2000年生まれ、愛媛県松山市出身の24歳。高校1年生のときに先天性の網膜色素変性症と診断されましたが、高校時代は三段跳びの選手として活躍。大学4年生のときにパラ陸上に出会い、視覚障がいクラスの走り幅跳びに転向しました。スピードのある助走と滞空時間が長い跳躍を武器に、2023年4月、日本選手権で日本新記録をマーク。7月には世界パラ陸上で4位に入賞。注目の存在になりました。2024年5月に神戸で行われた世界パラ陸上で銀メダルを獲得。開会式で日本選手団の旗手を務めたパリパラリンピックでは、5位に入賞。3年後のロスパラリンピックではメダル獲得を目指します。
◾️大学4年生のときに、パラ陸上と出会った石山選手。
「知り合いのガイドランナーのかたに、視覚障害でも出られる競技があるっていうことを教えてもらったのと、パラ陸上に対して、全盲の人が出るっていうものだと勝手に思い込んでしまっていたので、弱視の選手でも出られるということを知って『じゃあやってみようかな』というので、パラ陸上のほうに転向しました」
◾️クラス分けを受け、3段階のうち真ん中のT 12クラスとなった石山選手。順天堂大学の大学院に進学してから、パラ陸上へ転向した。
「パラ陸上のほうに、高校時代にメインにしていた三段跳びがなかったというか。パラリンピックの正式種目になかったので、跳躍競技をしたいなということで、走り幅跳びに転向しました」
「やっぱり違う部分はあるんですけれども、助走のリズムだったりとか、組み立て方っていうのはすごく似ているので。そこに関しては三段跳びをやっていてすごくよかったなと思っています」
◾️石山選手は競技を始めてすぐ、2023年、最初に参加した国際大会・ワールドパラアスレティクス・グランプリ、ドバイ大会で優勝する。さらに日本選手権、ジャパンパラ陸上でも優勝し、注目の存在になった。
「日本選手権、ジャパンパラと、優勝させていただいたときに、もともとパラ陸上を始めるときから、世界でどういったレベルで戦えるのかな、ということを意識してパラ陸上の方に転向したので。日本でしっかり勝ち切れたってことはすごく嬉しかったですし、この後、世界選手権だったり、パラリンピックだったりっていう大きな試合が控えている中で、自分の実力が発揮できたのはすごく良かったかなと思っていました」
◾️さらに、世界パラ陸上・パリ大会でも4位に入賞。杭州アジアパラ大会でも100mと走り幅跳びで銅メダルを獲得した。
「世界選手権のパリに出たときは、自分の中ではしっかりと、やっぱり自己ベストを更新するぞ、という思いで出場したんですが、なかなかそういった記録は出ずに『難しい部分だな、海外での試合に対してもまだ苦手意識があるな』という形だったんですけれども、最低限の目標であるパラリンピックの枠取りである4番に入賞できたのはすごく良かったなと思いますし……ギリギリですけど目標達成できたなと思いました」
「アジア大会のときは、100メートルのほうでもメダルを取れたっていうのはすごく嬉しかったですし、走り幅跳びをやるにあたって、助走のスピード感っていうのは絶対に大事になってくる部分だと思うので。100メートルのほうでもしっかりとメダルを獲得できたっていうのは、このアジア大会ですごく自信に繋がった部分かなと思います」
◾️去年の5月には、神戸で世界パラ陸上が行われた。
「自国開催ということで、すごく日本パラ陸上競技会、盛り上げていただきましたし。ここの試合に対して自分の中でもピークを合わせられるなと思っていたので、それに関してすごく結果が出たっていう部分でも、応援していただいたって部分でも、良かったなと思います」
「家族も結構来てくれましたし、特に子どもさんが結構スタンドに詰めかけてくださって。『だいきー!』って応援してくれました」
◾️神戸の走り幅跳び決勝では、3回目・4回目の跳躍で、自己シーズンベストの記録を伸ばした石山選手。最後の6回目ではスタンドに手拍子を求め、自身の日本記録を更新する7m08を跳び、銀メダルに輝いた。
「ここ一番盛り上げたい時は、お客さんの力も必要かなと。お客さんの応援に助けていただきたいな、ということを思うので。6本目、しっかり手拍子お願いして、お客さんと一体になって盛り上がって、日本記録が出たので。1センチだけでもそこを更新できたのはすごく良かったかなと思います」
「7メートル08っていう記録にまず喜んで。順位はしっかりはわからなかったんですけど、コーチのほうから『2番だよ』ということを教えてもらって。『おお、良かったな』と思ったら、ちっちゃい子がその横からカツカツ、カツカツって歩いてきて『後でメダル見せてね』って。『おー、わかった!』と思って……そういうこともありました」
(結果を残せたのは)やっぱり一番はお客さんの応援がすごく、地獄開催ということもあって、温かかったことが一番かなと思いますし、そこの応援に乗って実力を発揮できた部分もすごく自分の自信になったので、それが一番良かったかなと思います。
◾️パリパラリンピックで石山選手は、コンコルド広場で行われた開会式で旗手を務めた。
「パラリンピック前に、旗手どうですか、というお話をいただいて。もう2つ返事で『やらせていただけるならお願いします』ということでお願いしました」
「本当に、コンコルド広場に入ったときも、フランスのお客さんが『ジャポネ、ジャポネ』っていうことを結構言っていただいて。それに、こう旗を振って応えると、すごい大盛り上がりしてくれたので。本当に楽しかったですし、本当に貴重な経験をさせていただいたなと思います」
◾️1回目の跳躍はファウルでしたが、3回目で6m75をマーク。この時点で順位を4位に上げた。
「自分の中では本当に1回目の跳躍がすごく良かったので、ファウルだったのは残念だったんですけど。3回目で6メートル75っていうことで、本当であればやっぱりもう少し記録を上げときたいなっていうので。なかなか1回目から3回目は、自分の中ではうまくいかなかったかなと思っています」
「ほとんど記憶がないんですよね。悪かったことは忘れようということはあって。あの、反省しないといけない部分はすごく反省するんですけど、試合の流れとしてはすごくあまり良くなかったことを覚えていて……」
◾️逆転でのメダルを目指した最後の跳躍で、石山選手は記録を伸ばせず5位で終了。メダル獲得はならなかった。
「順位っていうことはなかなか自分の中ではもちろん満足いくものではなかったですし、記録も満足いくものではなかったんですけれども、パラリンピックの雰囲気を、まず知れたのはすごく大きかったなと思いますし。今後の大きな大会に向けても、すごく収穫のある試合になったと思います」
◾️石山選手が目標にしている大会は?
「2025年シーズンでいくと、9月末から10月頭にかけて、インドのほうで世界選手権があるので、そこでしっかりと2大会連続でまずメダルを取ることと、自己ベストを海外で出せるようにすること。まずそこ2つが今シーズンの目標になるかなと思います」
◾️石山選手にとって、走り幅跳びの魅力は?
「パラ陸上の走り幅跳びの魅力は、特に健常の選手と比べても、義足の選手が競技をしていたり、僕らみたいな視覚障害の選手が競技をしていたりっていうことはあるので、そういったことがまずパラ陸上の魅力かなと思いますし……」
「走り幅跳びに関しては、神戸の僕の試合とかもあるんですけど、やっぱり6本目に逆転勝ちっていう、100メートルだったりとかトラック競技にはなかなかない部分の魅力もあるかなと思うので、そういったところに注目して、これからもご声援いただければすごく嬉しいなと思います」
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