1985年生まれ、広島県出身の39歳。小学校から高校までサッカーを経験。31歳のときに視神経の炎症で視力を失い、33歳からブラインドサッカーを始めます。身長165センチと小柄な体から繰り出す、左右両方の足からの強烈なシュートと、前線からの激しいディフェンスを武器に、2023年5月、38歳で日本代表デビュー。2024年3月、タイで行われた国際大会の決勝で2得点を挙げ、大会MVPに選ばれ、9月のパリパラリンピックにも出場。3年後のロスパラリンピックでは、連続出場とメダルを目指します。
◾️31歳のときに視力を失い会社を退職、家の中に引きこもる日が続いた後藤選手。そんなとき、ブラインドサッカーと出会う。
「ブラインドサッカーと出会ったのは、視力を失って2年後の33歳のときだったんですけども、子供に誇れる父親に、ということで、何か仕事をしなきゃいけないということで、あんま・マッサージの資格を取るために、広島県にある特別支援学校に通うことになりまして。特別支援学校の体育館で、広島にあるブラインドサッカーチームが練習をしていたので。学校に通うことになって、たまたまブラインドサッカーに出会いました」
◾️後藤選手は、35歳から地元・広島で本格的にブラインドサッカーを始めた。
「アフィーデ広島BFCというチームです」
「広島のチームでは、ブラインドサッカーではフィクソというポジションになって。いわゆる11人制のサッカーではディフェンダーのポジションになるんですけども、広島のチームではそのポジションでプレイはしていましたが、育成のほうに行ってからはブラインドサッカーでいうピヴォ、11人制サッカーではいわゆるフォワードのポジションをするようになりました」
「目が見えていたときは、ずっとフォワードをやっていました」
◾️2023年2月、37歳で日本代表の強化指定選手に初めて選ばれた。
「初めて代表参加したときはもちろん、それを目標に。まあ目が見えなくなって以降、ブラインドサッカーを始めてからは本当にそこを目標にずっとやってきましたし、すごく嬉しかったですね」
◾️後藤選手は2023年5月、38歳で日本代表デビューを果たす。
「デビュー戦はですね、ブラジルで行われたワールドグランプリになるんですけども。当時僕はもうまだ控えの選手で、正直そこまでの練習の感じを見ても、僕的には『途中から少しでも出られたらいいな』ぐらいの感じでしたね」
「当時はやっぱりこの日本代表になりたいっていうことは、すごく憧れてサッカーをしてましたので、実際にこうやって自分が日本代表のユニフォームを背負ってプレーできるってことはすごく光栄に思いました」
「初戦の相手っていうのが世界1位のブラジルが相手っていうことで。初めての国際大会で、初めての試合で世界一のプレーをこう体感できるっていうことは、すごくいい経験になりました」
◾️2024年3月、タイで行われた国際大会の決勝で2得点を挙げ、優勝に貢献。MVPにも輝いた。
「僕自身、やっぱり代表に選ばれてからも、ピヴォという得点を期待されるポジションで試合に出していただいていたんですけども、代表に選んでいただいてから、23年の大会は1得点も奪えなくて。非常に悔しい1年間でしたので、得点力に磨きをかけるようなトレーニングを、少し重点を置いてオフシリーズのトレーニングをしてましたので」
「シーズン開けての大遠征、初めての海外遠征で得点を奪ってチームの勝利に貢献できた、っていうことは、その後のパリ・パラに向けて自信になりました」
◾️2024年、後藤選手はパリパラリンピックの代表メンバーに選ばれた。
「当時、パラリンピック出場が決まる瞬間っていうのは、東京で1人でその報告を聞いたんですけども、とても嬉しかったですし、恥ずかしい話ですけども、やっぱりこれを目標にやってきたのもあって、自宅で1人で男泣きをしてしまいました」
「妻もそうですし、あとは本当に僕の1番のサポーターと思ってるんですけども、娘が本当にとても喜んでくれて。『必ずパリにも応援に行くから頑張って』ということで、すごく喜んでくれました」
◾️グループリーグで、日本はコロンビア、モロッコ、アルゼンチンと同じ組になった。注目の初戦、日本はコロンビア相手に善戦したが、0対1で惜しくも敗れ、2戦目はモロッコに0対1、3戦目もアルゼンチンに0対1とゴールを奪うことができず、日本は3連敗でグループリーグ敗退となった。トルコとの7位決定戦でも0対2で敗れ、日本は8位で大会を終えた。
「パラリンピックに出てみて、収容人数がスタジアム1万3000人っていうことで、すごく大きくて。日本では味わえないような歓声の中でプレーをさせていただいて。多くの方の歓声を浴びてプレーができるっていうところに喜びを覚えましたし、いつか日本でもこういう大きな歓声を浴びながら、本当に1スポーツとして見て頂いてプレーができる日が来ればいいなと思います」
◾️日本代表が、ロスパラリンピックに出場するための条件は?
「東京パラリンピックに、開催国枠ではありましたけども初出場。そして24年のパリ大会は予選を初めて自力で突破しての出場。で、次、今度28年ロスに関しては、来年アジア予選がありまして。まだこのアジア予選を勝ち抜いてのパラリンピック出場っていうのはありませんので、今はチームとしてはこの来年行われるアジア予選に優勝して、ここでパラリンピックの出場権を取るというところを目標にやっています」
◾️今年2月、後藤選手は広島県サッカー協会が選ぶ「HiFA AWARDS 2025」で年間最優秀選手賞に選ばれた。
「この2年間は広島のチームに所属をして活動はしてはいましたけども、ほとんど東京を拠点に活動をしていたので、こうやって広島県から表彰していただけるっていうことは、やっぱり広島県から、広島の人間だと理解して、応援してくださっているんだなっていうことをすごく実感できましたので。広島県のサッカーの発展に貢献できるように、頑張っていきたいと思います」
◾️後藤選手に、今後の夢を聞いてみた。
「もちろんロスのパラリンピックでメダルを獲得するというところっていうのは一番大きなところではありますけども、ブラインサッカーの普及。もっともっと皆さんに知っていただくっていうところにも力を入れてやっていきたいなと思っていまして、その1つがですね、今後広島を拠点にしてブラインドサッカーのトレーニングをしていくっていうところにも繋がってくるかなと思います」
「ブラインドサッカーの日本代表として活動していく上では、東京に出てきて、レベルの高いところでトレーニングを積むっていうことがやっぱり、すごく重要だなと僕自身も実感はしていますけども。東京にいなくても、地方からでも高いレベルで練習がしっかりできて、日本代表になれるんだっていうところを、しっかり次のロスで、結果で、それを見せることで、地方からでも日本代表として立派にやっていけるんだということを見せていきたいなと思います」
「年齢でいうと、前回のパリパラリンピックの体制では最年長で言うと46歳がいましたので。年齢を理由に『もうサッカーができない』っていうのは言い訳になってしまうかなと自分では思っています」

2026.01.19
槙原淳幹(身体障がい者野球・日本代表主将)
1989年生まれ、岡山県出身の36歳。生後10カ月のときに事故で右腕が動かなくなり、左手で生活しています。小学3年生から左手だけで野球を始めると、高校時代には軟式野...

2026.01.12
大日方邦子(ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会 日本代表選手団団長)
1972年生まれ、東京都出身の53歳。3歳のときに事故で右足を切断、左足にも障がいが残りました。高校2年生でチェアスキーと出会い、日本代表として活躍。冬季パラリンピッ...

2026.01.06
増田明美(日本パラ陸上競技連盟会長)
1964年生まれ、千葉県出身の61歳。現役時代は陸上の長距離選手として活躍。1984年、初めて女子マラソンが採用されたロス・オリンピックに出場しました。1992年...

2025.12.22
吉田彩乃(パラ陸上・車いす)
2006年生まれ、横浜市出身の18歳。先天性の脳原性まひのため両脚に障がいがあり、車いすで生活しています。中学2年生から本格的に車いす陸上を始め、2023年、高校2年...

2025.12.15
森井大輝(パラアルペンスキー・座位)/村岡桃佳(パラアルペンスキー・座位)
●森井大輝選手 1980年生まれ、東京都あきる野市出身の45歳。トヨタ自動車所属。4歳からスキーを始めますが、16歳のときに事故で脊椎を損傷。その後、座って滑るチェ...