1993年、沖縄県生まれの31歳。1歳のときに病気で両目の視力を失いました。筑波大学附属視覚特別支援学校に高校から通い、そこで出逢ったゴールボールを2年生から本格的に始めます。大学3年生のときに女子日本代表入り。代表ではウイングもセンターもできるユーティリティプレーヤーとして活躍しています。2015年・2017年のアジア・パシフィック選手権、2017年ジャパンパラ競技大会で国際大会での優勝を経験。今年のパリパラリンピック女子日本代表に選ばれ、初の大舞台で金メダルを目指します。
■高校から故郷・沖縄を離れ、東京の筑波大学附属視覚特別支援学校に進学した安室選手。ゴールボールに出会ったきっかけは?
「高校2年のときに、ゴールボール部の顧問だった体育の先生に声をかけていただいて。ボールに対する反応もいいし、ゴールボールやってみないか、という風に声をかけていただいて。元々球技が好きだったので、せっかく声をかけていただいたのでいい機会かなと思って」
■ゴールボールを本格的にやってみようと思った理由は?
「高校2年のときに 11月にある日本選手権大会に出るためのメンバーが不足してしまって、選手を探していたそうで。夏休みもあったので8月あまり練習できず、7月、9月、10月っていう3か月ぐらいしかやらないまま日本選手権に出ることになって。初戦でその時の優勝チームにコールド負けして、それがすごく悔しくて。『あのボールを全部取れるようになりたい』って思って、本格的にやろうと思いました」
■安室選手は競技に打ち込む一方で受験勉強も頑張り、明治大学法学部に入学した。大学3年生のとき、初めて女子日本代表に選ばれた。
「その年にアジアユース大会があって、代表チームの方から声をかけていただきました」
「やっぱりまわりにユース大会だったりとか、日本代表チームに行ってる選手も多かったので。その選手たちがすごくうまかったので、自分ももっとうまくなりたい、代表チームに行くことでもっとゴールボールのいろんなことが知れて、できるようになるんじゃないかなっていう風に思っていました」
■初めて代表として出場した試合は?
「初めて国際大会出たのが、2013年1月にモントリオールオープントーナメントというカナダので行われた大会だったんですけれど。 そのときにカナダの代表選手のボールを受けて、経験したことないぐらい速い女子選手のボールにすごいびっくりしました」
■安室選手は、2015年のアジア・パシフィック選手権で日本代表として初めて優勝を経験した。
「決勝戦を、まだ自分はコートに立ってないですけど、 ベンチからずっとそのコートの中の選手たちをずっと見てて。本当にすごいなっていう風に思いました。自分はまだそこに立てるレベルではないけれど、いずれはそこで戦えるようになりたいなっていうのも思いましたし・・・」
■このとき、褒めてもらったプレーがある。
「2015年のその頃、私、ライトプレイヤーだったので。そこまで細かいコントロールはなかったんですけれど、この選手にとにかく当て続けなさいみたいな指示を受けて、そういうことをするっていう役割があって。点が入ったりとか、相手が崩れたりというのがあって、いい形で勝てた・・・」
■学業専念のため、一時ゴールボールから離れていた安室選手。2015年に復帰するが、翌年のリオパラリンピックでは、残念ながら代表に選ばれなかった。
「特にギリギリまで争っていたっていうところもあって、すごく代表に選ばれなかったのは悔しかったです。東京に向けてやっていこうと思いました」
■2017年はアジア・パシフィック選手権と、ジャパンパラ競技大会で優勝メンバーになった。
「自分が優勝に貢献できたとは感じませんでした。試合が終わるまでは、やっぱりいつ自分が試合に出ることになるかっていうのはわからないので。常に、いつコートに立っても戦えるように、ずっと準備をしています」
■しかし、残念ながら東京パラリンピック代表には選ばれなかった安室選手。すぐに「パリを目指そう」と思ったのだろうか?
「すぐ『パリ』と思いました。ここまで来たらっていうのもありました」
■去年の11月に行われた、パリ行きを懸けたアジア・パシフィック選手権。安室選手は出場していなかったが、オーストラリアとの準決勝に勝った日本代表は、この瞬間、パリ行きが決まった。代表メンバーに選ばれたときの心境は?
「ずっとパラリンピックに出ることを目標としてやってきたので、ようやくその目標を達成するためのスタートラインにやっと立てたなっていう気持ちでした」
「チームとしても金メダル獲得を目指しているので、結果を出して、これまでサポートしてくださった方々とか応援してくださった方々に結果で感謝の気持ちを伝えられたらと思っています」
■安室選手の、これからの夢は?
「もっともっとゴールボールを普及することです。やっぱりロンドンで女子が金メダルを取ったときに、私は本当にすごいことだなって思って、すごい感動もしたんですけれど、自分が思ったよりもゴールボールが知られなかった。パラリンピックで金メダルを取っても、こんなに知らない人が多いんだっていうのがすごく衝撃的だったので。もう一度やっぱり金メダルを取って、もっともっといろんな人にゴールボールを知ってもらいたいなと思っています」
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