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2025.01.06

一ノ瀬メイ(パラリンピアン、モデル、スピーカー)

1997年生まれ、京都府出身の27歳。生まれつき右腕が短いなか、1歳半から水泳を始め、2010年、当時史上最年少の13歳でアジアパラ競技大会に出場。銀メダルを獲得しました。近畿大学在学中の2016年、リオパラリンピックに出場。現在も、自由形・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライの日本記録を保持しています。2021年に現役を引退後は、自身の思いを伝える「パブリックスピーカー」やモデル、俳優業など、様々な分野で活動を続けています。

◾️先天性右前腕欠損症のため、生まれつき右ヒジから先が短い一ノ瀬さん。幼い頃に水泳を始めたきっかけは?

「私が1歳半の時に、たまたま家の近所に京都市障害者スポーツセンターという、障害のある人とその家族が無料で使えるスポーツ施設があって連れて行ってくれたのがきっかけで、プールに通うようになったので。自分で最初から選んだというよりは、プールに行くっていうのが当たり前な環境で育ったという感じです」

◾️2012年のロンドンパラリンピック出場を目指した一ノ瀬さんでしたが、惜しくも選考漏れ。このとき、競泳をする意味を改めて自問自答したそうだ。

「1年間ぐらい、そもそもなんで自分は水泳をするのかとか、アジア大会でメダルも取って、日本記録保持者にもなって。でもなぜこれ以上高みを目指すのかっていうことを本当に1年間考えに考えた結果、自分の中で出た答えっていうのが、その後の自分の競技人生の一番の目的になったんですけど……それはやっぱり、そこまでは自分が人になめられたりとか、できないと決めつけられたりとか、悔しい出来事とか悲しいこととか、そういうことから守ってくれるのが自分にとって水泳で」

「でも、中学2年でアジア大会でメダルも取って、日本記録も残したら、そうやってなんか舐められることって確実に減っていって。自分を守るための水泳だったらこれで十分なのに、自分はそれで守れるようになったとしても、やっぱりまだまだ社会には、目に見えるものであったとしても、目に見えないものであったとしても、人との違いを抱えていて、何かしら生きづらさを感じている人がまだまだきっといるだろうなって考えたときに、なんか今度はそういう人たちを守れるように水泳をしていきたいなっていう風に思いました」

◾️4年後の2016年、近畿大学在学中に、一ノ瀬さんはリオパラリンピックに出場。ついに長年の夢を叶えた。リオでは個人・団体含め8種目にエントリーした一ノ瀬さん。100m自由形では自己ベストを更新したが、個人6種目では決勝に進めず、メダルには手が届かなかった。リオで得たものは?

「なんかパラリンピックに出場した途端、ここが本当のスタートラインだったんだなって、感じさせられるくらい、まずそこに行かないと何も始まってなかったんだなって思うくらい、なんかこう別次元の大会だったというか。ここがスタートラインで、もっと高みがあって、もっとすごい世界に足を踏み入れてしまったな、みたいな。なんかこう覚悟を感じる瞬間でもあったなと思います」

◾️コロナ禍による1年延期もあり、東京パラリンピックへの出場は叶わなかった。大会終了後の2021年秋、一ノ瀬さんは突然引退を発表。当時24歳、まだまだやれるという声もある中、引退を決断した。

「もう本当に100パーセントやりきった、スポーツ界というものの中で、もう自分の役目は全うしたなっていう風に思いましたし、スポーツ界の外でやれることをやってみたいっていう風な思いがすごく強かったので。次に進みたいっていうのが一番大きかったなと思います」

◾️現役引退後、一ノ瀬さんはパラ水泳の解説者やスポーツ番組のリポーターなど、競技関係の活動以外にファッション雑誌のモデルや俳優としても活躍。なぜそちらの方面でも活動しようと思ったのだろうか?

「私自分のこう表現したいことがまずあって、その目的を叶えるための手段として水泳に取り組んでいたっていうのが大きいので。その水泳っていう手段を使ってできる表現をやり切ったってなったときに、次はどういう手段で同じ目的に向かって歩みを続けていこう?って考えたときに、アスリートとしてモデルをさせてもらったことは何回かあったんですけど。そのモデルっていう仕事をさせてもらったときに、なんかすごいいい表現方法だなって思って」

「水泳をやっていた頃から、水泳を通して表現できることと、あとはやっぱり言葉を使ってじゃないと表現できないことの両方があるなってずっと感じていて。 引退して次に行くっていう風になったときに、モデルっていう職業と出会って。これがまた次、言葉を介さない、言語を必要としない表現方法として、すごい面白いなって思いましたし……」

◾️また、一ノ瀬さんは自身の思いを伝える「スピーカー」という肩書きでも活動。学校や企業・団体での講演活動を行っている。スピーカーとして活動する際に、一ノ瀬さんが心掛けていることは?

「私は、そのスピーカーの仕事で一番大事にしているのは質疑応答の時間で。この前、三重県の中学校でお話をさせてもらったんですけど、いただいた質問で、どちらかっていうと私の講演の内容とは違う意見が生徒から出てきたときに、私はもちろん自分とは違う意見に対して否定はせず、その人がそう思っているという事実を受け止めた上で、自分の気持ちをお返ししたんですけど……」

「それを見ていたその中学校の先生が、そのやり取りを見て『一ノ瀬さんは普段から人との違いとかそういうものを、自分が普段から講演で話しているような内容を、本当に普段から体現してきている方なんだなって伝わりました』って言ってくださって。自分の思ってることと、言ってること、やってることを、1本の線に繋げるっていうのは、すごい表現者として大事にしていることなので。それを受け取ってもらえたっていうのは、すごい嬉しい出来事でした」

◾️一ノ瀬さんは、今年引退した義足のジャンパー・山本篤さんの勧めで陸上競技に挑戦。パラ陸上の大会にも出場して話題になった。

「『陸上に来なよ』ってすっごい誘われていて。会う度に『陸上に向いている体だ』とか『1回走ってみろ』とか、なんかすっごい誘ってくださっていて。で、もちろん、私は水泳選手で、 本当に水泳に長い時間費やしてきていたので、そこからいきなり陸上に転向するっていうことは1度も考えたことがなかったんですけど『水泳引退したらしいね。そろそろ走る?』って一言連絡が来て。どういう形かはわからないけど、そろそろまた日常に運動を取り入れたいなって思っていた時期でもあったので、篤さんが練習を組んでくださって、1回一緒に京都でトラックで走って。そこから何回か陸上の試合に100メートル で出場しました」

◾️今年のパリ・パラリンピックを、現地へ視察に行った一ノ瀬さん。パリで印象的だったことは?

「パリ・パラリンピック期間中、本当にいろんな競技、いろんな会場を実際に現地で回って。もう会場の盛り上がりが本当にパリはすごかった。なんか盛り上がり方を知ってるっていうか。パラの応援の仕方を知っているというか。観客がこれだけ盛り上がってるパラリンピックを見てしまうと、余計やっぱり東京、無観客悔しかったね、って思っている選手も今回は特に多かったなと思うんですけど、オリンピックの後に開催されるパラリンピックでも盛り上がっていたっていうのがすごい、私も見ていて感動しました」

◾️日本も同じようになるためには、何が必要なのだろうか?

「すごい難しいなと思うんですけど、やっぱりパラスポーツをスポーツとして面白がる人が増えていくっていうのが大事なことなのかなと思っていて。選手のファンっていうのは少しずつ増えている。でもなんかそれは、パラスポーツ、その競技自体のファンに繋がっていって、その競技のファンが獲得されることでパラスポーツっていうのはもっともっと大きくなっていくんじゃないかなと思っていて。私自身もそうですけど、やっぱり私のことを応援してくださる方がたくさんいて、それは本当に感謝しているんですけど、でもやっぱり選手は引退するときが絶対に来るので。そこから、選手を入り口として競技の魅力を知っていただいて。そこにファンが定着していくと、また違う世界が見えるんじゃないかな、と私は思っています」

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