高田文夫のおもひでコロコロ

2025.03.31

第126回『桜・東京すきまツリー』

私の「開花宣言」と共に全国で一斉に満開。桜は いい。
「桜と富士山とカレーライスが好きなのを日本人と呼ぶ」
<散る桜 残る桜も 散る桜>
私の花びらは一体いつ頃散るんだろう。
事故とか他殺は いやだな。
やっぱりボケ老人ならぬ つっこみ老人となって いちいちつっこんで息たえるってのが理想だな。

 

待ちに待ったMLB大谷の開幕戦。
日本中の目は東京ドームにTVに。
3月18日(火)の夕方6時30分。
私の身体は なんとなんとスカイツリーの真下。
日本一盛り上がっている花街(かがい)である向島の粋な料亭の中。
以前以前から約束していた「明治座」の社長さんやら おえらいさんやらと会食、宴会、芸者衆が「あ~こりゃこりゃ」の一夜。
向島には現在芸者さんが90名、半玉さんが7名。右肩上がりの業界なのだ。
この街は かつて園歌師匠、滝田ゆう、小川宏が子供の頃同級生だったという文化度の高い町。
今は近所に住む さまぁーずの三村が人気者。「三村かよ」の三村である。
芸者衆に手を引かれ「センセ―、廊下に出て いいもの見ましょ。この日だけの為にセンセ―に用意しました」と襖(ふすま)をあけて
「東京すきまツリーでございます」おみごと‼
「一生に一度この日だけMLBの為に灯りも てっぺんが赤と青のメジャー仕様になっております」
粋すぎるお膳立て。「すきまツリー」は みごと。
手前に立って見る私の視界からビルと家の せまいせまいスキマ、そこにピタッとおさまった「東京すきまツリー」である。
奇跡の一枚。

 

3月23日は浅草公会堂にて「ナイツ ザ ラジオショー」の「ナイツ ザ LIVEショー」夜の部。
昼の部はネタ大行進だったらしく夜は中川家らも招いてのトーク中心。
客席の客がおしなべて30代40代と若いのでラジオショーにも まだまだ明日がある。うらやましいくらい。
私が出た「寄席山藤亭」やら「ロケット団定例会議」なんかの寄席は白髪、白髪、ハゲ、白髪、ハゲ、ヅラだもの。

向島のお座敷でも女将と話が盛り上がったのが「高田センセ―のお友達みなさん来てくれるのよ。ホラッ勘三郎さんとか橘右之吉さん(寄席文字)とか文扇堂さん(私の日芸の同級生。浅草の老舗扇子屋主人)。右之さんしか残ってないけどネ」
「センセ―も残らなきゃダメよ」と おきれいな芸者さんが太ももをギュッ。
ナイツ見たあと いつもの“わたなべ”と浅草花川戸で一杯やると その店内の大きな板に恰好いい寄席文字で店名が。
右下を見ると右之吉の文字と落かん。ここにも…。

次の日の日曜の昼 散歩番組を見てたら本仮屋ユイカらが右之吉の仕事場を訪ね墨痕(ぼっこん)あざやかに名前を書いてもらってた。
不思議なものだ。こんなに一人の人物のことが続くことってある?

 

本年度のアカデミー賞「ANORA アノーラ」を見に日比谷シャンテへ。
意思の強い娼婦である。
「べらぼう」の瀬川にも似る。
この監督が大の梶芽衣子ファンで主演の女の子に ひたすら「さそり」を見せたとか。
だから今度「ビバリー」に梶さんが来てくれる。
この人がまた意思の強い江戸っ子ときてるから手ごわい。
梶さんと 加賀まりこさんと うちの姉がまったく性分がよく似てるんだわ。

 

「タモリ倶楽部」「ボキャブラ天国」「アド街」「イカ天」「秘密のケンミンSHOW」などの制作「ハウフルス」代表取締役演出家というスーパーな働きぶり菅原正豊。
テレ屋なのでマスコミには出なかったが もう年なのか やっと本を出した。
景山民夫の1年先輩で仲間、作るものすべてに東京のいいにおいがする。
下町が粋なら こちら山の手小僧はスマートで洒脱なのである。

 

昔TVのことを一所懸命考えていたのが菅原氏なら 今考えているのは太田光だろう。
最終回スペシャルが面白い。私がいっぱい出て来るから もっと面白い。「週刊文春WOMAN」
写真を見ると頭の中は談志たけし私のようだ。あゝ田中も入っていた。

 

そして太田も大好きなサザンオールスターズ。
ニューアルバム「THANK YOU SO MUCH」
「新宿野戦病院」の主題歌「恋のブギウギナイト」から「夢の宇宙旅行」「神様からの贈り物」
まあゴキゲンなラインナップ。
放送100年!!

タブレット純なら舞台で
「ここで一曲サザンをお聞き下さい。森雄二とサザンクロスで“足手まとい”です!」
“足手まといだから……”と歌う。もうひとつのサザンである。

 

 

3月31日

 

 

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。