1994年生まれ、高知県出身の29歳。高校時代から、陸上の投てき競技の選手として活躍。国体にも出場しましたが、20歳のときに発症した病気のため手足にまひが残り、車いす生活に。8年ほどのリハビリ生活を経て、パラ陸上の円盤投げは去年から本格的に始めました。今年5月に神戸市で行われた世界パラ陸上で、14メートル49のアジア記録をマークして銀メダルに輝き、パリパラリンピック出場権を獲得。パリではメダルを狙います。
■ 高校時代にハンマー投げで投てき競技を始めた鬼谷選手。きっかけは?
「陸上部の顧問のうちの1人の先生がハンマー投げが専門で、まだその先生が現役で試合に出ている選手っていうことがきっかけになります」
「父が昔、砲丸投げをやっていたこともあって、父の勧めもあって中学生の時に少し砲丸を投げたのと、あとは瞬発力がいいって周りの方がおっしゃっていただいたので、そういうのもきっかけで」
■高校時代はハンマー投げで県大会でも優勝、国体にも出場し、大学でも競技は続けた。そんな鬼谷選手を突然病魔が襲う。大学在学中の2015年、20歳のときに脳幹の病気を発症。手足にまひが残り24歳のときに車いす生活に。それでもスポーツを続けようと、様々なパラスポーツに挑戦した。
「入院してる時に、リハ室でPTさん(理学療法士)がボッチャを勧めてくださって。リハ室でボッチャをその場で出してきてやらせてくれたのが一番最初です。それがきっかけで他のパラスポーツを探すという風になっていきました」
■もう一度、スポーツをやってみようと思った理由は?
「元々スポーツが好きだったっていうのと、あとは社会との繋がりが・・・その時は本当に家にいるか、病院にいるかだったので、その他の社会との繋がりを取り戻すというか。続けたいなと思いました」
■最終的に、もう一回投てき競技をやってみようと思った理由は?
「座って投げる競技があるっていうのも確か知らなかったと思います。パラのアーチェリーで、いざ試合に出ようかなって思った時に、車椅子の背もたれの高さが肩甲骨よりも下じゃないといけないという規則があって、それだと私は座った姿勢を維持できないっていう風になったので、アーチェリーはちょっと断念しようかな、となって」
「その時に、陸上で座位の投てきがあるというのを知って。それは背の高さの制限とかがないから、じゃあやってみようかなと思って。最初は円盤よりも軽い槍に挑戦してみました」
■鬼谷選手は、去年6月の大会で自己ベストを3メートル以上更新する、11メートル42を記録。記録が伸びた要因は?
「そうですね。ここまでは本当にフォームを探す、自分に合ったフォームを探すっていうのは、もう地道にやってきたっていう感じです」
「実はこの11メートルを投げた時も、練習では10メートルに乗るか乗らないかみたいなところだったので、ちょっと自分でもびっくりしています」
■鬼谷選手は去年秋の中国・杭州アジアパラ競技大会で銅メダルを獲得。一気に世界レベルの選手になった。
「他の選手の記録って、試合前にも過去の記録で分かっていて。大体自分の位置も分かっていて。そのまんま行けば3位だろうなってのは最初からわかってたんですけど。試合終わってみて、銅メダルで」
「アジア大会、結構その国際大会が初めてっていうのがあって、国内大会とは結構、流れがやっぱり違って、ちょっと試合の雰囲気というか、そういうのに飲まれてしまったかなっていう風に思ったんですけど。でも、自分の中で自分が今できることはできたと思ったので、納得のいく結果でした」
■鬼谷選手は、今年5月、神戸で行われた世界パラ陸上に出場。決勝では、練習でもあまり出なかった14メートル49のアジア新記録をマーク。ここ一番でいい記録が出せた要因は?
「この神戸パラの時、一番緊張したんですね。なんですけど、 競技場に入った時に、スタンドに家族であったり、応援してくれる顔が見えて。普段の試合ってそんなにたくさんの人が見てくれるってことは 少ないので。こんなに応援してくれる人がいるんだっていうのも嬉しくて。その1投1投を投げるたびに、こう拍手してくれて。それがすごい力になりました」
■鬼谷選手は世界パラ陸上で銀メダルに輝き、この瞬間、パリパラリンピック出場が内定した。
「実は試合中になんかパラリンピックの選考っていうのを忘れていて。その競技場を出てから、パラリンピック内定おめでとうございますっていう風に言っていただいて。そういえばそうだったっていう感じで。その後だんだん実感が湧いてきて」
「緊張よりも早く投げたいっていう風に思えたので、会場に入ってから。本当に楽しめていたんだと思います」
■パリに向けての抱負は?
「日本代表の選手として派遣していただくってことで。メダルの獲得はもちろんのこと、応援してくださる方に、何か頑張ってみようみたいな、こう、ちょっとエネルギーが出てくるような。なんかそんな試合になればいいなと思っています」
「こんなにたくさんの人がこう応援してくれているのは本当にありがたくて・・・」
■鬼谷選手に、アスリートとして、これからの夢を聞いてみた。
「実は自分だけで競技が続けられるわけではないので。パリ以降のことは現時点でなんとも言えないんですけれども、アスリートとしても、そうでない形だったとしても、少し前の自分と同じような境遇にいる人が、社会参加であったり、仕事とか希望を持って生きていけるようなサポートができるような人になりたいっていう風な夢はあります」

2025.11.24
下野勝也(パラカヌー)
1990年生まれ、鹿児島県出身の34歳。三建設備工業株式会社所属。2017年、事故で頚椎を損傷。車いす生活になり、リハビリの一環として車いすバスケットボール、車いすラ...

2025.11.17
平岡早百合(デフバレーボール女子日本代表)
1999年生まれ、神奈川県出身の26歳。耳がきこえにくいため、普段は補聴器をつけています。小学3年生のときにバレーボールを始めました。高校2年生から聴覚に障がいのある...

2025.11.10
古崎倫太朗(車いすバスケットボール)
2001年生まれ、福井県出身の24歳。先天性ミオパチーにより、生まれつき両足に機能障がいがあります。小学2年生から車いすバスケットボールを始め、15歳でU23日本代表...

2025.11.03
山田洋貴(デフバスケットボール日本代表)
1989年生まれ、福島県出身の36歳。感音性難聴のため、生まれつき耳がきこえにくい状態です。中学から高校までバスケットボールをプレー。大学から、聴覚に障がいのある選手...

2025.10.27
赤﨑蛍(ロービジョンフットサル日本代表主将)
1999年生まれ、熊本県出身の25歳。小学生のときから地元・熊本のクラブでサッカーを始めますが、中学1年生のときに視界の中心が見えにくくなりました。弱視の状態ながら独...