1987年生まれ、東京都出身の37歳。小学生のときからアイスホッケーを始め、高校から単身、アイスホッケーの本場・カナダへ留学。その後アメリカの大学を卒業して、2014年からはフランスでプロ選手としてプレーしました。2020年に帰国して、横浜グリッツに入団。2021年に現役を引退して指導者となり、アシスタントコーチを務めました。2023年4月から、パラアイスホッケー日本代表コーチに就任。2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季パラリンピック出場を目指して代表選手を指導しています。
◾️中学を卒業後、単身カナダに留学した宮崎さん。高校からいきなり、アイスホッケーの本場でプレーしようと思った理由は?
「僕が始めたのがすごく遅かったんですね。で、同じ環境でひたすら練習しても一向にその差は埋まることがないなって思ったのがきっかけで、カナダへの留学というのを考え始めましたね」
◾️カナダの高校を出た後、宮崎さんはアメリカのフランクリン・ピアース大学に進み、首席で卒業。大学卒業後は、フランスのチームでプロのアイスホッケー選手としてプレーするようになった。
「大学の時にチームメイトから、悪質に膝を逆に曲げられるような当たり方をされまして、靭帯を損傷しまして。復帰は難しいという風にお医者さんから言われまして」
「で、リハビリしながら夢が諦めきれなくって。世界中に全部のチームに履歴書みたいのをバーっと一斉に送って、それでその中から返ってきたところの中の1つに、フランスがあったという形ですね」
◾️フランスでの試合で、宮崎さんにとって忘れられない出来事がある。
「クリスマスぐらいの試合かな。足に鉄のフレームみたいのがついている靴を両足に履いてる子どもがいまして。ぼくのプレーを見て、『手術してリョウと一緒にスケートがしてみたい』って言われて。必死に何かがんばっていたら誰かのためになりうることもあるんだなっていうのは、僕にとってすごく大きかったです」
◾️フランスでプレーしていた宮崎さんは、コロナ禍もあって2020年日本に帰国。横浜グリッツでプレーしたが、故障し現役を引退。指導者に転向する。パラアイスホッケー日本代表を指導するようになったきっかけは?
「試合会場にVIPルームがありまして。引退して、VIPルームで色々チームのお手伝いをさせていただいていたんですね。ホッケーの説明をしたりとか、色々していたんですが。そこにたまたま現監督のパラアイスホッケー日本代表監督の中北がたまたま来まして」
「で、ぼくが偉そうに『ぼくがコーチだったら絶対こういう風なプレーをして』みたいな、自分なりのホッケー論をさんざん語ってしまいまして。そしたら『お前面白いな』と言ってくださって『お前、おれの後を継げ』という風なお言葉をいただいて、今に至っています」
◾️パラアイスホッケー日本代表はチーム強化のため、2022年から元カナダ代表のブラッドリー・ボーデンさんをハイパフォーマンスディレクターとして招いた。
「ブラッドリーが来て、各々に合う、こういう技術はこういう風に考えるといいんじゃないかとか。各々その選手1人1人に参考書を作ってくれる、じゃないですけど、そういう技術面でものすごく、向上させるのに貢献してくださっています」
◾️パラリンピック出場を目指すパラアイスホッケー日本代表にとって重要な大会が、世界選手権。2023年10月、カザフスタンで行われた世界選手権で、日本代表は当時Bプールで戦っていた。Bプールに出場したのは、日本・スロバキア・スウェーデン・フィンランド・イギリス・カザフスタンの6チーム。総当たりのリーグ戦の結果、日本は5戦全勝でAプール昇格を決めた。Bプールとはいえ、世界選手権で全勝優勝を飾ったことは、日本代表にとって大きな自信になった。
「正直、僕は『やった!』っていう気持ちが一番強かったんですけども。ぼくなんかもずっと長い期間、一生懸命頑張って来てくださったそのマネージャーさん、スタッフさん、トレーナーさん、もう本当に。それに監督の中北だったりが感極まって、皆さん泣いて喜んでるのを見て、ぼくもちょっとグッと来まして。気づいたらぼくも泣いてましたね」
◾️今年5月にカナダのカルガリーで開催された、世界選手権Aプール。予選リーグ3位で、プレーオフに回った日本。残留のために落とせない韓国戦は1対5で敗れ、日本は8位に終わり、Bプールへ降格となった。この世界選手権で見えた課題は?
「根本的に基礎技術と、ホッケーIQっていう部分で、BとAは全く違って。Aの水準には、勝てるチームとしての水準には至ってなかったっていう部分はあるかなと」
◾️2026年3月に開催されるミラノ・コルティナダンペッツォ冬季パラリンピックまであと1年3ヵ月。日本が出場するための条件は?
「4月にあると思われる世界選手権Bプールで上位3チーム以上に入ることが目標です。イタリアがいる場合は上位4チームになるんですが」
「9月か11月ぐらいに最終予選があると思うので、その最終予選に参加する権利が、その次の世界選手権のBプールのランキング次第ですけどありまして。だからまずそこが第1の目標ですね。その後に6チーム、Aプールから3チーム、Bプールから 3チームか、イタリアを除いた6チームで、上位2チームがミラノへの出場権を手に入れられるので、そこでしっかり勝ち切るっていうのが次の目標です」
◾️パラアイスホッケーの指導者として、宮崎さんの今後の目標は?
「ありがたいことに、中北監督からはもう次監督を、と言っていただいているので。やはり僕もいち選手、日本人として日の丸を背負って戦うってことは1つの、もうずっと描いてきた夢でもあったので。選手の時になし得なかった夢を、まさかこういう形で関わらせていただいて目指せるっていうことは、もう本当にありがたいことなので。スタッフの方だったりとか、選手たちが自分が必要だと言ってくれる限りは、身を粉にしてでも、全身全霊かけて 一緒に戦わせていただきたいなとは思っています」
◾️今の日本代表で、注目してほしいところは?
「今から日本代表パラアイスホッケーチームを応援してくださっているというか、もうちょっと前からでも応援してくださってる方たちには、選手たちがどれだけ各々人生をかけて、ちょっとずつちょっとずつ世界一に近づいていってるのか、という部分も含めて見て応援してほしいです」
◾️日本が優勝候補・カナダを破って銀メダルに輝いた2010年のバンクーバー大会。あのような奇跡は、また起こせるのだろうか?
「はい、(奇跡は)起こせると思います。というか逆に、こんなこと言っていいのかわからないですけど、今のこれだけ努力してがんばってるこのメンバーで、もしその奇跡が起こせないんだとしたら、この世に神様はいないんじゃないかなと思います」
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