高田文夫のおもひでコロコロ

2025.06.12

第132回『長嶋茂雄』

とうとう この日がやってくるとは。
「昭和100年」とは「さよなら長嶋」のことだったのか。
6月3日死去。当然「3」の日である。翌4日、長嶋の公式新聞「読売」の一面。全ファンが これをみつめる。ファン冥利というか長嶋冥利に尽きる この紙面作り。

ミスターの記事があって左下。ご存知「編集手帳」。この歴史的な一面のコラムに「高田文夫の長嶋小僧ぶり」が書かれているのだ。読売が言うんだから これはもう日本一の長嶋ファンは私だという事でしょ。

昭和34年6月25日、私の誕生日の天覧さよならホームラン。落涙、、、、、これぞ「国民的行事」だろう。
長嶋茂雄は永久に不滅です。
長嶋氏の事は書き出したら止まらないのでここまでにしときます。

活字つながりで言うと6月12日に発売された「週刊文春」の人気シリーズ「家の履歴書」に私が登場し 4頁に渡って私の貧乏時代の家を語ってます。
77年間生きてきて たった1年半だけ「賃貸生活」というのをした事があったのです。
「神田川」の あの時代、神楽坂の裏手にある「山吹町」に住んでいたのです。
人生で あの1年半だけが貧乏だったな。俗に言う新婚時代。
先日 気がついたら50年の金婚式をもう2年も過ぎていた。52年。
「結婚も高さではなく長さである」、ン?

文句なしに この二人、高校時代不良。
私が高校時代から憧れる寺尾聰先輩。
「勝ち抜きエレキ合戦」出てて、寺尾先輩の「サベージ」が ぶっちぎりだったものな。

お客さんがよく入ってるらしい「父と僕の終らない歌」。ここにも仲のいい石倉三郎が出ている。
石倉にきいた「一番強いのは誰? サブちゃんも昔強かったもんネ。力也さんは?」「力也もまぁまぁだけど」 
このふたり深川の祭では いつもみこしをかついでた。
「今一番強いのは松本明子の旦那だな」 クゥ~~~~~~ッ。
寺尾さんに会った時もきいてみた。
「強かったの? 力也も まぁまぁだけど そのウラに居るフランツ・フリーデル!あいつは強かった」
出たフランツ・フリーデル。私がガキの頃「ウェスタンカーニバル」だとか「ザ・ヒットパレード」なんかにも出ていたっけ。
それ知ってる人は相当通だネ。さすが寺尾先輩。「西部警察」。

6月5日 ロケット団定例会議(亀戸)
ゲストの私、「長嶋物語」で超爆笑とってやった。
私が高座降りると客は半分以上帰っちゃった。
ざまーみろ。
打ちあげ一度も誘わねぇからこんな目にあうんだ。
いつもの連れ(わたなべ)と出番終ったらそのまま外へ。わびしいな、知らない町で店さがすの。
ロケットの悪口を肴に呑み倒す。
終って楽屋を訪ねてきたらしい「笑点」Pやら絵描きながさわら大あわて「エッ、帰っちゃったの? オレ夕飯どうすりゃいいんだ」だと。
後日この騒動の中「米」タップリ送ってやる。何でメシ喰わせなきゃいけないんだ?
6月8日 立川吉笑真打昇進披露宴
帝国ホテル。600人が集る立派なパーティー。師匠の談笑も嬉しそうでとても良かった。
右が師の談笑、左に立つのが吉笑(新作のアイディアが秀逸)。
開宴から3時間が経ってシメのあいさつと三本締めを任される私。
相変らずふざけたことを言っている私。私の右後に志の輔、志らく。

日テレ関係者数人から耳打ちされる。
「今日の笑点、急遽山田雅人の“長嶋物語”に差しかえました」 
そりゃあ、良かった。

何故か ながさわが勝手に作った私の缶バッヂ。

あとお知らせとしとくのは「熱海五郎一座」只今絶賛上演中だ。27日まで。

6月9日 タブレット純コンサート 
浅草公会堂。ギュウギュウで客が入りきらない。
私がやっと席につくと あざとく見つけポカスカジャンがやってきて「俺達タブちゃんとポカスカ“ジュン”というのをやってますんで」
隣の席にはマニアすぎる泉麻人。あと様々スタッフやらきて、「さぁ始る」と思ったら「笑点」キトウPが得意そうに「センセー、市馬師匠をお連れしました」だと。
シジュホーショーをもらった話、面白かった。何で市馬がと思ったら、タブレットが後半でなんと「俵星玄蕃(たわらぼしげんば)」。こりゃびっくりだ。
途中ドラムソロもみせ指導にあたったというアリスのキンちゃん矢沢が登場。お腹いっぱいのSHOW。

ライブの日が発売日とかで新刊渡される「青春歌謡聖地純礼」(タブレット純)

こちらは中山秀征の「気くばりのススメ」  
放送の時、喋っていた同期の作家見習い赤松少年の大出世ぶりが波紋。
ヨーロッパで芸術家として大成。メシを喰わせてたのが出世すると本当に嬉しいだろう。
ヒデも談笑も。お祝いは半返しだが恩返しは3倍返しとも言うからな。
オレなんか誰も何も返しちゃくんないわ。

いい本を二冊
三波伸介の弟子だったホームランたにしが書いた本。相方だった勘太郎(小野ヤスシの弟子だった)も先年亡くし色んな想いをこめて書き残した本。
私とは本当に古い知り合い。ホームランも寄席では渋い人気だったけどネ。
「最後の芸人の女房  人間国宝 一龍斎貞水を支えたおかみさんの一代記」
ラジオで伯山も絶賛してたが これは面白い。なんせ貞水先生あんなおだやかなツルツルの頭してて一切家に金を入れなかった。
おかみさんが本牧亭に出入りしてーー。湯島天神男坂下の「酒席 太郎」の物語。志ん生、談志とのエピソードもいい。

 

6月13日

 

高田文夫

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筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。