1990年シンガポール生まれ、東京育ちの33歳。2014年、休暇中の事故により脊髄を損傷、車いす生活に。2015年、東京都が主催するスポーツ選手発掘事業に参加して車いすフェンシングに出逢い、2016年から日本代表として活動を始めます。 国内外の大会に出場し、2018年のアジアパラ競技大会では男子フルーレ団体とサーブル団体で銅メダルを獲得しました。講演活動や普及活動にも取り組む一方、IT系企業・株式会社インターネットイニシアティブで社員として働きながら、パリパラリンピック出場を目指しています。
■もともとスポーツが大好きだった笹島選手。2014年、休暇中のスノーボードで事故が起こり脊髄を損傷し車いす生活に。そこから車いすで再びスポーツをやってみようと思ったきっかけは?
「全国大会とかを目指すようなスポーツ選手ではなかったんですけれども、元々スノーボードとかも含めてスポーツ自体は好きだったので。新しく趣味になるようなことをなんかやってみようっていうことで。当時はちょっと仕事メインで、趣味レベルでできることはなんだろうっていうので、ちょっとスポーツに挑戦してみようかなと思いました。本当に趣味の範囲で、ですね。だから土日とか平日の夜にちょっとでもできる健康維持ぐらいの目的でした」
「本当にいろんなスポーツを挑戦してみたんですけれど、車いすバスケであるとか、テニスであるとかもやりましたし、入院中はラグビーもやりましたし。あとは水泳、アーチェリーとか、あとはアイススレッジホッケーとか、冬のスポーツもちょっとやったりとかして。いろいろと趣味としてできるスポーツに出会えるように色々とチャレンジしていました」
■車いすスポーツの中から、笹島選手が車いすフェンシングを選んだ理由は?
「車いすフェンシングと出会ったきっかけが・・・東京都でやっていた選手発掘事業っていうものがありまして。それにたまたま参加したんですね。
なかなか普段できないスポーツも、そういうところには出展していて体験できるって聞いていたので、体験してみたところ、車いすフェンシングってすごいマイナースポーツなので、めちゃめちゃブースが空いてたんですね。で、その中で体験に参加したっていう感じです」
「車いすフェンシングっていう競技の存在もその場所で知りました。車いすフェンシングは、最初は本当に向き合って固定して剣を持つっていうのにすごく驚いたんですけれど。実際に当時相手の選手がいらっしゃって、その人を突いていてみるというのを体験でやらせてもらったんですけど。そしたら競技関係者から『天才!』『逸材!』というふうにめちゃくちゃ褒められたので、すっかり気分が良くなって、ちょっとこの種目やってみようかなって調子に乗ったのを覚えています」
■車いすフェンシングを始めて間もない頃、笹島選手はテレビの取材を受けた際に「パラリンピックで金メダルを目指します!」と宣言した。
「競技始めて3ヶ月目ぐらいで、いきなりテレビの取材を受けさせてもらって。パラリンピックを目指すっていうところじゃなくて、趣味でフェンシングをやろうと思っていたぐらいだったんですけど、やっぱりテレビ局さんなんで『パラリンピック目指しますか?』みたいな質問に対して『金メダルを目指します!』と、その場でテレビで言ってしまったので。もう翌日から自分の名前をで検索したら『パラリンピックを目指す車いすフェンシング選手』に笹島がなってしまったので。自分で逃げ道をふさい塞いでしまったような感じでしたね」
■地道な努力が実り、2016年、笹島選手は日本代表に選ばれる。
「競技を始めて2年後ぐらいに日本代表にいきなりなってしまって。そこでオランダのワールドカップに出場したのが最初の国際大会でした」
「もう競技人口が少なすぎて、あっという間に代表にちょっとやったらなってしまいました。自分の場合は会社に、テレビでなんか『パラリンピックで金メダル目指します』とか宣言してしまった手前、もう国際大会に出る とは思っていたので、一応意気込みはありましたね」
■初めて出場した国際大会は、2017年、オランダで行われた大会だった。
「初めての国際大会ってことで、世界のレベルを知ることになったんですけど。やっぱり外国人のトップ選手ってめちゃめちゃ自分たちよりも練習していて、しかも競技歴も10年とかではなく、幼少期からやってる選手もいたりして。もう惨敗でしたね」
「海外の各代表の人たちのコンディショニングであるとか、練習の仕方とか、全てが新鮮で驚きでしたね」
■2018年、笹島選手はインドネシアのジャカルタで行われたアジアパラ競技大会に出場。男子フルーレ団体とサーブル団体で銅メダル。フルーレ個人でも5位に入った。
「車いすフェンシングの団体は、障がいが軽いクラスの人が2人と、重い人のクラスから1人の合計3人の総当たり、3対3の総当たりになりますね。合計9試合で各5点ずつ累積でやっていて、最終的に45点取った方が勝ちというルールになっています」
「サーブルは、自分は結構苦手な種目だったので、ほぼ座っていただけで、控えにいただけで貢献してないんですけど。フルーレの団体の方は比較的メンバーとしても出場して、自分のおかげっていうのもあれですけれど、力を合わせて銅メダルを取れたかなと思います」
「団体戦でメダルを取ることって自分も初めてだったので。当時、いつも練習してるメンバー、結構個人で戦うこともあるので、お互いライバル視していたところもあったりもするんですけど、団体でメダルを取れたことはすごく嬉しかったですし、印象的ですね」
「試合中の試合経過に合わせて、コーチとかもいるので、誰と誰を変えるとかもあるんですけど。いい選手がいたらその調子でがんばれっていうような感じで励まし合ったりとか。逆に、調子悪く負けちゃっても『次、おれががんばって点取るから』みたいな感じの一体感は、かなりこのインドネシアの大会で生まれたかなと思ってます」
■笹島選手にとって、競技を始めたときからの目標だった東京パラリンピック。しかし、コロナ禍で国際大会が軒並み中止となり、思うようにポイントを稼ぐことができなかった。出場は叶わなかった笹島選手。一時は引退も考えたが、コロナ禍で会社の雇用形態も変わっていった。
「コロナの期間中でかなりリモートワークのシステムができて、練習しながらでもリモートでミーティングであるとか仕事ができるようになったので。そこで出社しての勤務時間をちょっと減らして、トレーニングに取り組みながら空き時間で仕事をするっていうような形態にスライドしていったような感じですね」
「遠征費用は2017年ぐらいまでは自腹で出していたんですけど、ちょっとにっちもさっちも行かないよっていう感じで会社に相談したら、一応パラリンピックを目指して強化指定選手の間はお金出しますよっていう風に会社がおっしゃってくださって。会社に支援いただいているような状況です」
■パリパラリンピックに出場するための条件は?
「世界ランキングもあります。今、世界ランキング、フルーレといって、それぞれ20位から30位ぐらいなんですけれど、そこに関してはもう少しあげないとパリパラリンピックとかは出られないよっていう感じなんで、もう少し。誰かに勝たなくちゃいけないなっていう状況です」
■笹島選手は、講演活動や普及活動にも熱心に取り組んでいる。
「学校の講演活動は、自分がよくやっているのは『夢を持っていろんなチャレンジしてみよう』というテーマで、自分の競技生活であるとか、車いすフェンシングも元々趣味で始めたと申し上げたんですけど、そういった趣味で始めたようなことも、自分の人生の目標的なものにして、チャレンジしてみると色々ないいことがあるよっていう『みんなもがんばろう』っていうような感じのテーマで、小学校とかを中心に講演させてもらっています」
「体験会をやってもらうと、結構自分がやるのは、相手側に車いすに座ってもらって子どもに剣を持たせて『どこでもいいから突いてみて』と言うんですけど。それをディフェンスしてあげると、なかなか突けない、というのは子どもたちに結構、感動してもらえますね。『あれ、守られちゃう』みたいな。『こんなに近いのに突けない』というのは、驚いてくれるところです」
「こういった講演活動が、やっぱり地道ながらすごい大事だと思ってますし、車いすフェンシングに限らずですけど、マイナースポーツって本当に知り合いにどれだけ応援してもらえるかっていうところもあると思うので。できるだけそういった友人関係とか交友関係とかは広げようとは思ってます」
■笹島選手にとって、車いすフェンシングの魅力とは?
「車いすフェンシングの一番の魅力は、やっぱり激しさだと思っています。やっぱり0.1秒以下で点が決まるという、スピードが一番魅力的なところだと思ってます。で、それに付随して、その0.1秒秒とかのスピードで戦術が生まれるっていう奥深さっていうところが、車いすフェンシングの魅力の1つのところかなと思っています」

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