1974年生まれ、北海道出身の50歳。クーバー・コーチング・サッカースクールのコーチとしてサッカーのプロ選手を育成。現在はヘッドマスターを務めるかたわら、2015年からブラインドサッカー男子日本代表をコーチとして指導。東京パラリンピック終了後、2022年1月から監督に就任しました。初めて自力で出場権をつかみ取ったパリパラリンピックでは、初のメダル獲得を目指します。
■ブラインドサッカーに出会ったきっかけは?
「僕がやってるクーバー(クーバー・コーチング・サッカースクール)の指導者養成のコースがあるんですが、そこの指導者養成コースでいわゆる障害者スポーツっていうのを取り入れようと思ったのが最初のきっかけです」
「クーバーで持ってるフットボールパークが八王子にあるんですが、そのフットボールパークでブラインドサッカー日本代表のチームが合宿をよくしてたものですから。そこでブラインドサッカーの方とは知り合って、クーバーの指導者養成コースの中で障害者サッカーの講義をしてくれないか、ということでお願いをしたのが、最初の出会いです」
「その時に講師としては、ブラインドサッカー協会の方が1名来ていただいて。あとは当時代表選手だった加藤健人選手が、実際に我々の指導者コースに来てくれて、デモンストレーションなんかをやってくれました」
■ブラインドサッカー男子日本代表のコーチを引き受けた理由は?
「代表選手たちのサッカーに対する「もっと上手になりたい」とかっていう姿勢もすごく強かったので。選手の熱意とか、そんなところに指導者として惹かれる部分っていうのは、多少ならずともあったんじゃないかなと思います」
■ブラインドサッカー男子日本代表が、開催国枠で初めて出場した2021年の東京パラリンピック。中川さんはこのとき、コーチとしてチームに帯同。順位決定戦に回った日本は、スペインに勝って5位となった。この結果を、中川さんはどうとらえたのだろうか?
「この当時の僕らの世界ランキングっていうのが世界で12位だったんですね。その世界ランクで全て実力を反映されてるっていうわけではないとは思うんですが、ただ、1つの目安として考えたときに、世界ランク12位のチームが本大会で5位になる。いわゆる世界のトップトップの8チームが出るパラリンピックの舞台で5位になるっていうのは、まあ出来すぎとは思わないですけども、メダル云々っていうよりは妥当な結果だったんじゃないかなっていう風には感じています」
■東京パラリンピック終了後、2022年1月から中川さんは代表監督に就任。パリに向けて、まず何から始めたのだろうか?
「最初のミーティングでは僕らのチームの目標っていうのを・・・大陸予選だったりとか世界選手権とか、もういろいろスケジュール的にはほぼ決まっていたので、これまでに何をするっていうようなところで、しっかりと目標設定をしたっていうのが1番最初の仕事だったんじゃないかなっていう風には思っています」
■去年の8月にイギリス・バーミンガムで行われた「IBSA 男子世界選手権」。パリパラリンピック出場が懸かるこの大会。日本は順位決定戦で2連勝、パリ行きをほぼ確実にした。特にイランに勝ったのは、大きな意味があった。
「勝てなかったら出場ができなかったので、ものすごく大きな大きな、歴史を変えた一番だったんじゃないかなっていう風には思います」
「世界の本当トップランクのイランに対して、僕らの実力っていうのはものすごい上回ったんだなっていうのを実感しながら、ゲームを進めていけたなっていうような記憶があります」
■7月に、本番前最後の国際大会となる「ダイセルジャパンカップ」が開催。JR大阪駅前の「うめきた広場」に大勢の観客が詰めかけた。
「ブラインドサッカーは基本的にお客さんには静かにしてもらう競技なんですが、それと真逆の環境での大会だったんですけども。実はこれも我々が望んだ大会で。僕はパリでのエッフェルスタジアムが1万3000人弱ぐらい入るスタジアムになるので、騒音ですとか雑音っていうことを考えた時には、ものすごくいいシミュレーションになる環境下なんじゃないかな、という風には思って。あえてこの環境はやってほしいということでお願いしました」
■この大会で日本は、メキシコ・マレーシアに加え、パリで同じ組になるモロッコと2度対戦。予選は0-1、決勝はPK戦の末に1-2で敗れたが
大きな収穫があった。
「当然ですけども、モロッコに対する僕らの対策っていうのを事前の合宿で積んでいって、まずはそれをトライしていくっていうのが 1つの大きな目標でしたし、あとは新しい僕らのチームになってから、パリのパラリンピックに出る日本以外の7チームは、モロッコ以外のチームは今まで全て試合をしたことがあって。モロッコだけが新しいチームになってから試合をしたことがなかったので、そういった意味ではそこで2回もできたっていうのは、本番に向けてはものすごく収穫だったなっていう風には思っています」
■中川監督に、パリへの抱負を聞いてみました。
「当然ですけども、僕らが目標に掲げてるもメダル獲得っていうところにもう全神経を集中させて取り組んでいきたいと思っています」
「このチームでパラリンピック、もう1回夢の舞台に立たせてあげたいっていう風に思って、このチームの監督を引き受けたんですね。ただ、今の僕の気持ちっていうのは、彼らをもう1回夢の舞台に連れていくっていうことではなくて、この選手たちをメダリストにするっていうのが僕のミッションであって。あとは、彼らをメダリストにするだけではなくて、彼らを常に支えてくれてる家族だったり、あとは会社の仲間だったり、いろんなお世話になってる人たちに『メダリストを今まで支えてきたんだ』『メダリストの家族だ』、子どもだったら『お父さんメダリストだ』という風に、選手本人がだけではなくて彼らに関わっている全ての人によろこびを与えたいという風に思っています」

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