークシティマラソンと大分国際車いすマラソンに出場。秋から冬にかけて、国際マラソンレース6連戦に臨んだ。6連戦のうち、シドニーマラソンは準優勝、ケープタウンマラソンでは、初めての出場で初優勝を果たした。
「去年1年間通して今までの競技人生でいい1年かなって思うような走りができていたので。そのなかでこのケープタウン、初めてのコースっていうところで、ケープタウンで2位だった選手と最後までスプリント勝負にもつれたんですけど、彼にはベルリンで負けていましたし、昨年ケープタウンで優勝していた選手だったしっていうところで、しっかり早めのリベンジができてよかったなっていう嬉しさもあります」
◾️2025年の初戦となった3月の東京マラソンでは、4位に入った渡辺選手。優勝は鈴木朋樹選手で、2位と3位は中国の選手。メダルを逃してしまった。
「このときも鈴木選手と西田選手2人に逃げられていて、後ろで追いかける立場になったんですけど。もちろんあきらめずに追い続けたことによって西田選手1人吸収することができて。優勝した鈴木選手は逃がしてしまいましたけど、そういった前から落ちた人、落ちてくる人を吸収しながら走り続ける、っていう走りができた大会ではあります」
◾️3年後にはロスパラリンピックも開かれる。どんなトレーニングを積んでいるのだろうか?
「パラリンピックはもちろん出たいですけど、パラリンピックに出場するためのトレーニングっていうのに偏るんではなくて、自分がどういう選手になりたいかっていうところに今特化しています」
「今年はメジャーマラソンがあと4つ。4つ、ここで表彰台に必ず上がるっていうところを1番の目標にやっています」
◾️渡辺選手に、これからの夢を聞いてみた。
「すごく大きくなってしまうんですけど、1番の目標は障がい者のイメージを変えたいっていうところですね。障がい者イコール大変そうだったり、人によってはかわいそうって思う方もいると思うんですけど。それはそれで、いろいろ見た上でそう思ってるのなら僕はいいと思うんですけど、障がい者っていうのを知らない上で『かわいそう』が出てくるっていうのが残念だなってすごく思うので」
「一括りに障がい者って言っていますけど、健常者と一緒のようにたくさんの人がいますよ、っていうのはまず知ってもらいたいなと思います」
2025.07.28
田村小瑚(パラダンススポーツ)
2001年生まれ、千葉県出身の24歳。4歳のときに発症した病気の影響で、車いす生活に。2020年2月、脊髄を損傷した人が通うトレーニングジムで社交ダンスのワルツを体験...
2025.07.21
辻内彩野(パラ水泳)
1996年、東京都江戸川区生まれの28歳。小学3年生から水泳を始めますが、目の病気で視力が低下。2017年からパラ水泳に転向し、各種目で日本記録を次々...
2025.07.14
高室冴綺(車いすテニス)
1995年、東京都生まれ、埼玉県川口市出身の30歳。先天性の骨の病気のため、高校生の頃から歩行が困難になり、やがて車いす生活に。高校卒業後に車いすテニスを始め、201...
2025.07.07
金尾克(パラ射撃)
1976年、富山県生まれの49歳。YKKライフル射撃部所属。2003年、事故で右腕を失いますが、2022年、40代後半からパラ射撃を始めるとすぐに頭角を現し、翌202...
2025.06.30
池上凪(パラサーフィン/パラクライミング)
1991年、千葉県浦安市生まれの33歳。2012年、6万人に1人の難病を発症。さらに事故で大ケガを負い、右手が不自由になりました。その後サーフィンと出会って2019年...