高田文夫のおもひでコロコロ

2024.10.21

第110回『西田敏行』

  1. この世から楽しい人が居なくなると寂しいものだ。
    西田敏行は生前言っていた。
    「私も幸せな死に方を なんとか模索してます。それは生ききることだと思う。」
    生ききったのだと思いたい。

 

悲劇・喜劇・むずかしい芝居・歌・とぼけたトーク。
どんなジャンルでも達者だった。「芸」の神様に愛された人だった。

作品数が多すぎて選びようがないが西田の「芸道もの」が好きだった。
ソウルが流れる「ゲロッパ」
落語が流れる「タイガー&ドラゴン」
血が流れる「アウトレイジ・ビヨンド」
そして この一曲「もしもピアノが弾けたなら」

不思議なBEST3だ。
「タイガー&ドラゴン」では林屋亭どん兵衛師匠として息子に阿部サダヲ、弟子に星野源、昇太とズラリ。脚本は宮藤官九郎だ。
私は たった一人の弟子(荒川良々)しかいない高田亭馬場彦。
ライバルの噺家だ。

だけど結局、長瀬クンと岡田クンなんだよな――。

 

10月19日 三宅裕司のSET見に行ったら、こんなチラシが入っていた。
伊東四朗さんや私も喋ってますので よろしく(11月28日発売・扶桑社)。

今回のSETは なつかしいカバーポップスだらけで上機嫌。
「ルイジアナママ」やら「コニーフランシス」「坂本九」
私の隣の席に浅野ゆう子さん。互いに上機嫌。つい鼻歌。

 

そうそう。この笑顔を本屋でみつけたので嬉しくてすぐ買う。
ひとを明るくする人はいいですネ。

私は20代の頃 坂本九さんによく可愛がってもらった。NHKテレビで「こども面白館」という番組をやっていて ずっと台本を書いていた。
「高田ちゃんの台本は しゃべりやすいからいいネ。しゃべり手の気持ちがよく分かってるよ」なんて言われて嬉しかった。しかし あんな別れ方をするなんて……。
永六輔(本業は ほとんどお坊さん)は言っていた。
「どんな死に方でも事故であろうと人間の寿命なんだよ。寿という字が入ってるだろ。死んだ時が寿命。90才でも40才でも3才でも亡くなった時が寿命。3才でも寿命なんだ。その人が持って生まれた命なんだ。だから亡くなれば寿(ことぶき)。」

西田敏行も生ききったから76で寿命。
同い年の私は天国からブーメランだから もう少し……オレの寿はどっちだ――ッ。

 

若い連中が色々かまってくれるので楽しい。
10月22日(火)は「座・高円寺」にて「志の八・志の春の会」にゲスト出演。
19:00から。よろしく。

 

先週のタブレット純ゲスト出演が もう記事になっている(神奈川新聞)。

たしか「ビバリー」にも11月にタブレット純が来る予定。

 

「フリースタイル」という なかなか手に入らない雑誌に和田尚久クンという若い作家が いきなり私のこと、私との想い出など書いて送ってきた。見開き2P。題は「夏シャツの高田文夫」だとさ。

 

読んでて成程と勉強になったところが――。

クゥ~~ッ 素晴らしい分析だっ……て これで あってるのか?
人には色んな見方、見せ方がある。

 

 

10月21日 

 

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。