1981年、東京都生まれの42歳。24歳のとき、事故により脊髄を損傷して下半身不随となり、車いす生活に。その後、車いすマラソンを始め、頭角を現します。 2013年、パラリンピック出場を目指すため、当時の勤務先だった品川区役所を退職。競技活動に専念できる環境を求めて、SUS(エスユーエス)株式会社に入社しました。去年の大分国際車いすマラソン、今年の東京マラソンでいずれも4位に入賞。5月に神戸で行われる世界パラ陸上で、パリパラリンピック出場権獲得を目指します。
■大学卒業後、消防士になった吉田選手。ところが、これからというときに事故にあい、リハビリ中に車いすマラソンに出会う。
「それこそリハビリのために入院していた所沢にある国立障害者リハビリテーションセンター。そこでですね、スポーツのプログラムがありまして。車いすレーサーに乗るっていう時間があって、そこで出会いました」
「足が動かなくなったので、走れないっていう気持ちでいたんですけども、車いすレーサーに乗ったらですね、腕の力で走ることがこれからもできるんだなっていうことを気づいて。目線も低いのでとてもスピード感を感じて、風を切るのが楽しかったっていう記憶があります」
■パラリンピック出場を意識したのは、いつからだったのだろうか?
「リハビリ病院に入院しているときに、もうすでに『スポーツをやって、パラリンピックに出よう』という思いはありました。そういうスポーツの本とかも置いてあって。その中でパラリンピックの情報とかも色々見ることができたので、もう入院してるときからパラリンピックを目指してスポーツをやろうっていう気持ちではいました」
「パラリンピックに出るのは、もうマラソンをやろう、長い距離を、ちょっと苦しいことをやろうと思って。なので、最初からマラソンをやろうと思いました」
■2015年には、初の海外にも遠征した。
「日本代表として出ることができたのが、2015年のマラソン世界選手権で。海外に行ってのレースとしては、この2015年が初めてだと思います。成績は全体で11位で、初めての大会にしてはよく走れたかなとは思いました」
「やはり国を代表して走る大会に対する、海外の選手の意気込みというか、気合いというか。そういう気持ちの強さっていうのを強く感じたレースでした」
■吉田選手が最初にパラリンピック出場を目指したのは、2016年のリオ大会だった。出場は叶わなかったが、次の東京大会に向けてどんな計画を立てたのだろうか?
「リオに出場ができなくなって、それから東京を目指すにあたってはですね、何かこう、もっと自分の体を強くして競技レベルを高めていくためにはどうしたらいいかっていうことを考えて。トライアスロンに挑戦したりしてですね・・・自転車を漕いだりとか、プールで泳いだりとかしてやってました」
■東京パラリンピック前の2019年は、東京マラソンを皮切りに、ボストン、ベルリン、シカゴ、大分国際と、世界の主要大会に出場し続けた。
「やはり国際大会に出ると、自分より速い選手がいたりするのが当然で。やっぱり『この選手に勝ちたいな』とか『この選手とパラリンピックで戦いたいな』というような気持ちが強くなることが多いですね」
「当時はそうですね・・・でも結局世界で一番早いのはマルセル・フグ選手で。やっぱりみんなマルセル・フグ選手を見てレースしています。ついていくのも精一杯なんですけども。なんとかしてくらいついて一緒に走れたらいいなっていうのはありますね」
■2021年3月、特別に代表選考レースが東京・立川で開催された。陸上自衛隊・立川駐屯地内のおよそ2500mのトラックを16周するレースで、吉田選手はトップに2秒遅れの1時間30分42秒で2位。設定タイムを切れず、惜しくも東京パラ出場は、ならなかった。
「立川駐屯地のレースは、東京パラのマラソンの代表がかかっているので、みんなで先頭交代をしながらタイムをなんとか狙って出しに行こうっていう話を少ししていて。で、実際にこう回して走ろうとはしたんですけども、結構早い段階で3人とか4人の集団になってしまって。集団の数が少なくなったら、やはり1人が引く時間も長くなって、疲れも溜まってくるので、思うようなタイムを出すことができなくて悔しかったです」
■選手としての出場は叶わなかったが、吉田選手は練習スタッフとして東京パラらリンピックに参加することになった。
「T52のクラスに佐藤友祈選手という金メダルを取った選手がいるんですけども、その選手に練習スタッフとして使ってもらって。ナショナルトレーニングセンターで佐藤選手と、佐藤選手が金メダルを取るために練習を一緒にさせてもらいました」
「佐藤選手が活躍して、とても眩しく見えて『次こそはパリパラリンピックに出て、自分もあそこの舞台に立つんだ』という気持ちは、強く再認識できたと思います」
■東京パラリンピックが終わった2021年。3年後のパリ大会に向けて吉田選手が立てた目標は?
「パリに向けての課題は、やはりトップスピードが世界の選手と比べると少し足りないかなっていうところがあって。トップスピードの強化をしていかなきゃなという風には思っていました」
「スプリント能力を鍛えるにあたっては、それこそトラック競技をやって、トラックのスピードで走ることでパワーを上げていくっていう。そういう取り組みでやっています」
「トラック競技の方では、タイムが2年前よりも40秒とか速くなったりとかして。で、この前のドバイのレースでも日本記録を更新するタイムで走ることができたので、かなりスピードはついてきていると思います」
■去年11月の大分国際車いすマラソン、今年3月の東京マラソンではいずれも4位と成績を上げてきている。
「マラソンの方の競技成績が上がっているのは、やはりトラックをやったことはかなり大きいと思っていて。トップスピード、スピードを上げるっていうこともそうなんですけど、世界の選手と、やはりトップの選手と一緒に走るっていう経験値も大きいかなと思います。で、やはり自分も世界の選手には負けてないんだっていうその気持ち。自分の走りに自信を持てるっていう、そういう気持ちになれたというのがかなり大きいかなとは思っています」
■神戸、そしてその先のパリへ。吉田選手に、意気込みを聞いてみた。
「東京パラが終わって以降、自分がトレーニングしてきたことの集大成をしっかりと 見せたいと思っています」
「最後まで諦めずにパラを目指して。で、パラに出られたら当然表彰台、メダルを目指して頑張りたいと思っています」
「世界の選手がわざわざ神戸に来てくれるので、しっかりとおもてなしして、最後は私が勝ちたいと思っています」
■吉田選手に、これからの夢を聞いてみた。
「コロナ以降ですね、メジャーマラソン、全然海外に行って走ってないので。パリが終わったらまたメジャーマラソンを走りに世界に行きたいなっていうのもあるんですけど。トライアスロンで使ったハンドバイク、自転車があるので、そういった自転車のレースの方も今後は出てみたいなとか、挑戦したいなっていうような気持ちもあります」
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