1964年、千葉県生まれ。現役時代は、陸上の長距離選手として活躍。1984年、女子マラソンが初めて正式種目に採用されたロスオリンピックにも出場しました。1992年、現役引退後はスポーツジャーナリスト、マラソン解説者として活動。また、自ら“パラスポーツの応援団長”を名乗り、障がい者スポーツを早くから積極的に取材されています。2018年から、日本パラ陸上競技連盟の会長に就任。今年は、5月に神戸市で行われた世界パラ陸上の大会実行委員長も務め、大会を成功に導きました。
■増田さんがパラスポーツに関心を持つようになったきっかけは?
「2009年のアジアユースパラゲームという大会からだったと思います。この時に私が選手団長を務めまして。で、その時に主将だった選手に木村敬一さん、それから上地結衣さん。当時は木村 敬一さんは10代で、上地結衣さんは中学生だったんです。ほんとに可愛らしくって。キャラクターが気立てが良くて、スマートで素敵だなって思って。パラスポーツにというよりも、まず人に興味を持ちましたね」
「それから、木村さんの成長を見守るような感じで、なんか母親みたいな気持ちでね、応援していったら、金メダリストになりましたよね、木村敬一さんは。そして上地結衣さんは世界のチャンピオンになられて」
「で、そんなことをしていたら、今度は2012年にロンドンパラリンピックがありましてね。で、その時にはリポーターとして現地で選手たちを取材するというお仕事いただきまして。競技の魅力と、選手の魅力と、あとは技術的なことですとか。いろんなことに触れて、パラスポーツって面白いなって思いましたね」
■取材を通じて、パラスポーツと深く関わるようになった増田さん。2018年、日本パラ陸上競技連盟の会長を引き受けてくれないか、というオファーが届く。
「私の前に吉松さんという会長さんがやられてたんですけども、車椅子で移動してらっしゃったんですけども、いろんなところに移動するのがちょっと体がきつくなったから、って言われて。で、バトンを渡したいっていう時に、私がずっとパラの選手たちを取材してましたから、選手たちの方から、私、指名していただいたみたいで。それで少し考えたんですけども『応援団長になります』って。こんな経緯で引き受けました」
■会長に就任して感じた、パラ陸上界が現在抱えている課題とは?
「まだまだね、観客が少ない。たくさんの人にも見てもらいたい。もうパラスポーツの魅力、パラ陸上の魅力を見ると、こんなに体を動かしながらこういうパフォーマンスができるんだ、と。特に感受性の豊かな子どもたちにとって、プラスになると思うんですね」
■増田さんは日本陸連の理事も務めている。日本陸連とパラ陸連の協力関係や、健常のアスリートとパラアスリートの交流は?
「陸上の日本選手権大会にパラの種目、100メートルとか1500メートルとか、1種目2種目ぐらい入れてくれてるんですよ。で、そのときには私が場内アナウンスで。勝負飯がトンカツなんです、とか言いながら、小ネタを交えて言うのね」
「ちょうどユニフォームなんかもね、オリバラ一緒になりましたし。それこそ『オール陸上で頑張りましょう!』と言ってるので。そういった面では、陸上は結構いい感じだと思いますね」
■2021年の東京パラリンピックでは、パラ陸上界にもメダリストが多数誕生した。増田さんも現役時代に取り組んだマラソンでは、女子の視覚障がいクラスで道下美里選手が初の金メダルを獲得した。
「道下美里さんの金メダルには泣けましたね。まあ、ほんとに感動しちゃって。30キロ過ぎぐらいからね、ずっとトップでね。あのときは土砂降りっていうか、雨が降っていて。みっちゃんがね、国立競技場に戻ってきて、最後の100メートルを走ってゴールに向かう時に、お日様が差したんですよ。いつもニコニコ笑ってるみっちゃんだから、お天道様からも祝福されたっていうね、そういうね金メダルでね、なんかすごい覚えてますね、あのときのことはね。素晴らしかったですね」
「マラソンの場合はね、少なくとも半年準備しなきゃいけないんですね。コツコツ、コツコツ。遠いも遠い目標に向かって努力ができる人がやっぱり強いですね」
■東京パラリンピックが開催されたことで、パラアスリートの競技環境もずいぶん改善されたと言われる。現状はどうなのだろうか?
「すごく良くなりましたね。これから社会が変わるっていうことに期待されて。そうなったら助成金なんかもね、スポーツ庁からも出るし。協力体制がすごくできてきたというのは、東京パラリンピックのおかげはありますね」
■今年5月に神戸市で行われた世界パラ陸上の大会実行委員長も務めた増田さん。今回の世界パラ陸上には、104の国と地域から1073人のパラアスリートが参加。「つなげる」「ひろげる」「すすめる」をテーマに、増田さんはPR活動から精力的に取り組んだ。
「東アジアで初めて行われる大会だったんですね。だからね、やっぱり日本らしい大会で。それで東京大会の時が無観客でしたから、神戸はね、特に観客とトップアスリートとの触れ合い、これができたらいいねって」
「その中でも、大人はもちろんだけど、子どもたちって感受性が豊かじゃないですか。子どもたちにたくさんのパラアスリートと触れ合ってほしいねっていうのが目標だったんです」
■8月28日に開幕した、パリパラリンピック。パラ陸連会長の増田さんは、大会期間中どんなことをする予定なのだろうか?
「大会中はもっぱら応援です。会長としてっていうよりも、もう本当に応援に行く感じですね」
「後半に行きます。9月の4日に行って、で、最終日までいますのでね。予選通過して残ってたら、みんな応援するし。あちらでなんかまたね、頑張った人と一緒にご飯食べたいなと思ってますので」
■パラ陸上の、パリでの目標は?
「やっぱりね、東京大会よりもメダルを取りたいねとは言ってます。魅力的な選手っていうのは、どんなにキャラがよくても、強くないとダメだからね。だからメダルを取って、魅力的な選手として、またたくさんの方に応援してもらえるような、というところでは、東京大会よりはメダル取りたいですね」
「東京大会の時には金メダルが3つ。佐藤友析さんの2つと、道下さんの女子マラソン1つで、3つでしたからこれを上回る成績を残したいなとは思いますね」
■増田さんは今回のパリパラリンピックで、ぜひ注目してほしい競技があるそうだ。
「注目してほしいのは、私はユニバーサルリレー。これは日本らしさが出るんじゃないかなって思いますね。日本選手って、やっぱり和の力、チームワークがいいので。 それで去年は金メダル取ったんですね」
「ほんとに指導者の采配が光って。だからこのユニバーサルリレーはね、期待してるんです。もう選手の頑張りと、どういうチーム編成でくるか。まさに日本の力が出る種目だと思うので、特に注目してます」
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