1991年生まれ、広島県出身の33歳。生まれつき視覚に障がいを持ち、調理師を目指していましたが、視力が悪化したため断念。その後ゴールボールを始め、2017年4月に代表入りしました。2017年・2019年のアジアパシフィック選手権でいずれも銅メダルを獲得。代表では攻守の要となるセンターを務め、2021年には東京パラリンピックに出場。2022年3月に代表からいったん退きましたが、去年から強化指定選手に復帰してパリパラリンピック代表メンバーに内定しました。パリでは初のメダルを目指します。
■料理人に憧れ調理師の道を目指した田口選手。しかしこれからというときに視力が急速に悪化し、料理の道を断念する。そんなときゴールボールに出会う。
「国立障害者リハビリテーションセンターというあん摩マッサージの学校に行ったんですけど、放課後クラブ活動をしていて、そこでゴールボールと出会いました」
■本格的にやってみようと思ったきっかけは?
「当時クラブ活動をしていたんですが、同じような経験のメンバーと日本選手権で代表チームに勝とうみたいな・・・そういったモチベーションが強くて。そこでどんどんどんどん自分もゴールボールにのめり込んでいきました」
■田口選手が初めて日本代表入りしたきっかけは?
「2016年の日本選手権予選で準優勝して、その時MVPをいただいたんですけど、当時の監督に『ぜひ代表入りしてみないか』と声をかけていただいて」
■田口選手の代表デビュー戦は、2017年5月にスウェーデンで行われた「マルモ・インターナショナルカップ」だった。田口選手はいきなり司令塔のセンターに抜擢されたが、実際に対戦してみて、海外の選手との大きな差を感じたという。
「言っちゃえば全てなんですけど、僕はこう、ディフェンスするポジションとして・・・。 日本にない攻撃力を持ってるんですよね。例えばバウンドの高さ、グランダーのスピード、全てが日本選手よりも上だったので、合宿をやっている感覚では、とてもじゃないけど止められないなっていうのは感じましたし、そこがすごく日本チームとの差だなって感じましたね。当時は」
「ゴールボールのスキルももちろんなんですけど、フィジカルの差が非常にあるかなって思いましたね」
■2017年、2019年のアジアパシフィック選手権で、日本はいずれも銅メダルを獲得。田口選手は代表メンバーとして、国際試合で表彰台に立った。
「当時は嬉しかったとは思うんですけど、やっぱり3位というところで悔しさの方が大きかったなって」
「特に2019年のアジア選手権での銅メダルっていうのは、もう嬉しさよりも悔しさというか。 東京パラリンピックを前年に控えて、まだこのアジアで銅メダルっていうのが。パラリンピックで金メダルというのに繋がってないなっていうのは率直に感じていましたね」
■2021年に開催された東京パラリンピック。ゴールボール男子日本代表は開催国枠で初出場した。
「チームでも他国の分析をして相手のウィークポイントも洗い出して、何より自分たちがどういった攻撃を得意としているか、というところに着目して、攻撃プランを立てて大会に臨みました」
「2020年以降、まずはフィジカルトレーニングをかなりの頻度で、かなり質を高めてやっていたので、まずは自分たちが相手よりまさっている自信というのをみんな個人でつけようとやったと同時に、分析の詳細な部分としては、ただパワーで投げるんじゃなくて、コンビネーション・・・『フェイク』といって実際に投げる選手でない人があたかも投げるように偽装して、実は反対側からボールを投げるといったプレーであったりっていうのを、日本独自のコンビネーションのセットプレーであったり、そういったところを着目して試合に臨みました。目標は金メダル獲得でした」
■男子日本代表のセンターとして、東京パラリンピックに出場した田口選手。残念ながら5位でメダルには手が届かなかったが、銅メダルのリトアニアに予選リーグで勝利と大健闘した。東京パラリンピックの収穫は?
「5位という結果はもう悔しいの一言につきますね。予選リーグで銅メダルのリトアニアに勝ったとか。それでもやっぱり決勝トーナメントで勝ったチームが強いですし。一番覚えているのが、大会がまだ続いている期間、体育館を見上げた時の景色と、負けたあとの体育館の景色って全く違っていたなっていう風なことは・・・当時感じていましたね」
■去年の8月、イギリスのバーミンガムで行われた「IBSAワールドゲームズ」。優勝チームにパリパラリンピック出場の権利が与えられる大会で日本は決勝に進出、韓国と対戦した。試合は7対3で日本が快勝。初めて自力でパラリンピック出場を決めた。
「嬉しかったなっていうか、何より僕らが勝ち取ったことで、周りのスタッフであったり、応援してくれている人が喜んでくれてる姿に、より自分も嬉しくなって・・・」
「(正式に内定した時の気持ちは)心の奥底から湧き出るパワーみたいなものは、ふわっとこう、体中に一瞬でこう伝わったなって、そういったことを覚えています」
■パリに向けての抱負は?
「金メダル獲得はもちろんのこと、僕の大好きなゴールボールという競技が、もっと多くの人々に伝わればいいなっていう風に思うので。自分の大切な仲間を喜ばせたい思いで大会に臨みたいと思います」
■田口選手にアスリートとして、これからの夢を聞いてみた。
「まだまだ発展途上だなっていう風に感じるので。自分の伸びしろっていうのは もっともっと先にあるっていう風に思うので、ゴルボール選手として、人としても成長していきたいなっていう風には考えています」
「ベテランっていう域には入っていると思うんですけど、自分がどこまでできるかなっていうのも、今、全然わからなくて。次のパラリンピックもそうですし、もっともっと先にあるのかなっていう風に感じるので。そのぐらい今、自分はゴールボールっていう競技にのめり込んでますね」
2025.04.28
大山伸明(車いすバスケットボール)
1993年生まれ、埼玉県出身の31歳。車いすバスケットボールの健常の選手です。埼玉県立大学時代、車いすバスケのサークルに入って競技を始め、健常者も出場できる「全国大学...
2025.04.21
吉越奏詞(パラ馬術)
2000年生まれ、東京都目黒区出身の24歳。先天性の脳性まひで右半身と脚に障がいがあります。幼い頃からポニーで乗馬を始め、2013年、東京パラリンピック開催決定をきっ...
2025.04.14
三澤拓(パラアルペンスキー/パラゴルフ)
1987年生まれ、長野県松本市出身の37歳。6歳のとき事故に遭い左足の太ももから下を失いますが、8歳からスキーを始め、並行して野球チームにも所属。夏は野球、冬はスキー...
2025.04.07
田中祥隆(パラサイクリング・ハンドサイクル)
1975年生まれ、福岡県出身の49歳。1998年に競輪選手としてデビューをしますが、練習中の事故で半身がまひし、2013年に引退。その後、車いすマラソン、車いすバスケ...
2025.03.31
吉田匡良(デフサッカー日本代表監督)
1982年生まれ、奈良県出身の42歳。サッカーの名門・東福岡高校で1年生からレギュラーで活躍。全国高校選手権で優勝を果たし、U-16・17の日本代表にも選ばれました。...