観音温泉 るんるんタイム

2020.10.29

【第4回】観音温泉は、なぜ「観音」なのか?

伊豆・奥下田「観音温泉」の魅力をお伝えする「観音温泉るんるんタイム」。

観音温泉・鈴木和江会長に、上柳昌彦アナウンサーがたっぷりとお話を伺っています。

 

観音温泉・鈴木会長と上柳アナウンサー

 

―観音温泉の「観音」って、元々のこの辺りの地名ではないそうですね?

 

「観音温泉」の名は、先代が温泉を掘っていたときに、観音様(の木片)が、

土のなかから出てきたことに由来します。

この観音様は、東京・浅草寺、伝法院の方がお預かり下さいました。

いま、観音温泉の玄関には、その「身代わり観音」を置いて下さいました。

ここで暮らしていると、自分の力だけで生きているのではなくて、

(自然に)生かされているような幸せを感じます。

 

観音温泉の玄関に置かれた観音様にお参りする上柳アナ

 

―伊豆の豊かな自然ゆえに、地震や水害の経験もされたそうですね。

 

昭和53(1978)年の1月でしたか、「伊豆大島近海地震」という大きな地震を経験しました。

「山が舞う」という現象を初めて見たんです。

この辺りは岩の山ですから、土の層が浅くて、あまり根を深く張ることが出来ない木々が、

激しい揺れによって、ぶつかって大きな音を立てるんです。

ちょうど武道場を建設中でしたから、乳飲み子抱えて、その下に隠れた記憶があります。

 

昭和53(1978)年当時、建設中だった武道場は、現在「正運館」となっている。

 

―施設は大丈夫だったんですか?

 

父が言っていた“一枚岩盤”のおかげで、この辺りは大きな被害はありませんでした。

電話も通じなくなっていて、落ち着いたところで山を下りていくと、男衆は誰もいないんです。

ところが、よくのぞいてみると、みんな押し入れに隠れたり、車の下へもぐっているんです。

この時、思いましたよ、「女は弱し、でも母は強し」ってね。

でも改めて、父がこの場所を選ぶにあたって地質をよく研究していたんだなと実感したんです。

 

(観音温泉・鈴木和江会長インタビュー、つづく)

 

伊豆・奥下田の地に湧き出す超軟水・ph9.5の天然温泉「観音温泉」。

草創期には、鉄砲水の被害に見舞われたこともあったそうですが、

山の水の流れを研究した上で、建物を建てていたため、難を逃れたといいます。

 

上柳アナと“同期”、昭和56(1981)年デビューの185系電車・特急「踊り子」、伊豆急行線・蓮台寺~伊豆急下田間

 

<観音温泉へのアクセス>

●鉄道

東京から伊豆急下田まで特急「踊り子」「サフィール踊り子」で2時間半~3時間。

伊豆急下田駅から送迎バスで20分ほど。

●クルマ

東京から、東名・小田原厚木道路・真鶴道路経由、伊豆東海岸ルートで3時間半ほど。

東名・沼津IC、新東名・長泉沼津IC経由、伊豆縦貫道・天城越えルートで約3時間

下田と松崎を結ぶ「松崎街道(静岡県道15号)」から、約4㎞入った山間にある。

 

次回も、鈴木会長に観音温泉の様々なエピソードを伺ってまいります。

どうぞお楽しみに!

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パーソナリティ
  • 上柳 昌彦
    上柳 昌彦
    上柳 昌彦

    上柳 昌彦

    ■生年月日:1957年8月1日
    ■星座:しし座
    ■血液型:B型
    ■出身地:生まれは大阪、以降父の仕事の関係で各地を転々。
    ■最終学歴:立教大学 法学部
    ■趣味:
    ジョギング、ジム、トレッキングの後の一杯。
    鶴瓶さんの番組におじゃましてさりげなく出演すること。
    「ブラタモリ」を観ながら「そうなんだ」「そうなんですよ」と相槌を打つこと。
    商品開発担当者の方に開発秘話を伺うこと。