2006年生まれ、長野県出身の18歳。1歳のとき、網膜に腫瘍が見つかり、4歳で全盲に。小学1年生のときにブラインドサッカー競技を始め、その後、地元・長野のクラブチーム、松本山雅B.F.Cに入団。ストライカーとして高校1年生のときに初めて日本代表に選ばれました。2024年、パリパラリンピックに出場。今年の春からは早稲田大学に進学し、競技と両立させながら、2028年のロスパラリンピックでメダル獲得を目指しています。
◾️小学1年生のとき、平林選手は先生のすすめで、日本ブラインドサッカー協会が千葉県で行った「キッズキャンプ」に参加。これがブラインドサッカーを始めるきっかけになった。
「走り回るのが好きだったので、普通に運動というか、スポーツやりたいなっていう感じでやったんだと思います」
「結構何でも挑戦してみるというか、やってみるっていう小学生だったので。サッカーもやったんですけど、夜とかにやったバーベキューとかスイカ割りとか、そっちの方が覚えてるんですよ。まあでも、そこで楽しさを感じたっていうところはあると思います」
「そのキッズキャンプやってから結構、学校とか、あと当時住んでたうちの庭とかで、ボールをめちゃくちゃ蹴るようになって。ハマってしまったというか。部分がありましたね」
◾️平林選手は中学に進むと、地元のブラインドサッカークラブ・FC長野レインボーに入団。FC長野レインボーはその後、Jリーグのクラブ・松本山雅FCの傘下に入り、現在、平林選手が所属する「松本山雅B.F.C.」となった。
「当時の自分は、そんな責任とかっていうのを感じてなくて。もうただ点を入れたかっただけなんで、自由にちょっとプレイさせてもらってました」
◾️中学までは盲学校に通っていた平林選手。しかし、高校は点字で入試を受け、地元の県立校「長野県松本美須々ケ丘高校」に進学した。健常の生徒たちと一緒に高校生活を普通に送る中で、平林選手は1年生のときに、初めてブラインドサッカー日本代表に選ばれた。
「高校1年生になって、結構やれてるみたいな自信はあったので。選ばれた時も、これでやっとスタートラインに立てたというか、代表としてやっていけるんだっていう、そのほっとした気持ちと、これからやってやろうっていう気持ちが強かったですね」
◾️平林選手は2022年に行われたアジア選手権で、日本代表の公式戦に初出場。デビュー戦でいきなり、代表初ゴールを決めた。
「強化指定に選ばれた後に、その大会にはベンチに入れるとは思ってなかったというか。そこに関してはあまり自信がなかったので、とりあえず入れてよかったっていうところはまだありましたけど。その中で点を取れたっていうところに関しては、その先の代表でのキャリアっていうのにも弾みがついたというか、いいスタートが切れたので。すごく大きかったですね」
◾️東京に続き、パリパラリンピック出場を目指していたブラインドサッカー日本代表。2023年11月に行われた「パラパンアメリカン競技大会」の結果で日本の出場が正式に決定。2024年6月、平林選手はチーム最年少で、晴れてパリパラリンピック代表に選ばれた。
「メンバー入りするかどうかっていうところに関しては、家族とか友だちは『多分入るだろう』みたいなそういうテンションでいたんですけど、うーん、自分は全然安心はしてなくて。全然、周りの台頭っていうのもあったので。もう全然、もっと上に行きたいっていう気持ちでトレーニングは積んできてたので」
◾️2024年9月1日、パリパラリンピックのグループリーグ初戦・コロンビア戦に臨んだブラインドサッカー日本代表。結果は0対1。日本はあと一歩のところで、得点が奪えなかった。
「パラリンピックはやっぱり規模感が違いましたね。もうピッチに最初入場するときに、もう緊張がやばくて涙が出てきちゃって、初めてだったんで。周りの歓声だったりとか、そういうのがもう他とは全然桁違いで、すごく緊張ってのはすごく大きかったですね」
「やっぱり自分も含めて、やっぱ攻撃陣の責任というか。全然チャンスがない試合ではなかったので、そういうとこで決めきれなかったことについては、今でもほんとに悔しさが残りますし、今でもちょっと思い出すと、ほんとに気持ちが重くなる試合ですね」
◾️続くモロッコ戦、アルゼンチン戦も、初戦とまったく同じ0対1のスコアで3連敗。トルコとの順位決定戦にも0対2で敗れ、日本は一度もゴールを奪えず、パリを去ることになった。
「その2戦目終わったところで、もうメダル獲得するっていう夢が途絶えてしまったわけですけれども。切り替えないともちろんダメなんですけど、ほんとにいろんな人に申し訳ないなって気持ちがめちゃくちゃ強かったですね」
◾️2028年に行われるロスパラリンピック。3年後に向けて、平林選手が今取り組んでいることは?
「プレーに関しては、1つはパリでも課題となってたやっぱりシュートの部分で。少ないチャンスしかやっぱり強豪国になってくるとないので、その中で決めきれる決定力。そこは今強化してるところですね」
◾️今年5月18日から25日まで、JR大阪駅そばにある「うめきた広場」で「IBSAブラインドサッカー エリートカップ2025 in うめきた」が行われる。世界ランキング上位8位までのチームが出場できる新しい国際大会で、日本、コロンビア、アルゼンチン、タイの4つの国が出場する。
「日本で大会ができるっていうところもそんなに数多いわけではないので。ここで結果を残して、日本の皆さんにそのブラインドサッカーっていうのをもっと広めていけたらいいのかなって思ってます」
◾️3年後のロスパラリンピックでは、大舞台で点を取る姿を見せたいという。
「今ちょっと焦りがあってですね、国際大会2大会連続で得点がないんですよね、自分が。去年の5月にブラジルから1点取ったんですけど、それ以来取ってないんで、もう早く絞り出したいですね」
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