1998年生まれ、福井市出身の25歳。小学3年生のときに交通事故で視神経を損傷して視力に大きなダメージを受けましたが、中学から大学まで陸上部に所属。2021年4月、社会人になったのをきっかけに、健常の大会と並行してパラ陸上の大会にも出場を始めました。今年5月に神戸市で行われた世界パラ陸上の男子100mで銀メダルを獲得。出場が内定しているパリパラリンピックでは、金メダルを狙います。
■川上選手が中学から陸上を始めたきっかけは?
「小学5、6年生の時に、自分自身の視覚障害があってもできる種目となると陸上競技でした」
■その後、川上選手は地元・福井工業大学のスポーツ健康科学科に進学。どんな指導を受けたのだろうか?
「高校までは特に専門的な指導者がいなかったっていうところもあり、大学ではこう、内藤景監督という専門知識を持った監督がいらっしゃったので、その方から専門的な技術から、フィジカル面のことから、メンタル面のことから、何から何まで教えていただいて。それまで僕自身が何も知らなかったので、もうスポンジのように素直に吸収していくことで、現状今のタイムまで上がってきた、というところがあります」
■2020年、健常の大会・北信越学生陸上の100mで10秒95を記録した川上選手。この記録は、パラ陸上ならアジア新記録となるタイムだった。
「たぶん、僕自身が視覚障害だということをパラ陸上の人たちは知らなかったと思うので、特にお誘いとかもなく。ただ僕自身だったり、内藤監督だったり、県のスポーツ科の人からは『やらないのか?』っていうのは何回か言われたことはあって、その方からタイムがこのアジア記録に相当する記録だよ、っていうのを教えてはいただきました。そこでちょっと意識するようになったかなと思います」
■2021年4月、社会人になると川上選手はパラ陸上の大会にも出場を始めるようになった。
「大学の授業、内藤監督の授業の中にパラスポーツにも触れるっていう授業があり、その時にボッチャという競技をイベントで企画して、多くの関係者様が障害の有無に関わらず参加してくださって。そういった方々の笑ってる姿だったりっていうのを見て、僕自身もこの10秒95というタイムを、その当時出せたっていうこともあったので、僕自身が走ることによって障害あるなし関係なく、もっと陸上に興味を持っていただいたり、スポーツに興味を持っていただける方が増えたり、勇気づけられたら、というところで、パラ陸上にも出場するようになった、という経緯があります」
■川上選手は2022年、日本パラ陸上選手権100mで10秒73、200mで22秒14のタイムを記録して優勝した。
「仕事にも慣れて、より競技っていうところに向き合える時間も増えたので、アスリートとしての自分自身の覚悟というか、まずはこの大会で川上秀太という選手がT 13のクラスに該当して、世界とも戦えるタイムを出せるというところを知ってもらうための試合として、設定して出場したので。仕事との両立もできた、そういった要因があってこの10秒73までのタイムは出たのかなと思います」
■正式に視覚障がいのクラス分けが決まった去年3月の国際大会で、川上選手は100mを11秒00で走り、アジア記録を更新した。
「タイムとしては自分の中では全然満足のいかないタイムだったんですけど、しっかりそういった初めての国際試合の中でも2着でゴールできたっていうところは、自分の中では、今後戦ってくれる人たちともう一戦交れたっていうのは、結構大きな大会になったかなと思います」
■川上選手は今年5月、神戸で行われた世界パラ陸上に出場した。迎えた本番、100mで川上選手はゴール手前で1人抜き去って銀メダルを獲得。自身のアジア記録を更新し、パリパラリンピック出場が内定した。
「走っている時の感覚はもう本当に自分の走りに集中していて、隣のアルジェリアのアスマニ選手に先行はされたんですけど、元々僕自身も後半が持ち味の選手ということもあり、しっかり最後まで走ればいけるなというところはスタート前には思ってはいて。実際にそのレース展開になったので、2番というところに繋がったかなとは思います」
■パリに向けての抱負は?
「もちろんタイムっていうところは狙いたい気持ちはありますし、世界記録っていうところも自分の中では確実に出したいなという気持ちもあります。今回は銀で悔しい思いをしたので、この悔しいモヤモヤした気持ちっていうのを、金を取って晴らしたいなという気持ちが非常に強くなっています」
「地元からの声援だったりサポートっていうところは、県知事だったり、市役所の皆さんからも『頑張ってきてね』とお声がけいただいたり。しっかりそこは自分自身、結果に結びつけないちなっていう、責任というか、覚悟というかはかなり強まったなとは思います」
■今年5月、川上選手がパリ行きを決めた世界パラ陸上では、大会後に、新旧交代劇もあった。走り幅跳びと短距離で活躍した山本篤選手が引退を表明したのだ。
「山本篤さんが以前、福井の講習会みたいなものに参加してくださって、その時に初めてお話をさせていただき、神戸の世界大会の時に一緒に食事をしながら結構長いことお話させてもらっていて・・・パラ陸連の方からは、この世界パラ陸上という種目の中で2000年以降に、立位の100メートルでメダルをとったのが篤さんと僕だけというのもあり、なんかちょっと目をかけてくれてるのかなと思います」
「どうもパラリンピックの立位の100メートルっていうとこに絞ると、もしメダルが取れれば、初って聞きましたね。そこに自分の名前を刻みたいなとは思っています」
■川上選手に、アスリートとして、これからの夢を聞いてみた。
「やはりしっかりパラリンピックっていうところで、まずは金メダルを取ることで、今後、僕自身が与えられる影響も大きくなっていくと思うので、僕の走りを見て、陸上を始めてくれたり、スポーツを始めてくれたり。スポーツ関係なく、本当に新しいことに挑戦してくれるような人が増えていくときの先人となれるような選手になりたいなと思っています」
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