2001年生まれ、埼玉県出身の22歳。小学1年生からバレーボールを始めますが、6年生のときに骨肉腫を発症。右足に人工関節を入れる手術を受けました。2015年から、床に座ってプレーするシッティングバレーボールを始め、中学生のときに早くも女子日本代表入り。チーム最年少ながらセッターとして代表チームを引っ張っていましたが、2021年、水頭症・脳腫瘍を発症して東京パラリンピック出場は断念。ボランティアとして代表チームを支えました。現在は再び女子日本代表に復帰。今年のパリ大会で、初のパラリンピック出場を目指します。
■小学校からバレーを始めた波田選手。6年生のときに右足に人工関節を入れる手術を受け、病と闘った。そんな中、床に腰をつけてプレーする「シッティングバレーボール」に出会う。
「人工関節が入ってると普通にジャンプしたりというのが、できなくって。それならじゃあシッティングバレーボールを始めてみようと」
「私自身は全く知らなくて。入院してるときに父がインターネットで調べて見つけてくれて『こんなスポーツがあるよ』と言ってくれて。そこで知りました」
■紹介を受けて、現在所属する「東京プラネッツ女組」に加入。2015年、波田選手は「日本シッティングバレーボール選手権大会」に出場。中学生ながら、東京プラネッツ女組の9年ぶり、3度目の日本一に貢献した。
「私自身、そんなに多分、チームには貢献してないとは思うんですけども。でも、すごく周りのメンバーに助けてもらって 優勝できたことはすごく嬉しかったです」
■競技を始めてすぐに力をつけ、女子日本代表入りを果たした波田選手。まだ中学生で最年少だった。
「どんな人たちがいるんだろうっていう気持ちで、すごく緊張してました」
「やっぱり上手い人ばっかりなんで・・・初めて行った時は外から試合を見させてもらったんですけど、やっぱりすごく迫力がありました」
■2016年3月、中国・杭州で開催された世界選手権で海外試合を初めて体験。リオ・パラリンピックの出場権もかかった重要な大会だったが、初めて海外勢と戦った感想は?
「やっぱり、まず一番はすごく緊張したっていうのがあって。初めて海外の選手を見て、すごく大きかったですし、パワーのある選手ばっかりで、すごく圧倒されたというのが最初の印象でした」
「いろんな国を見て圧倒されていたんですけど・・・やっぱりイランが私たち日本と互角ですごく争ってた国だったので、 そこの国がすごく印象に残ってるかなと思います」
■リオ・パラリンピックには結局、出場が叶わなかったが、次の東京パラリンピックに向けて見えた課題は?
「やっぱり私自身はその大会からという感じだったんですけど、他のメンバーはもっと前からリオを目指して練習してきていたと思うので・・・ほかの選手とどれぐらいリオへの気持ちに差があったのか、ちょっとわからないんですけど。私自身もやっぱり『初めてのパラリンピックに出てみたい!』というので『勝ちたい』という気持ちは他のメンバーと一緒だったかなと思います」
「私自身はまだまだ練習しなきゃいけないなって改めて思いましたし、負けた国・・・圧倒的に負けてても『やっぱり私はこの国に勝てるぐらいの力をつけていきたいな』と、そのときに思いました」
■東京パラリンピックに向け、練習を重ねていた2021年3月、波田選手は突然、激しい頭痛と吐き気に襲われた。診断の結果は、脳に髄液がたまる「水頭症」。さらに脳腫瘍も見つかった。2021年5月波田選手は大会を前に、東京パラリンピック出場を断念した。
「条件を満たしていないから、ということで、 出場できないっていう判断になりました。健康上の問題があるということと、診断を受けられなかったので・・・私は。それで出られませんでした」
■出場はできないけれど、代表の力になりたいと考えた波田選手。東京パラリンピックにはボランティアで参加した。大会中、波田選手はどんなサポートをしていたのだろうか?
「私は本会場にいて、試合間のコートの消毒、ボールの消毒、片付けとかですかね。そういうのをやってました」
「試合の時に入場してきて『がんばってね』という声をかけたりとか、というぐらいでしたね。私もうれしかったんですけど、コートに入るときとかにハイタッチをするんですけど、その時もコートの外側にいる私に向かってハイタッチをしてくれたりとかして。すごくうれしかったです」
■病気を乗り越え、去年の7月にカザフスタンで行われた大会で代表に復帰。去年の10月に行われたアジアパラ競技大会では、日本代表の旗手も務めた。強豪のイランと中国には敗れたが、韓国・モンゴル・タイには勝って3勝2敗。女子日本代表は銅メダルを獲得した。
「やっぱり中国から3セット2桁取れたっていうのは、すごく成長を感じたので。でもやっぱり勝つためには、まだまだカット、ディセプション、ディグのカットの精度をもっと上げていかなければいけないなと思いました」
■ 4月には中国で、パリ行き最後の切符をかけた世界最終予選が行われる。枠は1枠のみ。優勝するか、パラリンピック出場権を持っていないチームの中でトップに立つことが条件だ。
「最終予選は、今のチームで戦ったことのない国もあって、かなり厳しい状況ではあるんですけれども、やっぱり全員でチーム1つになって、力を合わせて絶対にメダルを取りたいと思いますし、パリの切符も取りたいと思っているので。全力でがんばりたいと思います」
■波田選手に、アスリートとしての将来の夢を聞いてみた。
「いろんな人たちに勇気とか夢とかを与えられるような人になれたらいいなと思いますし、やっぱり私みたいに病気をもってたりとか、障がいをもってる人に元気をあげられるような選手になりたいと思っています」
「あとは、シッティングバレーボールの方では、世界一のセッターを目指してこれからもがんばっていきたいと思います」
「この競技はまだまだ競技人口は少ないんですけれども、このシッティングバレーボールの魅力を、もっと多くの人に伝えていけたらいいなと思っています」
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