1985年生まれ、福島市出身の39歳。小学3年生からサッカーを始めますが、高校生の頃から目の病気によって徐々に視力が低下。19歳のときにブラインドサッカーと出逢い、2007年、日本代表に初めて選ばれました。以後、2021年まで日本代表として様々な国際試合に出場。「カトケン」の愛称で親しまれました。現在は埼玉T.Wings(ティーウイングス)のキャプテンとして活躍中です。また、全国の盲学校を訪問する「カトケンプロジェクト」を立ち上げたり、今年のパリパラリンピックでは、日本代表戦のテレビ解説も務めました。
◾️加藤選手がサッカーを始めた理由は?
「自分が小学校低学年の頃にJリーグが始まって、そのJリーグの試合を見てですね、いつか自分もサッカー選手になりたいなとか、Jリーガーになりたいなっていう夢を持って、小学校3年生からサッカーを始めました」
◾️ところが高校生の頃から加藤選手は徐々に視力が悪化。診断の結果は「レーベル遺伝性視神経症」という目の難病だった。そんなとき、視覚に障がいがあってもできるサッカーがあると知った加藤選手。引きこもり生活から抜け出し、前向きに生きようという気持ちを持てるようになった。ブラインドサッカーに出会ったきっかけは?
「自分はこれから先、何もできないんじゃないかと家に引きこもっていたんですけども、自分の両親は違っていて『健人にも何かできることあるんじゃないか』といろいろと探してくれました。その中で見つけてくれたのが、このブラインドサッカーというスポーツでした」
◾️さっそく、自分でも実際にプレーしてみた加藤選手。本格的に取り組んでみようと思った理由は?
「体験と見学が終わった後に、そのチームの方々が一緒にやろうと誘ってくれてですね。やっぱり誘ってくれたことが嬉しくて。自分はこれから先、何もできないんじゃないかなとか、自分なんて必要ないんじゃないかとか、そういう風に思っていた時期だったので、もしかしたら自分の居場所はここなんじゃないかなと思うことができたので。それがきっかけでブラインドサッカーをやろうと思いました」
◾️加藤選手はブラインドサッカーを始めてすぐに関東リーグの新人王に輝いた。どんなところが評価されたのだろうか?
「試合に出てゴールを取ることができたからだと思いますね。特に最終節は3点を取ってですね、試合を終えることができたので、そこを評価してもらって新人賞をいただけたんじゃないかなと思います」
◾️加藤選手は2007年、プレーを始めて3年目、大学3年生のときに初めて日本代表に選ばれた。日の丸を背負って戦うことになった心境は?
「ブラインドサッカーを始めてから、やっぱり日本代表になりたいっていう夢を持って練習したり、試合に出たりしていたので、その夢が叶ったというところはとても嬉しかったですし。ちょっとJリーガーとは違うかもしれませんが、子どもの頃からの夢が叶ったんじゃないかなと思ってます」
◾️初の国際試合は、韓国で行われた北京パラリンピック・アジア予選。大舞台への出場を懸けた重要な大会だったが、残念ながら日本代表は、出場権を獲得することはできなかった。
「初めて飛行機に乗って、初めて海外に行って、何もかもが初めてで。初めての国歌斉唱、やっぱりそれが1番印象に残ってますね。みんなで歌って、すごい鳥肌が立ったことを覚えています」
「夢、目標を持った時に日本代表になりたいっていうとこだったんですね。1つそこが叶ったってのが良かったんですけども、でも結局、日本代表になってどうなりたいかっていうのが大事だったんじゃないかなって思うようになりました」
◾️2009年に行われたブラインドサッカー・アジア選手権は、日本で行われた。日本でブラインドサッカーの国際大会が開催されるのは、これが初めてのことだった。
「ブラインドサッカー自体がですね、まだまだ知られてないスポーツだと思うんですけども、でも、そんな中でも応援に来ていただいたり、サポートしていただいたり。それをとても実感できた大会だったんじゃないかなと思います」
「なかなかブラインドサッカーを生で見る機会っていうのは少ないので。驚きというか、すごさというか、やっぱりそういう感想というのは多くもらいましたね」
◾️その後、国際大会で主力選手として活躍するようになっていった加藤選手。世界と戦う自信がついた大会は?
「2014年に東京で世界選手権が行われたんですけども、そこで初戦パラグアイに勝利することができて。で、世界選手権初の勝利ができたんですね」
「戦えたっていう実感としては、組織で守る4人の選手がですね、ダイヤモンドの形になって、1人に1人当たりに行ったら、他の選手たちはフォローに入る……お互い声をかけ合いながらポジションを取って組織で守るってとこができて。日本代表としてのきっかけとしては大きかったかなと思います」
◾️2021年、ブラインドサッカー日本代表が開催国枠で初めてパラリンピック出場を果たした東京大会。加藤選手は残念ながら代表から外れてしまった。日本のブラインドサッカー発展のために、何か貢献したかったという加藤選手。今年のパリパラリンピックでは、テレビ中継の解説を担当した。解説をするにあたって、心掛けたことは?
「ブラインドサッカーの良さとして、選手、ゴールキーパー、監督、ガイドの声の掛け合い。あとはボールを持っている選手だけではなくて、もっと他の選手にも見てほしいなと……それをどう伝えるかっていうのを考えて解説を行おうと思いました」
「1つ、ブラインドサッカーの良さとしては、見える見えないとか障がいは関係なく、お互い声をかけ合って協力しながら行っているところなので。実況、解説っていうところも、見える見えない関係なく、一緒になって伝えることができたっていうとこでは、ブラインドサッカーにも通じるものがあるんじゃないかなと思います」
「すごい良かったとか、わかりやすかったとか、なんかそういう声がとても多くて。知ってる方々だけではなくて、SNSとかにも感想を書いてくれてる方々もいてですね。とても嬉しかったですし、自信になって、次の試合も解説頑張ろう、という気持ちになりましたね」
◾️加藤選手は現在、埼玉T.Wingsでキャプテンとしてプレーをしている一方で、普及活動にも熱心に取り組んでいる。全国の盲学校を訪問する「カトケンプロジェクト」を立ち上げた。
「障がいあるなし関係なく、誰もが共に生きる当たり前の社会を実現することってのをビジョンにしているんですけども。例えば障がいのない方々、学校だとか企業だとかイベントとかでそういうお話をしたりだとか、体験を通して伝えたりしてるんですけども。それだけではなくて、視覚に障がいがある方がより外に出て、より混ざり合っていくんじゃないかなと思ってるので」
「一歩踏み出すことの大切さ、挑戦することの大切さ、そういうのを伝えていって、もっともっとみんなが外に出ていってくれたら嬉しいなという思いで活動を行っています」
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