1975年生まれ、兵庫県出身の49歳。高校・大学時代には平泳ぎの選手として国際大会でも活躍しました。その後指導者となり、2018年、東京パラリンピックの強化スタッフに就任。同時に母校・中央大学水泳部のパラ担当コーチも4年間兼任しました。2019年から、パラ水泳日本代表チームの監督に就任。2021年の東京パラリンピックでは、金3個・銀7個・銅3個の、合計13個。今年のパリパラリンピックでは総監督として、金3個・銀3個・銅6個、合計12個のメダル獲得という結果を残しました。
◼️上垣さんは、高校・大学時代、国際大会にも出場したスイマーだった。現役時代の目標は?
「やはりオリンピックに出場するという目標がありました。1996年のアトランタオリンピックが大学4年生の年に開催されるということが分かってましたので、もう中学生ぐらいからそこの目標に向けて取り組んでいました」
◼️水泳のコーチになった上垣さんは、母校である兵庫県の市川高校を拠点に指導を行っていた。パラ水泳に関わるようになったきっかけは?
「やはり息子が脳性麻痺で生まれて。当時、私、市川高校の中で、ちょうど市川高校の中でスイミングスクールを経営していまして、そこのセクションにいたものですから。当時、まだ一般のスイミングスクールでは、なかなかそういった障がいを持った子どもたちっていうのは受け入れが進んでなかったものですから、指導に関わることができるのが、一番その形が現実的だったと」
◼️上垣さんは2018年、長男が自分の母校・中央大学に入学すると、一緒に兵庫から上京。中央大学水泳部のパラ担当コーチに就任した。同時に、東京パラリンピックの強化スタッフも兼任することになった。
「息子が中学、高校時代にアジアユースという大会に出させていただいて、それで日本選手権等でも上位に入るようになったものですから。当時の高橋監督、それから前監督の吉村監督に相談させていただいて、入学させていただけるという、そういう流れがそこにはありまして」
「で、それと同時にですね、私もうちょうどそのときにパラ水泳の方からお声がかかりまして、息子が上京するタイミングで、私もじゃあ一緒に行って、パラ水泳の、それから大学の息子の関係の指導と、両方を担当するというような形で2018年に上京をしたということになります」
◼️2019年からはパラ水泳日本代表の監督に就任した。引き受けた理由は?
「東京に向けて代表監督になってくれないかっていう話がパラ水泳の上の方からありまして。で、私が引き受けたという形ですね」
◼️東京パラリンピックでは、さまざまなドラマがあった。上垣さんが、監督として特に印象に残ったシーンは?
「無観客っていうとことで、本当にこう勝ってもシーンとしているっていうような大会の毎日が進んでいった中で、最終日の決勝のセッションのみボランティアの方々が、皆さんもう最後なのでスタンド席で応援してくださったんですね。で、それがやっぱり一番印象に残りましたかね。無観客の中でも皆さんに応援されたレースができたっていうのが一番私としては嬉しかったですし、 鮮明に残ってる記憶ですね」
◼️パリパラリンピックでは「パラ水泳日本代表・総監督」に就任。競技初日に、いきなり鈴木孝幸選手が50m平泳ぎで金メダルを獲得。続く2日目にも、100m自由形で銀メダルを獲得するなど、出場した4種目すべてメダルを獲得した。上垣さんは総監督として、この鈴木選手の活躍をどう見ていたのだろうか?
「鈴木の先陣としてメダルに絡んでくれるっていうのは、水泳競技だけじゃなくて日本選手団全部に影響することでもありましたので、やはり彼のマルチに活躍できるメダリストとしてのパフォーマンスっていうのは、私たちも一目を置いてますし、何より鈴木自身キャリアも長いものですから、選手たちの模範となる、そういった選手を彼自身が意識しつつ、選手たちをこう引っ張っていくっていうような、そういった役割を担っていたものですから……」
「チームスタッフも、それからチームメイトの選手たちも、鈴木に金を取ってほしい、鈴木にメダルを取ってほしいと、みんながそう思えるようなやはり選手に、彼は育ってくれていると思います」
◼️視覚障がいの木村敬一選手も、目覚ましい活躍を見せてくれた。3日目に男子50m自由形で金メダルを獲得すると、9日目に、東京大会でも金メダルを獲った男子100mバタフライでパラリンピック連覇を達成。2冠に輝いた。
「100メートルバタフライ1本に絞ると、おそらくいろんなプレッシャーが全て1つに集まって、思うような泳ぎはできなかったかもしれないんですけども、2つの種目で狙えるというところで、彼自身もうまく緊張が分散して、パフォーマンス発揮に繋がったんじゃないかなという風には思っています」
◼️上垣さんが自らタッパーを務めた、視覚障がいの富田宇宙選手も男子100mバタフライと、400m自由形でそれぞれ銅メダルを獲得。木村選手と富田選手が、東京大会に続き、2人並んで表彰台に登る姿を上垣さんはどう見ていたのだろうか?
「やはりその表彰台に日本人選手が2人上がるっていうのは非常に難しいっていうことを私たちも感じておりましたので、そこに2人立てたっていうのは、達成感がやはりありましたね」
◼️パリで日本選手団は、金3個・銀3個・銅6個、合計12個のメダルを獲得した。東京より総メダル数は1個減らしたが、この結果を上垣さんは総監督としてどうとらえているのだろうか?
「メダルの個数自体は1つは減ってますけども、金の数っていうのが一番重要なところになるもんですから。それが同数獲得できたっていうのは大きな成果かなという風に感じます」
「やはりその中身なんですけども、東京大会のときの木村・鈴木の金メダルっていうのは、海外のコーチに指導を仰いだ結果なんですね。そこから今回は木村、鈴木ともに日本のコーチが指導して金を取ったと。コーチが育ってきたなというのも大きな成果という風に感じています」
◼️上垣監督に指導者として、これからの夢を聞いてみた。
「支える側の方々が活躍できる、そして生き生きと、このパラ水泳に関わることによって人生を豊かなものにできるような、そういう仕組み作りに、私は今後尽力していきたいなという風には感じています」

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