ニッポンチャレンジドアスリート

2024.11.25

田口亜希(日本パラリンピック委員会運営委員)

1971年、大阪市生まれ。25歳のとき脊髄の病気を発症。車いす生活になりました。パラ射撃・ライフルの日本代表となり、パラリンピックには2004年のアテネ大会から3大会連続で出場。アテネ・北京大会では連続で入賞を果たしました。東京オリンピック・パラリンピックの招致活動でも活躍。現在は日本財団パラスポーツサポートセンター 競技団体支援部ディレクターとして活躍するかたわら、今年のパリ2024パラリンピック競技大会日本代表選手団の団長を務めました。

◼️田口さんが射撃に出会ったきっかけは?

「リハビリ病院で、みんなで車椅子になってもできるスポーツなんだろう? っていう話をしたときに『射撃もあるよ』と言われて『あ、射撃やってみたかったんだ』という話をしたんですね。その何年後かに私が神戸で働くようになりまして、そのときにその病室にいた人で神戸の人がいたので『今度働くようになりました』ってご連絡したところ『実は私、ビームライフル、光線銃の教室に通ってるんだけど。アキちゃん、射撃に興味あるって言ってたよね。行ってみない?』と誘ってくださって。それがきっかけです」

◼️田口さんは2004年、アテネ大会で初めてパラリンピックに出場。初の大舞台にもかかわらず、田口さんは7位に入り、日本人選手初の入賞を達成した。

「本当にドキドキしましたし、なんだろう、プレッシャーではないんですね。実は推薦順位っていうのがあるんですね。その順位では私、かなり下の方だったので、そういう意味では皆さんからの期待は少なかったかな、っていうのは思います」

「まずは皆さんがすごく喜んでくださったことがやっぱり嬉しかったですね」

◼️田口さんは続く北京大会でも8位入賞。ロンドンを最後に代表からは退いたが、3度のパラリンピックで一番印象に残っていることは?

「やっぱり1番最初のアテネなのかなっていう風に思います。2004年ですね。その頃、日本では多分、パラリンピックっていうことを知らない方もたくさんいらっしゃったと思うんですね。で、私の会社の上司もですね、アテネ・オリンピックが終わった後に『オリンピック終わって次は亜希ちゃんの番だね。でパラリンピックはどこでやるの?』って聞いたんです。それくらい、同じ場所でやるっていうこともご存知ないところがあったのかと思いますので、実際にアテネに行くまでは、そんなに観客がいっぱいいらっしゃると思っていなかったです」

「開会式の会場に入った途端ですね、もうすごい観客の方々で。そういうのを見ると、すごい、やっぱり、なんでこんなに私たちのためにみんなが応援してくれるんだろうと思いましたし、人ってチャレンジしている人に対して、応援して、こうやってエールを送ってくださるんだなと思ったら、本当に人って素晴らしいなと思ったし、私もそういうことをできる人になりたいなと思いました」

◼️田口さんは東京オリンピック・パラリンピックの招致活動にも関わり、招致成功にも貢献した。東京パラリンピックが残したレガシーとは?

「パラリンピックっていう言葉を、まずほとんどの人が知っていますよね。なんなら小学生の方がパラリンピックの歴史をよく知っていたり。そういうのも感じますし、あとパラスポーツの中でも射撃もそうですけど、例えばボッチャとかゴールボールとか、パラならではの競技っていうのは、昔はほとんどの方がご存じなかったんですけども、なんなら皆さんもやったことがあるとか。そういう意味では本当に皆さんに知っていただいた、というところはあります」

◼️東京招致決定後、日本財団がパラリンピックサポートセンターを設置。28のパラリンピック競技団体が入っている。サポートセンターができたことで、パラスポーツ界にはどんな変化があったのだろうか?

「それまではですね、ほとんどの競技団体さんが。まずボランティアでスタッフが動かれている。そしてオフィスがなくてですね、自分の家でやっているとか、オフィスを持っていてもワンルームマンションとかで事務所を抱えていらっしゃる競技団体さんがほとんどだったんですね。ですので、ボランティアからちゃんと給料もらってそこの事務員とか事務局長になられる方がいらっしゃいますし、あとは、パラサポのワンフロアが競技団体が入れるオフィスになりましたので、そこに事務所を構えることができたっていうところです」

「もちろん強化費が増えることはとっても大切なんですけども、競技団体運営の方をパラサポが助成金とかオフィス提供することによって強化費をうまく使えるようになったり、そうなると強化ができ、強くなっていくっていう、そういう役割は果たせたと思いますし、今も行っているところです」

◼️田口さんは今年3月から、パリ・パラリンピック日本代表選手団の団長を務めた。

「私でいいの? って思いました。今まで選手が何回か団長は務められているんですけども、皆さんメダルを取られてるイメージがありましたので。ただですね、やっぱり今まで自分は選手として関わってきた、その代表選手団に、そこが今度は団長というか本部役員として関わるっていうところでですね、やっぱり自分が選手の立場だったからこそできることとか、やっぱりどういう風に運営がされているのか見れますし。せっかくお声かけていただけたっていうところでお引き受けした形になります」

◼️大会前の日本選手団の目標は、過去最高の2004年アテネ大会を超えるメダル数、53個だった。実現のためにしたバックアップとは?

「直接競技団体さんの強化に何か関わるっていうことはしておりませんが、やっぱりJPCと競技団体さんがですね、そこは綿密に、パリの前だからではなく、もう何年も前からずっと選手たちのサポート、また強化っていう部分では連絡を取り合って、あと取り組みを行ってきたっていうのはありますし、今もパリが終わったから終わりではないので、引き続き行っている、というところです」

◼️パリで日本選手団が獲得したメダル数は、金14個、銀10個、銅17個、合計41個だった。その中で、田口さんが印象に残ったメダルは?

「たとえばでしたらば、車いすラグビーが金メダルを取りました。で、車いすラグビーは、リオ大会、東京大会で銅メダルで『準決勝の壁を越えられない』というのをすごくおっしゃっていたんですよね。でもそこをこのパリで越えた。これはですね、日本では男子のチーム競技では、初めての金メダルなんですよね。さらに、そのあとは、ゴールボールが男子が金メダルで、ゴールボールの場合は、東京大会では、自国開催の枠で出場されて、パリに出るには、ちゃんと自分たちで枠を取ってきて。さらに今回、結果として金メダルを取ったっていうのは素晴らしいところだと思います」

「また、女子のシングルスでは、上地結衣さんがダブルス、シングルスともにオランダを破って金メダルを取ったとか。勝てなかった相手を超えてきて、っていうところとか。あとは2連覇金メダルを取った選手たちとかですね。そういう意味では『史上初』とか『自分たちの壁を越えた』とか、個数だけでは表せない、なんかそういう素晴らしさっていうものは感じた結果かなっていう風に思っています」

◼️選手として、スタッフとして、長年パラリンピックに携わってきた田口さん。パラリンピックが持つ意義について聞いてみた。

「パラリンピックってやっぱりいろんな工夫が詰まっていると思うんですね。東京大会でしたらば、例えば、ピクトグラムを視覚に障がいのある人が触ってわかるように、こう、ちょっとでこぼこがついてるようにしていただいたりがありました」

「パリのときはですね、トレイを持つのが難しい方のために、こう、3つぐらい トレイを入れて、誰かがこう押してお料理を取っていける工夫のあるワゴンみたいなのがあったりとかあるんですね。そういう風にいろんなことをパラリンピックの選手村や競技場で試したり、ユニバーサルのデザインを考えたりしているんですよね。そういうのがそこで一旦、テストではないですけど、試して、それがいいってなったらば世の中に出ていったりする。どんどんアップデートされていって、それが世界に広まっていったり、外に出ていくっていうのもパラリンピックの役割なんじゃないかなっていう風に思います」

◼️改めて、田口さんにとって、パラスポーツの魅力とは?

「東京大会のときオフィスを担当してくださっているスタッフの方と、最後、中を散歩してたんですね。そのときにその方がおっしゃったのが『オリンピックが終わって、パラリンピックが始まったときに、選手村に来て、当たり前なんだけど、障がいのある方達ばっかりでびっくりした』って」

「今まで自分はこんなに多くの障がいの方を見たことがなかった、さまざまな障がいがあることも知った。今まで自分は、日本で見る障がいのある人たちは、暗くて下を向いているというイメージだった。でも、この選手村に来て、パラリンピアンが堂々と胸を張って、上を向いて歩いていて、そして明るく笑顔、そして明るく挨拶をしてくれる。そういうのを見ると、自分が勝手に下を向いて暗いと思っていたんだなって思ったんです」

「ただ、もしかすると、まだまだ世の中、世界には上を向けない、下を向いている障がいのある人がいるかもしれない。でも、こういうことを経験した私たちだからこそ、そういう方たちが上を向いて明るく笑顔で歩けるような社会・環境を作っていかなければいけないと思ったんですって、その方がおっしゃったんですねそれを気づいてくれたのが1つパラスポーツの魅力なんじゃないかなと思います」

「あともう1つは、いろんな障がいがありますが、みんながそれをどういう風にしたら 自分の有利に使えるかとか、武器に使えるか、プラスに使えるかとか、そういうことを考えて、自分たちのできる最大限の努力をしていける、すごく可能性っていうのを感じてもらえるのではないのかなって。それがパラスポーツの魅力かなと思いました」

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