2006年生まれ、岐阜県多治見市出身の19歳。小学6年生のときに右股関節の関節炎が悪化して、大腿骨骨頭壊死を発症。骨の一部を取り除き、下半身に障がいがあります。2022年、パラアイスホッケーと出会い、東海アイスアークスでプレー。持ち前の運動神経で、2023年、競技歴わずか1年半あまりで、当時高校生ながら日本代表に選ばれます。2023年10月に行われた世界選手権Bプールでは、日本の金メダルに貢献。来年、イタリアで行われる冬季パラリンピック出場を目指します。
▪︎小学6年生で、関節炎が悪化していることが判明。骨の一部を取り除く手術を受けることになった鵜飼選手。手術の結果、自力で歩くことはできたが、走ることはできなくなった。そんなとき、パラアイスホッケーと出会う。
「スポーツ庁が運営しているJスターprojectというのに応募して、パライスホッケーに出会いました」
「他にはあと、ボートをやってみようと思っていましたが、諦めました。一番大きかったのは、拠点が遠かったっていうのと、あと障がいが僕は軽い方なので、枠というか、パラリンピックに出られる障がい具合に合わないということで、ボートは諦めました」
▪︎本格的にパラアイスホッケーを始めた鵜飼選手。下半身に障がいがある選手が、スレッジと呼ばれるそりに乗り、両手に短いスティックを持って戦う。
「昔からやっぱり柔道をやっていて、体の使い方というか、似てる部分は少しあるのかなと興味を持ったのと、障がい者スポーツですけど、非常に激しいボディーチェックというところに惹かれてやってみたいと思いました」
「体育館の方で体験的にスレッジに乗せてもらいました。いつも使ってるスレッジとは違うんですけど、 その刃のところがローラースケートになったやつで体験してみました」
▪︎2023年、競技歴わずか1年半あまりで、日本代表に抜擢された鵜飼選手。当時はまだ高校生だった。
「正直、めちゃくちゃ驚きました。やっぱり1年半ぐらいで日本代表として海外に行って試合に出るっていうのは、僕の両親とかも想像してなかったりして、僕自身も想像してなかったので、非常に驚きました」
▪︎2023年10月、カザフスタンで行われた世界選手権Bプール。ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季パラリンピックに向けた重要な大会で、6ヵ国が参加した。日本は目標通り、5戦全勝で金メダルを獲得。3大会ぶりのAプール復帰を決めた。
「もう初戦のイギリス戦で、途中にあまり出てはないんですけど、 1ピリオド、2ピリオド、3ピリオド、各3分ぐらいですかね……に出させてもらいました。初めて出させてもらって、ちょっとしたときぶつかったときに、海外の選手との体格差というのをすごい感じました」
「ひっくり返りました。ちょっとびっくりはしたんですけど、まず冷静になって立ち上がって、プレーに戻りました」
「あとは最終戦のフィンランド戦ですかね。フィンランド戦でかなり試合に時間としてすごく出させてもらって、シュートまで行けたり、めちゃくちゃいい経験になりました」
▪︎去年の5月に、カナダのカルガリーで行われた世界選手権Aプール。しかし、勝てば残留が決まる韓国とのプレーオフに敗れ、Bプール降格が決定。イタリアとの順位決定戦にも敗れて8位となりました。
「Bプールの時とまたスピード感とかが全然違うので、それにやっぱりスピード感に慣れるという意味では、ものすごいいい経験になったのかなと思います」
「チーム全体で言えば、シュートに持っていくまでの攻めと、あとシュートの質とか、あとスピード感っていうのを上げていかないといけないのかなと思います」
▪︎いよいよ来年に迫ったミラノ・コルティナダンペッツォ冬季パラリンピック。パラアイスホッケー日本代表が出場するための条件は?
「まず、世界選手権Bプールで上位3位以上に入る。そしてその後の最終予選で、5チーム中の上位2位に入ることが条件です」
▪︎来年に向けて、鵜飼選手の目標は?
「今はまだスピードをまず上げていかないといけないなとは思ってます。腕の筋力アップとか、逆にスレッジの乗り方とかもトレーニングしてしています」
「普段の筋力トレーニングとかで筋力をアップをしています」
▪︎ミラノ・コルティナダンペッツォパラリンピックに向けて、鵜飼選手に抱負を聞いてみた。
「まず日本チーム、平昌大会からパラリンピック出られてないので、しっかりと最終予選と世界選手権で勝ち切って、必ずパラリンピックの切符を取りたいなと思います」
「ジャパンチャンピオンシップで自分も何回かシュートチャンスあったんですけど、そこで決めきれずに終わっているので、しっかり自分で点を入れて勝ち切りたいなと思っています」
▪︎鵜飼選手に、今後の夢を聞いてみた。
「まずは日本代表の選手の軸になって、そしてパラリンピックも3大会とか出る選手になって、記憶に残るというか、みんなが知ってるような選手になりたいなと思います」
「やっぱり障がい者スポーツではあるんですけど、激しいボディチェックってやっぱり他のスポーツではあんまりないことだと思うので、障がい者スポーツらしくないところに魅力があるのかなと思います」
「僕のやっぱりストロングポイントが、激しいボディチェックで。相手をふっと飛ばしてしまうようなボディチェックなんで、そこに注目してほしいなと思います」
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