2000年生まれ、埼玉県狭山市出身の24歳。野球に打ち込んでいた中学生のとき、目の難病を発症して視力を徐々に失いました。その後、ゴールボールを始め、2017年、日本代表に初めて選ばれます。2021年の東京パラリンピックでは5位入賞に貢献。今年のパリパラリンピックでは、決勝でチームを優勝に導くゴールを決め、日本男子代表に初の金メダルをもたらしました。
■子どもの頃は野球少年で、甲子園を目指していた佐野選手。しかし視力が急に低下し始め、中学3年生の夏頃、大学病院で検査を受け目の難病と診断された。そんな中、佐野選手はゴールボールに出会う。
「大学病院の先生と家族、ぼく以外の方々で話し合ったときに、自分と同じ境遇を持った先輩がゴールボールをやっていて、その先輩に一度会ってみてほしいというところで、今のゴールボールの選手である山口選手を紹介してもらって。ゴールボールを見てみろ、というところで、ゴールボールの見学に行きました」
■佐野選手は2016年、東京パラリンピックに向けた強化指定選手となり、2017年に日本代表デビューを飾った。初めて戦った国際試合は?
「2017年のアジアのユース大会だったので。そこで負けを経験してから、パラリンピックを意識するようになりました」
「海外行ったのは初めてですね。体もでかいなと思いましたし、投げるボールのスピードも自分の2倍ぐらい速かったので。ぼく自身の攻撃力のなさだったり、というところも感じる部分はありました」
■代表としてやっていく自信が付いた大会は?
「東京パラリンピックです。アジアユースの大会終了後も、日本代表という責任感やプレッシャーなどから競技を一度離れたこともあったので。そこから立て直して東京パラリンピックを目指して。で、東京パラリンピックで負けはしてしまったんですけど、そこで戦えたっていう部分はかなり自分の中で自信に変わり、その後の生活に繋がっていったと思います」
■努力が実り、佐野選手は晴れて東京パラリンピック代表に選ばれた。
「ゴールボールというスポーツを始めて、パラリンピックという大会に出るっていうのがまずはじめの夢だったので、やっとスタートラインに立てることができたという嬉しさと、あとは結果を残すだけだ、という期待を持っていました」
■佐野選手は、予選リーグ3試合にすべて出場。日本は決勝トーナメントに進出したが、準々決勝で中国に敗れ、5位に終わった。
「緊張をしていたり『中国』っていう国の名前だけで体が硬くなっていたのかなと思います」
■2023年8月、イギリスのバーミンガムで行われた「IBSAワールドゲームズ」で男子日本代表は優勝。初めて自力でパラリンピック出場権を勝ち取った。
「日本男子チームにとっても大きな自信になりましたし中国、ブラジルは参加していませんでしたけど、その中で自分たちが一番強いんだと言って大会に臨んだので。自信と、これからの伸びに繋がったのかなと思います」
■この大会、準決勝で日本は、佐野選手のゴールデンゴールで勝利を収めた。
「そのプレーが生まれるには、チームとしての耐えてる時間だとか、チームとしての粘り強い攻撃だとかがある、というところは一番だと思うので。個人的にはすごく嬉しいんですけど、チームからもらったバトンを繋いでいるだけでもあるのかなと思っています」
■迎えた今年のパリパラリンピック。予選リーグ、日本は初戦で宿敵・中国と対戦。6対7の僅差で惜しくも敗れた。2戦目もウクライナに8対9で敗れ連敗したが、3戦目のエジプト戦は11対1でコールド勝ち。勢いに乗って、決勝トーナメント・準々決勝でアメリカに6対4で勝った日本は、準決勝で中国と再び戦って勝利し決勝戦へ。
金メダルをかけてウクライナと対戦、日本は後半終了間際までリードしていたが、土壇場でウクライナに追い付かれ、試合は3対3のまま延長戦に突入。そこから途中出場した佐野選手が放ったシュートが決まり、ゴールデンゴールで日本男子代表は、史上初のパラリンピック金メダルを獲得した。
「ゴールが決まったときは、会場の歓声が、もう今まで聞いたことのないくらいの歓声で。会場が爆発したのではないかと思うぐらいの歓声で、自分はゴールが入ったんだっていうところに気づきました」
「本当に何が夢で何が現実なのかわからないような状態だったんですが、君が代を歌ったときは、本当にここまで頑張ってきてよかったなと思いました」
■パリで金メダルを取った反響は?
「パリを決めたときのワールドゲームズという大会で、日本に帰ってきたときは、本当に身内が10人程度いたぐらいだったんですが、パリのパラリンピックで金メダルを取って羽田空港に帰ってきたときは、約300人ぐらいが待っててくださって『本当に頑張ったね』とか『感動ありがとう』っていう言葉をもらい、パラリンピックで結果を残すっていう、その大きさに自分が驚いたところでもありましたし……」
「本当にここのチャンスに、まだまだゴールボールというスポーツがなかなか全員が知っているわけではないので。ぼくはかっこいいと思ってこのスポーツを選んだので。たくさんの人にこのかっこよさを知ってもらって、ゴールボールのファンになってもらいたいなと思っています」
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