1964年、茨城県生まれ、千葉県出身の59歳。高校時代に事故で脊髄を損傷して車いす生活になりました。リハビリ中に車いすバスケットボールと出逢い、地元の強豪・千葉ホークスに入団。26歳のとき日本代表に選ばれ、パラリンピックには1992年のバルセロナ大会からアトランタ・シドニーと3大会連続で出場しました。2002年からは、オーストラリアに渡り、プロ選手として活躍。2008年に現役を引退し、2010年から社会人女子チーム「カクテル」のヘッドコーチ、2021年から女子日本代表のヘッドコーチも兼任しています。4月17日から大阪で行われるパリパラリンピック世界最終予選で出場権獲得を目指します。
■現役時代、岩野さんはどんなプレーヤーだったのだろうか?
現役選手の時代っていうのはローポインターですので、体自体はあんまり動く範囲が少ない選手で。走るのも速くないですし、ゴール下、背も高い車いすを乗れてたわけではないので、点を取るというよりはどちらかというとリードガード的な、チーム戦略の中心選手っていう形が多かったです」
■岩野さんは2006年、現役でプレーしながらマレーシア代表のヘッドコーチに就任することになった。
「これはたまたまJICAの活動の一環で、現役なんですけどもマレーシアの代表の強化にちょっと関わってくれないかっていうことで行ったのが始まりで。代表の活動を手伝っているうちにヘッドコーチに。ちょうど2006年がフェスピックの最終年だったんですけども。マレーシアが。で、そこでヘッドコーチとして、ちょっとやってくれないかっていう依頼を受けて就任した形です」
「オーストラリアのシーズンが終わった後にマレーシアに行ってみたいな形でした」
■2008年、女子日本代表のアシスタントコーチに就任した岩野さん。このとき現役を引退し、指導者に専念することを決めた。2010年から関西に拠点を置く社会人女子チーム「カクテル」のヘッドコーチに就任。皇后杯8連覇の強豪チームに育て上げた。
「たまたま僕、オーストラリアを引退して日本に戻ってきたときに、就職先が神戸になったので、その関係でチームをちょっと見てほしいな、ということを言われて。で、結果、ヘッドコーチという形になりました」
「ちょっとチームが変わる節目でもあったと思います」
■2021年、東京パラリンピック終了後、岩野さんは女子日本代表の監督に就任。去年の6月、女子日本代表のパリパラリンピック出場がかかっていた世界選手権。グループリーグを4位で通過した日本は、準々決勝で東京パラリンピック銀メダルの中国と対戦したが、52対60で敗れた。世界選手権でパリ行きは決められなかったが、大きな収穫があった。
「世界選手権でやっぱり1番最後の試合で スペインに勝って競り勝って、勝利で終われたというところはすごく大きかったと思っています」
「自分たちが目指しているバスケットが世界でも通用するという手応えはありましたし、チーム力としてまだまだ力はつくなという風には思っていました」
■中国とは、去年の10月に杭州で行われたアジアパラ競技大会で2度対戦。リーグ戦、決勝戦ともに大差で敗れ、準優勝だった。
「ここはやっぱり中国、地元ということもあって、中国の強度に負けたというところが大きかったかなと思っています」
「中国は現在、世界ランキングでも2位の国ですので、常にここをターゲットすることが世界大会で上位進出するカギになると思いますので、そういう意味では大きい存在だと思っています」
「さらに成長したのは柳本もそうですし、ローポインターの財満。このローポインターの選手がいかに長い時間プレーできるかっていうのが、すごくカギとなりますので、この両名がありがたい成長をしてくれた選手ですね」
■いよいよ4月17日から、パリへの最終切符をかけた世界最終予選が大阪で行われる。
「今まで作り上げてきた、走ってオールコートマンツーで、厳しいディフェンスで、相手のオフェンスの時間を削りながら、自分たちはまずは早い展開でレイアップでシュートを決めていきたい。それからその中でもスリーポイントを含めたアウトサイドショット、ここで得点力を上げていきたいなと思っております」
■岩野ヘッドコーチに、最終予選への抱負を聞いてみた。
「厳しい戦いにはもちろんなってくると思いますけれども、今作っている女子の車いすバスケットらしいスピードと、それからロングレンジのショット、それから厳しいディフェンスというところをお見せできるようにがんばりますので、応援よろしくお願いいたします」
■車いすバスケットボール普及のために、岩野さんがやってみたいことは?
「大阪は舞洲の方で、キッズプログラムみたいなのをやっていますので。そういうところに来た子どもたちに声をかけながらカクテルの練習とか・・・カクテルでもジュニアに特化した練習日を設けていますので、そこに来てもらいながらバスケットに触れてもらっています」
「小島も西村もそうですけども、小学生のときにカクテルに見学に来たりして車いすバスケットに触れて、今の代表のところまで来てくれていますので。そういうジュニアの世代を、もう少し積極的に車いすバスケットに関わるような活動ができればなとは思っています」
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