2003年生まれ、京都市出身の21歳。生まれつき右腕のヒジから先がありません。3歳から水泳を始め、中学生のときにパラ競泳の道へ。2017年、パラ競泳日本選手権・50m平泳ぎでアジア新記録を樹立。2018年、アジアパラ競技大会・100m平泳ぎで金メダルを獲得しました。2021年、教員になる夢と競泳を両立するため大阪体育大学に進学。東京パラリンピックにも出場して、100m平泳ぎで6位入賞を果たしました。大学4年生になる今年はパリパラリンピック出場が内定。初のメダルを目指します。
■両親の勧めで、3歳から水泳を始めた宇津木選手。ご両親が水泳を選んだ理由は?
「片腕がない状態で球技はちょっとハンデがあるんじゃないかっていう風に考えたらしいんですけど。球技じゃない種目で陸上か水泳っていう選択肢になって、水泳の方が将来使えるんじゃないかっていう風に考えて、水泳を選んだらしいです」
■小学校の部活動は、陸上部に入っていた宇津木選手。中学校に進学すると、宇津木選手はパラ水泳の道へ進む。
「中学に入ったのを機に水泳部に転向して、まあ、パラ水泳に誘っていただいて。で、たまたま、初めて出た試合で育成指定選手に選ばれて。そこからもう抜け出せなくなったというか」
■宇津木選手は2017年、14歳のとき、パラ競泳の日本選手権でアジア記録をマークした。
「正直、別に狙って出したわけじゃなくて、たまたま出たという感じだったんですけど。 特にアジア記録だから嬉しかったっていうよりは、初めて50mの平泳ぎで40秒が切れた方が嬉しくて」
「東京パラリンピックでは絶対に平泳ぎでメダル取るぞっていうよくわからない目標を立ててやってましたし、常にその世界のランキングとかレベルを意識しながら練習はしていました」
■2018年、宇津木選手はインドネシアのジャカルタで行われたアジアパラ競技大会に出場。100m平泳ぎで金メダルを獲得した。
「君が代を流したのはそこが初めてです。アジア大会の金メダルは正直、行く前から余裕だと思っていて、タイム的にも。ただ、それが結構ギリギリで2位の人に勝ったという感じにもなりましたし、タイム的にも全然ベストから程遠いタイムでの優勝だったので、正直自分の中ではあまり満足してなかった感じではありますね」
■高校卒業後、大阪体育大学に進学した宇津木選手。水泳が強いだけでなく、別の理由もあった。
「大阪体育大学には 教員免許が取れる学部もあって、プラスで水泳部もある程度強くて、しっかり競技を集中して行える環境が整っていて。私が目指している 2つの道がしっかり目指せる環境が整っていたので、大阪体育大学に進学しました」
■宇津木選手が高校時代からのスランプを乗り越えたきっかけは、大阪体育大学でのコーチとの出会いだった。
「私のコーチは大阪体育大学女子水上競技部の監督をしていて、前は浜上洋平というんですけど、浜上先生って呼んでいます。すごい頼りがいのあるというか、何を話しても反応してもらえるので、私にとってはすごく心の支えになっているコーチです」
■宇津木選手は、在学中に東京パラリンピックに出場。200m個人メドレーと100m平泳ぎの2種目に出場。200m個人メドレーは残念ながら予選落ちだったが、100m平泳ぎでは決勝に進出して、6位に入賞した。
「6位だったことには正直自分でも驚きで。東京に出るまでは決勝ギリギリ進出できるかできないか、というタイムだったので、まさか決勝にも進出できて、ギリギリの8位とかじゃなくて、6位っていう順位で。本当に驚きを隠せなかったですし、6位で入賞したタイムも、当時では本当に3年ぶりとなる1分30秒切りのタイムだったので。こんなタイムで泳げるようになるところまで戻ってこれたんだっていう、その安心感と驚きでいっぱいでしたね」
■今年3月、パリパラリンピックの代表選考会を兼ねて静岡県富士水泳場で行われた「日本パラ水泳・春季チャレンジレース」。新鋭の福田果音選手とデッドヒートを繰り広げ、1分25秒23のアジア新記録を樹立。パリ内定を決めた。
「福田選手はすごい意識に入ってしまう。ライバルとしてすごい意識する存在ではあるんですけど、今まで練習してきた自分の泳ぎをするっていうことだけ考えてレースしました」
「自分がタッチして電光掲示板を見る前にその派遣Aを突破しました、っていう音楽が流れたので。『あ、自分切れたんだ』って・・・タイム見るまでは結構ちょっと不安もありました」
「7年ぶりぐらいのベストだったんですけど、 要因としては本当にそれまでの練習で、しっかり自信を積み重ねられていたのがすごく大きな理由だと思っていて・・・静岡の前に近所の淡水路の試合には結構出場してたんですけど、そこでも大幅に自己ベストを更新したりとか、練習タイムが明らかに以前とは異なって上がっていることを、すごく自分の中でも実感してました」
■宇津木選手に、パリへの抱負を聞いてみた。
「パリの抱負は、100メートル平泳ぎで表彰台にのぼることが目標で、100メートル背泳ぎでは決勝進出を目標にしています」
「去年の世界選手権4位で、今のランキングも4位で。ここまで来たからには3位の人が多分1番近いので、そこは抜かしたいな、という風に思っています」
■アスリートとして、これからの夢は?
「私は30歳まで競技を続ける予定でいて。29歳のときにブリスベンのパラリンピックが来るんですけど、そこで4大会連続になるので、そこまで出場したあと、30歳からは自分のずっと掲げてきた将来の夢でもある小学校の教員になって、子供たちとたくさん関わりながら、自分も成長できるような人生を送っていければいいなと思っています」
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