高田文夫のおもひでコロコロ

2025.08.14

第137回『まだまだ月刊Takada2』

あっどーも。「“走攻守”揃ったキジュです」と言ったらオイルショックなジョニ男が「紹興酒が揃ったキジって何ですか」だと。(「帰ってきたジョニ男くんと文夫クン」より)
カミさんひと言「帰って来なくていいのに・・・・・・・」
皆なの本心だろう。

暑い話はもう沢山。
なかやまきんに君からカズレーザーまで色んな事をするからあわただしい盆休み。
8月のお盆ってのも何だか田舎くさくていやだねぇ・・・・・・・いやッここだけの話。都内はすいてていいや。
山下達郎がつぶやく「きっと君は都内~~~ッ」

 

8月6日の朝日新聞朝刊にドーン。なかなか77歳にもなってこれだけ立派な広告出す人いませんから。

 

編集部の男(川島と名乗る)が天下の新宿紀伊国屋へ行って撮ってきた平積み写真。どうです?このスペース。
「1」(赤版)まで並べてあるこの愛情深さ。「2」(青版)なぞ「サイン本は終了いたしました」のポップ。
皆様も一家に二冊「月刊Takada2」よろしくお願い致します。

 

 

立川生志と林家木久蔵(息子の方)やって来て「8月26日のブーとパーの会、ゲストくれぐれもよろしく」とブー(生志)とパー(木久蔵)が言う。
私も大好きなヨタロー気味の木久蔵「これ父から預かってきました」、嬉しいもんだ。「笑点」のあの木久扇師である。
喜寿のお祝いメッセージである。当人はたしか88?かな。

 

文中にある「江戸前の芸がお好きな先生を尊敬しております」と泣かせる。ありがたい。
そして息子は続ける「今度高級牛丼屋始めたんですよ。週3日の昼(水・木・金)だけやってるんですよ。ふみおちゃんも来てよ。ビバリー終ったら来ればいいから。席あけとくから」だと。
場所は浅草橋。店名は「天角」“てんかく”というらしい。

 

生志はおそるおそる新刊を出し「これできましたので」
『立川生志のニュース落語3』
帯には私の気のきいたコメントが書いてある。

 

出版不況といわれながらも皆な次々と本を出していくのは偉い。嬉しい。

 

 

江戸前な暮しは日々つづき古くからの友人である寄席文字の橘右橘が勘亭流(歌舞伎)の三代目荒井三禮にもなったので江戸の風が吹く浜町で展覧会。
細い路地を歩いて向かうと道路のむこうで洗車かなんかしてたんだろうお姐さんが私に手を振り
「キャ~~~ッ 国際フォーラム行ったのよ!」
「あッ、ありがとう」
「で、誰だっけ?」
ズルッ。我ながらみごとな昭和のコケ方だった。
「となりの店、魚うまい。3時からやってるわよ。なぎら健壱来るから」というのでのぞくと大将も「おや、なぎらのケンちゃん来るのよ、うち」と下町はなぎらがキーワードである。

 

後輩想いの私は始まった「森田芳光展」(8・12~11・30)も気になってレセプションも都合で行けなくなったので代演の花。
亡くなっている人に「森田芳光様」というのも面白いが(周りに目玉マーク)「高田センパイ与利」で出しとけと、志ららに言ったのに
「立川流法人化」で頭がいっぱいいっぱいなのだろう。フツーだった。
レセプションに集まった人はこれでも大喜びだったらしい。皆様行ってあげて下さい。

 

8月11日(山の日)は東銀座まで行きただひたすら生バンドで気持ちよく歌うわがままライブ。
『市馬・タブレット純 二人会 昭和歌謡コンサート』
だいぶお年を召した男女でいっぱい。客筋が私とかぶるのか歩いていると四人の人にバックから「月刊Takada」を出され「これ読みながら長野から来たんんだよ」だと。

 

コロナの前までは大井町でずっとコンサートをやっていた市馬(落語協会・前会長)。6年ぶりのお道楽である。ほとんど聞いている自分が怖い。
お供上手なわたなべが「大井町の頃はクリスマスイブとかでしたよね」とコアな情報。うちの近所のお菓子とタブ。

 

そうだこういうライブも行ったのだ。
『寺尾聰ライブ』 六本木のアビーロード。そうビートルズである。
6時開演。やけに早いなと思いながら「わたなべとビールでも飲んでつないでりゃじき始まるだろう」とドア開けると客席はもうおばさまでいっぱい。ビール飲んだりピザ食べたり。
入って行くと手前の招待席みたいな所に寺尾氏と石倉三郎氏(両先輩だ)。
そして元CXの笠井やらどこかのPやらDやら助監督やら。見るともう寺尾&石倉はベロベロ。
「高田ちゃんも飲んで飲んで」
我が高校時代「エレキブーム」というのがきてCXで「勝ち抜きエレキ合戦」という番組。私のバンドも応募するもすぐ一回戦負け。
主題歌「ひびけ ひびけエレキ~~」を歌うシャープホークス(含・安岡力也)演奏はシャープファイブ(ディックミネの息子さんが居る。強い)
今の「M-1」みたいにすぐに私らは予選落ち。そこへ現れた最強バンド。それが「サベージ」。そう寺尾聰がいるのだ。
すぐにチャンピオン。すぐに「いつまでも いつまでも」でデビュー。圧巻の売れ方。指をくわえて見てるだけ。
「ルビーの指環」の15年も前の話。この「サベージのデビュー(昭41)をGS元年とする」と近田春夫は書いた。

2025年・・・・・・今、ライブハウスステージを見るとワイン等あけながら気持良さそうに歌う寺尾。
「イヨ~~~ッ」なんてうけてる三郎(S21年生)、寺尾(S22年生)、私(S23年生)。
死ぬまでタテ社会はつづく。
30分の休憩。バンドメンバー来る「オレ昔のOX(オックス)のドラム」だの「オレ〇〇のリードギター」、そこへこのライブハウスの社長やってくる。
「ヴィレッジ・シンガーズの林です」
知ってるつーの。“あまいろ~~~の長い髪を~~~” 歌いそうになった。

そうだそうだ。実は几帳面な寺尾。各自の席にカードが置いてあった。
証拠に私ひとりのカード。そして石倉三郎と私。

 

もう書けない。
超話題の「爆笑問題」篇は次号。

 

8月15日

 

高田文夫

 

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。