ニッポンチャレンジドアスリート

2024.11.18

杉浦佳子(パラサイクリング)

1970年生まれ、静岡県掛川市出身の53歳。薬剤師の仕事をしながら、趣味でトライアスロンに挑戦していましたが、2016年、自転車のロードレース中に転倒。高次脳機能障がいなどの後遺症が残りました。その後、パラサイクリングを始めると短期間で目覚ましい成長を遂げて、2021年の東京パラリンピックでは、女子個人ロードタイムトライアル、女子個人ロードレースの2種目で優勝。50歳での金メダルは日本のパラリンピック史上、最年長記録でした。今年行われたパリパラリンピックでは、女子個人ロードレースで連覇を達成。自身の持つ金メダル最年長記録を53歳に更新しました。

◼️杉浦選手が、自転車競技を始めたきっかけは?

「元々トライアスロンをやっていて。で、ヒルクライムっていう自転車で富士山を登るレースに出て、その表彰台で知り合ったお友だちに『ロードレースを一緒に走ってみませんか?』と誘われたのがきっかけです」

◼️ところが2016年、練習の一環として出場した自転車のロードレースで落車。大ケガを負い、事故直後は高次脳機能障がいのため記憶が欠けている状態になった。そんな大ケガをしながら、もう一度自転車に乗ろうと思った理由は?

「ケガをしてしまったっていうことで、いろんなお友達からメッセージとかをいただいたんですけれども、そういった中で、楽しかった記憶だけが蘇ってきたというか。もう一度楽しかった仲間と一緒にいたいなって、そういう感じでした」

◼️2017年、杉浦選手はUCIパラサイクリング・ロード世界選手権に初めて参加。タイムトライアルで優勝して、一躍注目を浴びた。

「初めてのワールドカップに出たときには、私のカテゴリーの選手が4名しかいなかったんですよ。それで、そのうちの3位で終わって、1位の選手とはかなり差があったので『いや、パラリンピックの世界ってすごいな』と思いまして。そこで私もがんばってみようかなと思いました」

◼️40代になってから競技を本格的に始めた杉浦選手。年齢との戦いも大きな課題だった。

「でも40代でも、他の選手と比べると疲労感っていうのはなかなか抜けないなと思いました」

「コーチに言われたのが、若い人に勝てないのは、筋力と疲労回復力だって言われて。そこからはかなり疲労回復に力を注ぎました」

◼️2021年、東京パラリンピックに出場。初めての大舞台に立った杉浦選手。まず最初はトラック種目で最終的に5位で決勝に進めなかった。ロードタイムトライアルでは、どのように気持ちを切り替えたのだろうか。また、金メダルと知った瞬間の心境は?

「ロードタイムトライアルは本当に1人でやる競技なので、自分との戦いになります。で、そこもコーチに言われた通りのパワーでレースをコンプリートできたなって思っています」

「なんか本当にほっとしました、あの時は。私が金メダルを取るためにっていうことでサポートしてくださった方々がいらっしゃったので、その方たちのためにも、なんとしてでも最低限メダル、できれば金、って思っていたので。もう金メダルが取れてよかった、と思いました」

◼️3日後のロードレースでは、日本パラリンピック史上最年長となる50歳でのメダル獲得も話題になった。

「経験値っていうのもあったのかなと思います。ありがたいことに実業団レースを走らせてもらったので、そこで本当に健常者の女性の速い選手の走り方を見て、こうされたら嫌だなっていうのとかも、コーチともレースを想定した練習っていうのをよくやってもらっていたので、コーチにやられて嫌だったことをレースでやろう、みたいな」

◼️53歳で迎えたパリ大会。杉浦選手は女子個人ロードレースで、1時間38分48秒で優勝。53歳でパラリンピック連覇を達成できた要因は?

「現地に来てくれたパーソナルコーチが他の選手のデータをいろいろ分析して。そこから戦略をもう一度考え直して、これだったらメダルを狙えるはずだから行ってこいと言われて。そこで気持ちをしっかり切り替えて、もう絶対にメダルを取るっていうつもりで」

◼️最後までギリギリのデッドヒートが繰り広げられ、最初にゴールを駆け抜けたのは杉浦選手だった。日本史上最年長の53歳で獲得した、通算3つ目の金メダルの意味は?

「本当かって思いました。あと1周あるんじゃないかとか、夢なんじゃないかとか喜べなかったです。すぐには」

「これだけ多くの人に支えてもらったんだなっていう重みを感じました」

◼️4年後は57歳になる。ロス・パラリンピックに関しては?

「正直、今、全く考えられない。そんな心境です。ただ、これは連盟との契約上、今年度は選手としてがんばるという契約をしているので、今年度はまだもう少しがんばってみて、そのときのタイムによって。来年度の私のスタイルがかどうなるかは、今年度のタイム次第だなって思っています」

「でも、本当に今回のパリはもう前半つらくてつらくて『なんで私、東京で辞めなかったんだろう』って何回も思ったんですね。 だから、この思いをロスでするのはきっとつらいだろうなっていう気持ちです」

◼️杉浦選手に、これからの目標を聞いてみた。

「薬剤師としてできるかはわかりませんが、これまでの知識を生かして、予防みたいなことを皆さんに伝えていけたらいいなって思っています」

「本当に自転車の楽しみ方は人それぞれなので、ぜひまず自転車に乗ってみてほしいなと思います。それで、どこかで会えたらぜひ一緒にライドしましょう」

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