1985年生まれ、北海道稚内市出身の39歳。 両足とも義足の自転車選手です。大学生のときにトライアスロンを始めますが、在学中の2004年、事故にあい両足のひざから下を失いました。しかし義足でトライアスロンを続け、その後、自転車競技・パラサイクリングに転向。2008年、初めて出場した北京パラリンピックで銀メダル2個、銅メダル1個を獲得。全競技を通じて、日本選手初の「義足のパラリンピックメダリスト」になりました。以降、ロンドン、リオと3大会連続でメダルを獲得。5大会連続出場となるパリでは2大会ぶりのメダル獲得を目指します。
■子どもの頃からスポーツが大好きで、大学進学後、トライアスロンを始めた藤田選手。ところが事故に遭い両足を切断することになり、義足のままトライアスロンを続けようと決意。最初のレースは途中でリタイアしたが、2度目に挑戦したレースで、事故の前から一緒に練習していた仲間たちとともにみごと完走を果たした。
「後ろから数えて2番目くらい。完走する、やりきるっていうことがとても大事だと思っていましたし、なんとか完走できたていうのはとても大きかったですね」
■しかし、タイムには満足できなかった藤田選手。それが、自転車競技に転向するきっかけになった。
「これが、自分がもっと少しでも速くなっていけば、競い合ったりとか、そうなれたらいいな、という風に・・・自転車とかランニングとか、そういったものをもっと速く走れるように、と考えた中で、パラサイクリング。障がい者自転車競技の大会があるから、それに、自分の強化のために出場してみようという風に思ったのが、パラサイクリングに関わるようになったきっかけです」
■2007年、フランスで行われた世界選手権に出場した藤田選手は、初めての出場でいきなり銀メダルを獲得するという快挙を成し遂げた。
「とてもびっくりしました。ただ、そのフランスの帰りですね、飛行機の中で『コロンビアでまた大会があるから。そこに行くぞ!』と誘われまして。その辺りでパラリンピックのために、出場枠獲得のために動いてるんだなっていう、そういうような認識を持ちました」
■国際舞台での活躍で2008年、藤田選手は北京パラリンピックに出場。初出場にもかかわらず、男子1kmタイムトライアルで銀メダルを獲得する。
「結果、銀メダルだったっていうことはすごくラッキーだったんですけれども。終わって、そうですね、嬉しかったっていう感情が全然なくて。もう『悔しかった』っていう、そういう感情があったと思います」
■他の種目でも活躍した藤田選手は、北京で銀メダル2個、銅メダル1個を獲得。日本選手初の「義足のパラリンピックメダリスト」となり、歴史に名を刻んだ。
「一生懸命やってきたので、自分でも予想していないくらいのメダルを3つっていう・・・そういう結果を得られたことは、やっぱり自分でも驚いていたと思います」
■2度目のパラリンピック出場となったロンドン大会でも、藤田選手はロードタイムトライアルで銅メダルを獲得。2大会連続でメダルを獲得した。
「北京パラリンピックが終わって、2010年からですね、パラサイクリングのクラス分けの方式が大きく変わりまして。やや障がいの軽いライバルと一緒に戦うような、そういったクラス分けに変わりました。なので、北京からロンドンに向けての4年間というのは、例えばボクシングで言ったら階級が1つ変わったような、強いライバルたちと戦わなければいけなくなったので。ロンドンのときって周りの選手、全然違ったんですね」
「その中でロンドンのロードタイムトライアルで銅メダルに届いたっていうことは、非常に嬉しかったです」
■藤田選手は続くリオでも、ロードタイムトライアルで銀メダルを獲得。この種目では3大会連続メダルとなった。ロードタイムトライアルに強い理由は?
「ロードタイムトライアルって毎大会同じコンディションで行われるわけではないので。距離も違えば、起伏やコーナーの有無とか。路面状況も全く違いますし、天気も違う。そのコースによって得意不得意っていうのが、選手によって出てきたりもします。ロンドンで銅で、リオで銀。3大会続けてメダルが取れたっていうことは、非常に価値のあることだったと思います」
■今度こそ、まだ手にしていない金メダルを目指して臨んだ東京パラリンピック。しかしコロナ禍で調整の難しさもあったのか、メダルなしに終わった。メダルは手にできなかったが、収穫があった。
「3位集団での争いで敗れたっていうことではあるんですけれども、ロードレース、ロードタイムトライアルとか、そういったところで戦っていけるなっていう、そういう手応えを感じた部分ではありましたし。観客の方は残念ながら会場に入れなかったんですけれども、富士スピードウェイと、伊豆ベロドロームの会場には、多くの関係者の方でしたり、自転車が好きでボランティアとして関わってくださった方が非常に多くいました。静かな、圧倒的なホーム感で戦えた経験っていうのは、本当にありがたかったなという風に思っています」
■藤田選手にとって5度目の大舞台となる、パリ・パラリンピック。フランスは、2007年の世界選手権で、国際大会初となる銀メダルを取った思い出の地でもある。今回パリで出場予定の種目、そしてパリへの抱負は?
「トラック2種目、ロード2種目の全部で4種目に出る予定です。イギリスとフランスの選手がおそらく複数出てくると思いますので、その複数いる国が主導権を握ってレースをコントロールしてくるかなという風に思います」
「5度目のパラリンピックになるんですけれども、これまでの経験をしっかり活かして最善を尽くせるように。で、その結果、しっかりメダル争いに活きるように、しっかり頑張っていきたいなという風に思っています」
■地元・北海道や、稚内市の人たちの声援も、藤田選手の励みになってる。
「最初の大会からやっぱりずっと応援していただいてますし、今回も温かい応援をいただいてますので。地元稚内とか北海道とか、そういったところに、いいニュースを届けられるように頑張りたいなと思っています」
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