高田文夫のおもひでコロコロ

2025.03.11

第124回『つば九郎~~~ッ』

いやぁすまん。つば九郎の喪に服していたら、すっかりこれを書くのを忘れてた。

ポンポンとテンポ良く参ります。
2月20日は東京会館で立派な会。
600人ぐらい集まり芸界はほとんど来ていた。
木久扇、桂文枝(三枝)、小遊三から私のテーブルは米助、昇太、私、志の輔、談春ら。
下の席、末端のテーブルを見たら伯山、太福、小痴楽ら身分の低い連中。アハハ。

赤とんぼ(?)この日配られた手ぬぐいはなんと片岡鶴太郎画伯の絵。

お祝いもあれば追悼もある。
一年中、祝儀不祝儀のくり返しだ。

2月25日は「寄席山藤亭」新宿紀伊國屋ホール

左は山藤章二画伯を追悼する私と談春。
私が最もお世話になった方だ。
山藤先生をお題に大放談。
左から談春、とび入りの松村、小遊三、米助(新婚)、松尾貴史、私。

一面を飾った方々。


つば九郎が居なくなると上島竜兵の“くるりんぱ”も、もう見られなくなる。

御法川法男(みのりかわのりお)を「みのもんた」と軽くていい名前にしたのは野末陳平。
どこも報じていなかった。

他にもあちこちのぞいて 小倉久寛の古稀ライブ。「タイトルマッチ」(新宿サザンシアター)三宅裕司との5本コント。
73歳VS70歳だよ。偉い。
この日のゲストは戸田恵子。コントではなく小倉との歌だったのは少し残念。
一応書いとくと小倉はえらい低い声でうまく歌う。あのフォルムで~である。
(3月1日)

「ビバリー」のゲストには玉川太福やらU字工事、トム・ブラウン、嘉門タツオら。

3月7日は浅草東洋館へ行ってビートたけし脚本だと言う「路地裏のゲロ」。
お宮の松とアル北郷がしゃべり倒す90分。
どうせ客も居ないだろうと松村と“ひとり助さん格さん”のわたなべを連れて行く。なんと満員。
ほとんどスナックの姐ちゃんと男は「受け子」界隈。

芝居終ってすぐお宮がたけしさんに電話したらしい。
「タ、タ、タカダ先生が来てくれました」に、
たけし「高田さん、笑ってた?」
「一度も。その代り松村さんが二回笑ってました」
「だったら まあ いいか」だと。

客席に来ていた寺島進は三回笑ってた。

「R‐1」のチャンピオン友田オレは歌がうまいからいいなァ。
歌がうまいというのは究極の芸だネ。
歌謡界も大事に育てた方がいい。

3月10日いい天気。晴れ男の私。
さんぽ会。
LFを出て秋葉原からの神田へ流れる。
秋葉の高架下とかおシャレな手作りの店がいっぱい。
思わず手作り(SPINGLE)の春の新作スニーカーを買ってしまった。
松村も何だか分らない靴を買っていた。

下町名物ペリカンの食パンをみつけ5人揃って買う。
最終ゴール神保町の食堂へ。
主人曰く「このあいだクドカンさん一人で来てキョロキョロしてました」。

こんなあきれた写真集と こんなちゃんとした本が出てます。

東は好楽が裸になって「世にも幸せな落語家の毎日」(集英社)
西はちゃんとしてて「桂米朝が遺したもの」(淡交社)

<PS>
ナイツ塙は大怪我を乗り越えて帰って来ました。
「福田和子」のような顔になってました。
当人は「ショーンKだ」と言い張ってます。

<またPS>
4月29日(祝)18時の「オール日芸寄席」まだチケットあるそうです。是非。
有楽町よみうりホール
出演は私、志らく、白鳥、一之輔、テツandトモ

 

 

3月14日

 

 

高田文夫

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筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。