1990年生まれ、埼玉県越谷市出身の33歳。高校時代から競泳選手として活躍し、16歳のときにバセドウ病を患いましたが克服。オリンピックには、2008年の北京大会から3大会連続で出場しました。200mバタフライでは、ロンドン・リオと2大会連続で銅メダルに輝き、2015年の世界選手権では、日本の女子選手で初となる金メダルを獲得。2016年に引退後、同学年で全盲のパラスイマー・木村敬一選手の依頼を受けて2023年からバタフライのフォームコーチに就任。ターンやゴールのタイミングを知らせるタッパーも務め、パリでの金メダルを目指し一緒に戦っています。
■高校時代、競泳選手として1年生・2年生のときにインターハイを連覇するなど目覚ましい活躍をみせた星さん。そんな中、甲状腺ホルモンが過剰に作られ疲れやすくなったりする病「バセドウ病」を発症。しかし病気を克服して16歳で北京オリンピックに出場。その原動力になったものは?
「16歳でやっぱり、ちょうど高校生になって、思春期のタイミングで突然、毎日当たり前に続けていた自分の好きな水泳が2ヶ月半ぐらいできなくなってしまったときに、『水泳が、ずっとできることが当たり前じゃなくて、すごくありがたいことだったんだな』というか『幸せなことなんだな』と16歳ながらに気付くことができたので・・・復帰できたらもうこの気持ちを忘れないように、むしろ大事にしながら頑張ろうと思えてました」
■病気を乗り越えたことは、アスリート人生において大きな財産になった。
「高校3年生の北京オリンピックというのは、自分の目標としてはちょっとまだまだ届かないかなっていうぐらいのところで、高校生になったぐらいのときは考えていたんですけど。どんなにこう練習がきついときでも、練習に行けることが幸せなんだ、ありがたいんだっていう風に思えていたので。やっぱり、そういうちょっと意識の変化っていうのが、オリンピック出場というところの1つ夢が叶ったところかなと思います」
■星さんは去年から全盲のスイマー、木村敬一選手のフォームコーチを引き受けた。
「1年前の年明けにまず『ちょっと相談したいことがあるからご飯でもどう?』という連絡があって、食事に行きまして。で、そんな中で、いや実は唐突に『コーチやってもらえないかな』って言われたんですけど。『 私が?』という感じで・・・」
「中でも『バタフライの泳ぎを、今後ちょっと変えていきたい』ということを言っていて。技術的な指導をちゃんと受けたこともないし、そのためにバタフライを専門にしていた私に、泳ぎのアドバイスをしてほしいっていうことを言われて」
■東京パラリンピックで木村選手は100mバタフライで悲願の金メダルを獲得した。しかし、木村選手はさらにフォームの改善に取り組む。
「フォームを変えるって、今までずっと自分の泳ぎ方でやっていた・・・特に木村君の場合は、感覚でやっていたとうところから、少し変えるだけでも結構身につける、染み込ませるのってすごく時間がかかることで。やっぱりもう年齢も重ねてきて、東京パラで金メダルを取った、というところが1つ、心のゆとりみたいな風にもなってると言っていたので。そこが達成できたからこそ、ちょっと0からというか、もしタイムが1回遅くなってしまってでも、そういう新しいことにチャレンジして、抵抗のより少ない泳ぎ、木村選手がよく健常の選手、オリンピック選手に近い泳ぎっていう風に言ってるんですけど。そういう泳ぎがどこまで自分ができるのか、そこにチャレンジしていきたいと言っていました」
■2023年から木村選手のフォームコーチを務め、ターンやゴールのタイミングを知らせる“タッパー”としても、木村選手とともに戦っている。
「最初、フォーム指導をやってほしい話があったときに、月に1回とか2回とかぐらいでも、泳ぎを見てもらえたら、っていう話だったんですけど、その日にやったことがまた次の日にできるわけでもなく、染み付くにはすごく時間がかかるので。これは練習は行ける時は見に行った方がいいんじゃないかと思って。そこから、練習も行けるときは本当に週5回行ったりとかするようになり・・・」
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「で、最初はタッパーもメニューを作っているコーチともう1人、水泳連盟のスタッフの方が入って、2人でやっていたんですけど。その連名のスタッフは他の選手も見ていたので、なんか私が手伝えた方がいいのかなと思って。木村選手にそれも言ってみたところ『タッピングもやってもらえたらすごく助かる』ということで『入ってもらえるかな』と言ってくれたので」
「最初はゆっくりのペースで、平泳ぎとかそういうウォーミングアップくらいのゆっくりのペースのところから入るようになって、バタフライとかもできるようになっていったという感じです」
■パリパラリンピックに向けて、木村選手の現在の調子は?
「選考会で無事に決めて出場権を得て、その後ちょっと練習の中でも泳ぎがまた定まらないというか、ちょっと不安定になっているような状況で。これは木村選手ともちょうどさっきもやり取りをしていて、ここはちょっと正直に話そうかなと思っていたので。習得できたと思っていた泳ぎが、オフというか1日、2日休みを挟んだりすると、なんかこう、ちょっとした感覚のズレとかで、なかなかうまくいかなかったりして・・・」
「ただ、木村選手自身はすごく元気で。『現在の調子はいかがですか、って聞かれたらなんて言っていい?』と言ったら『絶賛花粉症です、と言っといてください』って言ってました(笑)」
■パラスイマーを指導するようになって、星さんは気づいたことがある。
「例えば、自分が気づかないうちに『ああ、今わたし点字ブロックの上を歩いてしまったな』とか、そういう1つのこととかが、こういうときって木村選手だったらどうするんだろう、って考えたりとか。あと、目が見えないっていうことに対して、その気持ちになって考えるようになったりとか。やっぱり、そういう意識はすごく変わりましたし、接し方とかで言うと、逆に『こういう言い方をしたらすごく失礼なんじゃないか』とか思ったりしていたんですけど。接していく中で、逆に気を使いすぎていたな、と感じることの方が増えましたね」
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