2002年、千葉市生まれの21歳。現在、順天堂大学の4年生です。4歳のときに軟骨肉腫を発症。右肩・右脚などに機能障がいを抱えています。中学からパラ水泳を始め、複数の種目で日本記録をマーク。2018年のアジアパラ競技大会では、金メダルを含む4個のメダルを獲得し、2019年、ジャパンパラ競技大会では3冠を達成しました。2021年、東京パラリンピックでは4種目に出場。今年3月にパリパラリンピック出場が内定。初のメダルを目指します。
■荻原選手が、水泳を始めたきっかけは?
「自分の家の近くにあった民間スポーツクラブの千葉スポーツっていうところに所属したところからが始まりで、リハビリテーションの一環で始めました」
■リハビリで始めた水泳だが、パラ水泳のことを知ったのは?
「中学2年生の時の健常の大会の新人戦で、自分が健常者の中のランキングの方で結構上位をとったことがきっかけで、次の日か、健常の方のクラブの千葉スポーツのコーチからパラの世界があるから、そっちで戦ってみないかという風に紹介を受けたのが始まりです」
■競技として水泳に取り組むつもりはなかった荻原選手。パラリンピックを目指して本格的にやってみようとなったきっかけは?
「う健常で戦えていたものだったので、そのまま行けば日本でトップを取れるし、トップを取れるということは世界で戦えるチャンスが自分で回ってくるっていうので、何かこう、火がついてしまったような感じで。現役を続行することを決めましたね」
■2018年、荻原選手はインドネシアのジャカルタで行われたアジアパラ競技大会に出場。金メダルを含む4つのメダルを獲得した。
「国際大会で金メダルを取ったのはそれが初めてですね。リレーがそもそも初めてで。表彰台に立ったときの1位を取ったときの心境は、すごい達成感にやっぱり満ちていたのは覚えていますし。すごい尊敬している先輩方と出た試合で、それが最後になってしまったんですけど、僕としてはもうあれは忘れられないですし、これから僕がパラ水泳を語る上では外せない出来事だったんじゃないかなという風に思っています」
■荻原選手は大学1年生のとき、18歳で東京パラリンピックに出場した。男子100m自由形は全体13位で決勝進出は逃し、200m個人メドレーと、メインの100mバタフライは残念ながら予選敗退だったが、200m個人メドレーでは自身の日本記録を更新した。
「自分は大舞台でもちゃんと自分の納得できるような結果を出せるんだなっていう風に感じたことが、すごく大きな収穫でした。やっぱり大きな舞台というのはすごい緊張を伴いますし、夜眠れないとか色々あるんですけど、そういった中でもちゃんと自分のパフォーマンスを積極的に発揮できて、それでも過去の自分を大舞台で越えられたっていうのがすごく大きな収穫でした」
■荻原選手は団体戦の男子4×100mメドレーリレーにも出場。アンカーを務め、8位に入賞した。
「100mのバタフライ、メイン種目であまりいい結果が出せなくて。やっぱりリレーと自分の種目っていうのは別物だから、ちゃんと切り替えていかなきゃいけないっていう自分の中で心境がありまして。予選を泳いで、で、決勝は個人種目では泳げず、メドレーリレーでちゃんと最後泳がなきゃいけないっていうところで、自分にまた最後、大仕事が残ってたなっていう風に思っていて・・・」
「すごい緊張と、あとはベストが出てなかったのに、なぜかわかんないんですけど、謎の達成感、いろんな感情がごちゃごちゃになって泳いだ記憶はありますね」
■東京パラリンピックで荻原選手が得たものは?
「爪痕を残すっていう点では、あまりうまく残せなかったんじゃないかなという風に・・・正直な感想だったんですけど。2020年の年、コロナがまだ流行る前の年、まだギリギリ国際大会に出られた2月とか、他の国の同じクラスの選手から、やっぱり『東京で会おう』みたいな約束をして。世界の選手に認知されていたんだなっていう風な実感はありました」
■荻原選手は去年、イギリスのマンチェスターで行われた世界選手権に出場。100m背泳ぎ5位、100m自由形9位、200m個人メドレーは2分31秒49で自身が持つ日本記録を更新して、5位に入賞した。
「100メートル背泳ぎ、自由形、200メートル個人メドレーで世界に近づいたっていう点では・・・100メートル背泳ぎはすごく近づいたことを実感しました」
「2022年6月頃の日本国内のちょっとしたレースで背泳ぎに出たときに、自分にとんでもない背泳ぎの適性があることに気付いて。そこからは背泳ぎ1本でバタフライはあんまりやってないんですけど。そのときの記録からしても、やっぱり背泳ぎとか戦えるようになったなっていう風に思って強化を図ってきました」
「200メートル個人メドレーに関しては、まだまだ全然戦えないなっていう風には思います」
■3月に日本パラ水泳春季チャレンジレースで、100m背泳ぎで1分9秒57をマーク。基準を満たして、パリパラリンピック出場が内定した。
「今後の目標といたしましては100mの背泳ぎでベストを更新して、メダルレースでメダルを獲得できる位置まで進めることが自分の今の目標です」
「パリでは難しいことは何も言いません。メダルを獲得しに全力を尽くして頑張りたいと思います」
■ 大学では、スポーツ社会学ゼミに所属している荻原選手。その一環として、地域の小学校でパラスポーツの授業も行っている。
「自分の存在を認知してもらえるっていうことがパラ水泳にとって、いいことだと僕は思っていて。やっぱり認知度が少ないじゃないですか、パラスポーツっていうのは。健常者のスポーツに比べると。なので、自分の存在を知ってもらって、パラ水泳に触れてもらう、パラリンピックの競技に触れてもらうっていう、そういった行動ができるので、今スポーツ社会学ゼミに所属しています」
「パラ水泳って、障がい者がやるスポーツっていう先入観をやっぱりみんな持つと思うし、そもそもそれが事実なんで仕方ないんですけど。子どもたちってあんまり考えないで、同じスポーツ選手っていう風にやっぱり見てくれてるっていうか。いい意味で、オリンピックとパラリンピックにやっぱり差がない。子どもたちから『がんばれ』って言われると、自分の存在意義がすごい増えてすごくいいな、という風に思うので、そういった理由があります」
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