1964年、長野県生まれの60歳。23歳のときに事故に遭い、車いす生活に。パラリンピック出場を目指して車いすカーリングを始めました。2004年「第1回日本車いすカーリング選手権大会」にチームを結成して出場。初代王者に輝くと、第6回まで連続で優勝を経験。2010年にはバンクーバーパラリンピックで日本代表の司令塔・スキップを務めました。車いすカーリングの普及にも積極的に取り組んでいるほか、男女がペアで戦う「ミックスダブルス」で、次の冬季パラリンピック出場を目指しています。
■23歳のとき事故にあい、下半身に障がいを負った中島選手。車いすカーリングに出会ったきっかけは?
「友だちからですね。2006年のトリノ・パラリンピックから車いすカーリング競技というのが正式種目になりそうだという話を聞いて、一緒にやらないかという誘いを受けて、ちょっと面白そうだったので、じゃあ一緒にやりましょう、という形で始めたのがきっかけですね」
■全くの手探りの状態で始めた車いすカーリング。その後、世界大会にも挑戦する。
「2005年ですね。スコットランドの大会でした。そのとき、3勝はできたんですけど、パラリンピックポイントも取れなかったので、2006年にはちょっと間に合わなかったっていう感じです」
■カーリングで司令塔役の「スキップ」を担当している中島選手。通常のカーリングと比べて、スキップの役割に違いは?
「作戦を立てて、投げ手に対して指示を出すっていうことについては健常と変わらないですね」
■中島選手は、2004年に始まった「日本車いすカーリング選手権」に「信州チェアカーリングクラブ」を結成して初代王者になった。その後も、チームを変えて6回連続で優勝。人の集まりやすい都内で「東京WhC」というチームを立ち上げたこともあった。
「長野でも車いすの方が知り合いがそんなにいなくて、逆に知り合いの方は一緒にやってたとか、そんな状況だったので。 ちょっと東京の知り合いの方でやりませんか、ということで声をかけて・・・」
「東京には一般のスケートリンクしかなくて、練習には軽井沢、宮田に来てもらっていたという。練習については、やはり東京からこちら、長野の方まで遠征してもらわないといけないっていうのがあったので。なかなか練習時間も取れないとか・・・」
「個人練習も増えてしまったんですけれども、極力、チーム練習できるように・・・そのときの日本選手権の成績も2位ですね。準優勝とか。1位になれなかったっていうのは、ちょっと心残りのところはありますけど」
■車いすカーリングは、2006年のトリノ大会からパラリンピックの正式競技に採用されている。中島選手はトリノ出場を逃したが、4年後の2010年、バンクーバー大会で初めて出場を果たした。日本は10チームが総当たりで戦う予選リーグで3勝6敗。最下位の10位に終わったが、同率4位のスウェーデンとイタリアに勝利。確かな手応えもつかんだ。
「あと1つ、2ついて行けたかなっていうところだったんですけど・・・成績的には3勝6敗で。強いチームに勝てていたっていうところもあって、まだまだできるかな、という気持ちで帰ってくることはできましたね」
■バンクーバーで印象に残ったことは?
「バンクーバーの初戦、日本は2セッション目だったと思うんですけど、イタリアと対戦して勝利ができたっていうのが、すごい印象に残ってますね」
「時間を1試合開けて始まったので落ち着いて入れて、丁寧に作戦が取れたのかなっていう。会場の雰囲気というのは 1試合分見られていたので、そこでアガることなく入れたのかなっていう」
「会場の雰囲気については、もう今まで経験したことのないぐらいで.。世界大会の観客って、そんなに車いすの大会ではいないんですけども、会場が満席になってましたし。カーリングについては今カナダの方がとても人気のスポーツで、当然作戦とかもわかってるので。ナイスショットのときはすごい声援があったりとか・・・」
■次回2026年のミラノ・コルティナダンペッツオ冬季パラリンピックから、車いすカーリングの新種目に男女2人制の「ミックスダブルス」が採用される。中島選手はこの種目で2年後の出場を目指している。
「今のチームも埼玉・東京のメンバーが多いので、なかなか練習が厳しい。だけど 2人だったら集まりやすい、というのもあって、ちょっとやってみようかっていう感じで始めました」
■中島選手は2年後を見据えて、現在所属すチーム・ease埼玉の小川亜希選手とペアを組んでいる。中島・小川ペアは今年3月、韓国で行われた「世界車いすミックスダブルスカーリング選手権大会」に日本代表として出場。準々決勝で前回王者のアメリカを破ってベスト4に進出。イタリアとの3位決定戦では4対8で敗れ、日本は4位に終わった。
「今回の大会が3回目になるのかな。日本のレベルが低いのかなっていう思いで韓国現地入りしてたので。結果的にファイナルまで行けたので、自分たちのレベルというか、十分、上位狙えるかなっていう思いではあります」
■2026年、ミラノ・コルティナダンペッツオパラリンピックに、ミックスダブルスで出場を目指している中島選手。出場するための条件は?
「簡単に言うとですね、今年の3月のポイントと来年開催される世界大会のポイントの、合計点上位、イタリアを除く7カ国が出場できるっていう風に聞いてますけど。あと、当然日本国内の選抜もありますから、 そこを勝ち抜いてなんとか続けたいところですね」
■中島選手にとって車いすカーリングの魅力とは?
「車競技となるとどうしても車いす同士の対戦っていう形になるんですが、オープン大会とか練習とかに関しては、健常者と同じルールで、同じ舞台で対戦ができるっていう部分が好きでやっています」
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