2000年生まれ、神戸市出身の25歳。5歳から卓球を始めましたが、11歳のときに脳梗塞を発症。右半身にまひが残りました。その後、利き腕ではない左腕にラケットを持ち替え、パラ卓球に転向。運動機能障がい中程度の「クラス8」でプレーをしています。パラリンピックには東京・パリ、2大会連続で出場。3年後のロス大会ではメダル獲得を目指します。
◾️小5のときに脳梗塞を発症。その後意識は戻ったものの、友野選手の右半身はまひ。利き手ではない左手にラケットを持ち替え、再び卓球部に復帰した。
「中途半端なまま終わりたくなかったし、このままで諦めたくなかったからですね」
「右手でやっていた頃にも、遊びでなんですけど、左手で打ったことがあって。始めた卓球部でもう1回始めて。そんな感じでしたね」
「当時はそんなに重い障害だとはあんまり考えてなかったんで、もう1回『またやろう』みたいな感じでやりましたね」
◾️卓球を再開してから、しばらくは健常の選手のなかでプレーをしていましたが、中学生のときにパラ卓球に転向した。
「元々は自分の、自分のコーチと別所キミヱさんが知り合いで、そこから。まあ、パラ卓球という存在は知っていたんですけど、なかなか試合とかにはあんまりたどり着けなくて。それで、試合の情報とかを提供してくださったりして。で、中学2年生か1年生のときあたりに実際に試合に行って、自分も出たいという形になってですね」
◾️努力の甲斐あって国際大会でも活躍した友野選手は、2021年、東京パラリンピック出場が内定した。
「ほんとに1番遅くですね。もう他の選手がどんどん決まっていって、自分たちは最後の段階で決まったかなって思いますね」
「シングルスもまだ決まってなくて、本当に団体戦枠で自分たちが行けるからシングルスも出られるっていう形になって。4月ぐらいに決まりましたかね」
「(結果を待つ間は)このままもし出られなかったらどうしようみたいな。そうですね、すごく不安が大きかったです。(出られる、と聞いたときは)とりあえずほっとしました」
◾️2021年、東京パラリンピック。まず最初に出場した女子シングルスは、準々決勝で中国の選手に敗れ、最終的に5位という結果だった。
「本当にあっさり負けてしまったので、自分が練習していたことが発揮できなくて。悔しい以前に、あっさり終わったなっていう感じでしたね。この選手がパリパラでも優勝したので、やっぱりこの選手がカギになってくるかなって思いますね」
「サーブをたくさん打ってたんですけど、やっぱり相手の回転の変化に対応できずに、やっぱり高いボール打たれたりとか。やっぱりボールが高くなってしまって、打たれたりとか。そういうことから、何もできずに終了っていう場面が多く見られましたね」
「今では5位がプレッシャーになっていて『いつも大事な大会では5位ですね』ってインタビューの方に言われて、めっちゃ悔しいって思って。やっぱり大事な大会で5位っていう成績では終わりたくないな、5位以下もそうなんですけど。……って思っています」
◾️友野選手は女子団体にもダブルスで出場して、こちらも5位だった。東京パラリンピック出場で、友野選手が得たものは?
「中国ってなかなか、団体で移動することが多くて、あんまり大会にも出場しなくて。その選手とやれたことで、今の自分の立ち位置を知ったことですね。それが大きな経験かなって思いますね」
「あとは、国際大会ではメンタル面が崩れて、負けの試合が多かったんですね、自分は。でも、今大会では常にポジティブな言葉とかを自分にかけて、前向きにプレーすることができたことが良かったかなって思ったことですね」
「たとえばミスをしたら、普段あせってしまう自分がいたとしても、言葉を変えるだけで。例えば1個ミスをしたら、オーバーミスをしたら、次、ねかせようとか。小さな気づきからで。今のミスをなくすために、次はどうするかみたいなことを瞬時に変換できる能力を練習のうちから身につけて。そんな感じですね」
◾️東京パラリンピックの後、3年後のパリに向けて、友野選手は新しいコーチとトレーニング方法の見直しを行った。その効果もあり、国際大会で世界ランキング1位の選手に初めて勝利。しかし、去年のパリパラリンピックでは、女子シングルスでまたしても5位に終わった。
「実際には中国の選手とはやってないんですけど。シングルスは結構1回戦とか、今まで勝ったり負けたりしていた選手に、3-0で勝ったり、今までサーブを入れられてなかった選手に、ちょっとでも返そうっていう気持ちで。ふわっとでもいいから返そうっていう意識が強くなって。返せた」
「1回戦はレシーブミスが0だったんですよ。それがまあまあ大きいかな、って思いましたね」
◾️パリで友野選手は混合ダブルスにも出場。岩渕幸洋選手とのペアで9位だった。
「自分は17のクラスに出場して。17っていうのは自分がクラス8、岩渕選手がクラス9、両方足して17のクラスに出場したんですけど。相手が女性が8の割合がすごく全体的にも多かったので。自分たちは割と不利かなって思うような。で、左と右が、ダブルスで言うと組み替えもしやすくて、有利な感じでやって。自分も左右で、相手も左右でやったんですけど。少しやりにくくて。難しかったですね」
◾️パリで友野選手が印象に残ったことは?
「試合後に外に出たときですけど、フランスの子どもたちが駆け寄ってきてくれて「すごい」とか「握手してくれませんか」とか言っていただいて」
「障がい者も健常者も大人も子どもも本当に関係なくて。スポーツについていろいろ考えさせられましたね」
◾️今年目標にしている大会は?
「タイオープンですね。そこで優勝できたらかなり大きいですかね。あと、中国の大会にもおそらくは出場すると思うので。その大会で中国の選手が出てくると思うので。そこでしっかり勝ち切りたいですね」
「今年の10月に本当は本命のアジア選手権があるんですけど、この大会で優勝すれば2026年の世界選手権の内定が得られてっていう感じになります」
◾️友野選手がこれから叶えたい夢は?
「本当にしたいことは、ペットの飼育がしたいです。そんな時間、今にはないと思いますが。今は競技のことに集中して。で、引退したら、飼おうかなって思ってますね」
「長期に渡って国際大会とかに移動していると、体力的にも精神的にも、だいぶ来るところがありますから。今は、温泉だったりとか、入浴剤で自分を満たしたりとか、カラオケに行ったりとか。自分を癒してますね」
◾️友野選手にとって、パラ卓球の魅力とは?
「パラ卓球は自分の人生を広げてくれるものですね。パラ卓球があるから、今のかたたちと繋がれて、未来で待ってくれてる人じゃないですけど、いろんな人たちと繋げてくれる。関わりを繋げてくれるものですね」
2025.06.09
川口功人(デフ卓球)
1999年生まれ、横浜市出身の25歳。トヨタ自動車所属。幼い頃から聴力に障がいがあり、中学から横浜市立ろう特別支援学校に入学したことをきっかけに、卓球を始めました。2...
2025.06.02
友野有理(パラ卓球)
2000年生まれ、神戸市出身の25歳。5歳から卓球を始めましたが、11歳のときに脳梗塞を発症。右半身にまひが残りました。その後、利き腕ではない左腕にラケットを持ち替え...
2025.05.26
辰己博実(パラカヌー/チェアスノーボード)
1977年生まれ、徳島県出身、北海道在住の47歳。アウトドアスポーツが好きで、夏はカヤックやサーフィン、冬はスキーやスノーボードという生活を送っていましたが、2008...
2025.05.19
平林太一(ブラインドサッカー)
2006年生まれ、長野県出身の18歳。1歳のとき、網膜に腫瘍が見つかり、4歳で全盲に。小学1年生のときにブラインドサッカー競技を始め、その後、地元・長野のクラブチーム...
2025.05.12
山田真樹(デフ陸上)
1997年生まれ、東京都出身の27歳。アスリートと俳優の“二刀流”で活躍しています。幼い頃から聴覚に障がいがあり、脚の速さを生かして大学卒業後はデフ陸上の選手として活...