1989年生まれ、和歌山県出身の35歳。生まれつき股関節に障がいがあり、車いす生活を送っていましたが、大学3年生のときに車いすバスケットボールに出逢い、2009年から本格的に競技を始めました。2012年から、関西の女子強豪チーム「カクテル」に移籍。全日本女子選手権では優勝6回、MVP受賞を4回経験。2016年から2018年までオーストラリアでもプレーしました。2014年から女子日本代表入りを果たし、2021年の東京パラリンピックではチーム内最多得点をマーク。大会終了後、代表のキャプテンに就任して、パリパラリンピックではメダルを目指します。
■健常のバスケットボール部に入っていたこともあった北田選手。車いすバスケットボールを始めたきっかけは?
「大学生の時にインターンシップで障害者スポーツセンターに行ったら、そこで誘われました。ずっと思いっきり走りたいなって思っていたので、車いすという道具を使えば こんなに簡単に走れるんだっていうことがすごく印象的でした」
「ずっとやりたいなって思っていたバスケットが、車いすに乗ったら思いっきりできるっていうところがすごく面白くて、ハマっていった感じです」
■当時、九州の大学に通っていた北田選手は、2009年から北九州市のクラブチームに加入してプレーしていたが、2012年から関西の強豪女子チーム「カクテル」に移籍。生活の拠点も滋賀県に移した。
「足の状態が悪くなって、大学卒業して続けていた仕事がちょっとできなくなったので、転職しないといけないなっていうことで 関西に帰って。次仕事どうするか考えようということで、1回帰りました」
「(カクテルは)本当に練習についていくのがやっと、というような感じだったので。すごいところに来ちゃったなとは思いました」
■2014年、初めて女子日本代表入りした北田選手。日本代表でプレーして、感じたことは?
「代表に入って、試合に出られない時期とかもあったり、日本自体が世界の強豪に対してもうけちょんけちょんにやられて全然勝てない経験ばっかりした10年間だったので。それで、どうにかしたいな、というか。自分も試合に出たいし、でも日本の国としてもほかには勝ちたいなみたいな気持ちは出てきました」
■北田選手は国内リーグだけではなく、2016年から2018年までオーストラリアリーグでもプレーした。
「その当時、オーストラリアがロンドンで銀を取っていて強かったのと、自分が行った地域の男子のチームが北京の世界選手権で、2014年に金を取ったメンバーがいっぱいいたチームだったので行きました」
■オーストラリアでプレーして、変わったことは?
「そんなに変わってないんですね、実は。個人としては全然勝てるなって。でも、国として戦うってなった時に、なんでこの人らはこんな強くなれるんやろ? みたいな部分は思いましたけど、個人としてめちゃくちゃ変わったかと言われると、あんまり変わってないですね」
「国民性の違いかなっていうのはすごい思いました。向こうは狩猟民族でこっち農耕民族なんで、やっぱり戦いに向かうときの勢いがやっぱ全然違うなとは思いました。日本は日本でちょっとこう、うまいことできる方法を考えなあかんなとは思いました」
■車いすバスケットボール女子日本代表は、東京パラリンピックに開催国枠で出場が決定したが、コロナ禍によって大会が1年延期された。いよいよ開幕した東京パラリンピック。女子日本代表は、予選リーグで2勝して決勝トーナメントに進出したが、強敵オランダに完敗。順位決定戦でカナダと戦うことになった。
「次、カナダと5位、6位決定戦が決まっていたので。オランダ戦でうまくいったことはカナダでも続けて、うまくいかなかったことを修正しよう、みたいな。もう帰りのバスの中で、次の日の自分のプレーみたいなパターンをこう、携帯のメモに打ってた記憶があるので、なんかこう、負けた・勝ったは一旦置いといて、次のことを考えようというのは思ってました」
「まあ(カナダ戦は)負けちゃったんですけど、自分としてはもう本当全部出して終われたので。こんなもんか、じゃないけど、やっぱり世界の壁は高かったなみたいな感じです」
■北田選手は、女子日本代表のキャプテンに就任した。
「なんせこのチームでバスケしたいって思ってもらえるように、楽しい雰囲気を作るのがいいんかなと思って。そういうような感じで始めました」
■今年4月に、大阪で開催されたパリパラリンピック・世界最終予選。出場権決定戦でオーストラリアと対戦した日本は、50対26で勝利。2大会連続で、パラリンピック出場を決めた。
「なんか結果、そういう運命なのかなって。ずっとオーストラリアに阻まれて世界大会に出れなかった10年間があって。で、オーストラリアのエースが引退して、オーストラリアの力が落ちていて。最後、オーストラリアに勝って、日本がパラリンピックを取るっていうのが、もうそういうシナリオやったんかな、とは思いました」
■パリへの抱負は?
「実際、世界最終予選で、勝ったのは勝ったけど、たぶん今の時点でパリに出る8カ国中、日本8位だと思うんですよね。なので、もう下克上の道を歩んで。1つでも強豪国を食ってやれるように。で、メダル争いに食い込んで、番狂わせを起こせるように、今から。それが私たちはできるんだっていう自信を見つけるための、自信を得る材料を集めるための合宿とか、準備期間にしたいなと思っています」
■北田選手の将来の夢は?
「やっぱりパラリンピックで決勝の舞台に立って、勝ったら最高なので。選ばれないとその場所には行けないので、日本代表が必要としてくれる限りは現役を続けて、そこに近づこうとするのが今の目標かなと思います」
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