高田文夫のおもひでコロコロ

2024.10.17

第109回『馬鹿も利口も 命はひとつ』

山藤先生が亡くなったと思ったら今度は西田敏行氏だとさ。76。私と同い年。
私もそろそろ身辺整理でもって・・・・・・・訳にもいかない性格なんだな、これが。

それにしてももう誰も居なくなっちゃったネ。
高倉健の本を読んでいたら もっともだなと思う言葉が――。
< 馬鹿も利口も 命はひとつ  >
その通り。凄い。一度あっちへ行って帰ってきた男だから余計 言葉の重さが分る。
大切にしよう  命。

まわりの皆に「想い出作り」をいっぱいしてやろうと思って各所へ。
落ち着きの無い76才が居ても 世の中にはそんなに迷惑はかからない。

『いち・にの・さんぽ会』
選び抜かれた5人による東京右側さんぽ。高野リーダー「今回はひとつ派手にパーッと吉原へ」と古典落語のようなことをぬかす(大塚のガラス屋である)。

歌舞伎やら浮世絵で見る吉原大門。現在の姿はこんなに細くなっちゃっている。
よく見ると「よし原大門」とある。松村をつれていると何やら『錦の袈裟(けさ)』のよう(与太郎を女郎買いにつれて行く噺)。

右側はその翌日帰る男たちも必ず大門から吉原を未練たらしく見返ったという柳の木。もう何代目になるのか。
「見返り柳」である。メンバーのババちゃん、わたなべは口を揃えて「えっ?あがらないんですか?」だと。そんな事してみろ「大門で止められる」 (by明烏/あけがらす)

その合い間をぬって色んなライブへも。

『古舘と客人』 (東京駅近くコットンクラブ)
一之輔が「古舘さんとトークするの初めてなのでセンセー見てて下さい」と言うのでみる。
父兄会みたいなものか。

『浅草キッド復活』 (東洋館)
ただじゃれあう博士と玉袋。
同じように心配で見に来ていた清水ミチコと「心配して損したわ‼」
何やら3年後に漫才やるとか。どうすんだ「第二期高田笑学校」。

『ピーターパンなんとか』(東京国際フォーラム・ホールC)
松本明子、イジリー岡田も出るというが・・・・・・・ジャニーズ?(フォーユー?)で客席は女の子でいっぱい。男私ひとり。ほぼ不審者。

『新・孤独のグルメ』
松重監督。新シリーズ第1作は太田光ゲスト。さすが演劇青年。日芸の勢いとまらず真田広之、YOASOBIときて キングオブコントも日芸出のラブレターズ。
みんな私の教えを守ってみごとにクリエイティブの道、芸の道を極めている。
めざすは只一人、ケーシー高峰である。

と、そこへ『新・孤独のグルメ』第2回のゲスト  マキタスポーツよりまたもやお化けのような原木舞茸(げんぼくまいたけ)が届く。笑う。
山梨県は丹波山村原木マイタケである。
マキタも昨年からの二拠点生活にもなじんだようである。
500人の寒村  有名人は目立って仕方がないと書いてあった。
あいた時間はタクシーの運転手(by孤独のグルメ)でもやってるのかしらん。

『箱根・芦ノ湖』
「たまには男三人(親子)で旅行でもしてきたら」とカミさんが言って とってくれたチケット持って箱根へ。
二日間ドシャ降り。「かえってその方がいい」と喜ぶ48才(スポーツ紙関係)と42才(食事関係)。
この二人は小さい頃から本当によく食べて 当時は「淀橋の若貴」と呼ばれた兄弟である。
ホテルにつくなり二人して「風呂」「寝る」「食事」「風呂」「寝る」、朝「食事」「食事」「風呂」
口をそろえて「あ~~ゝ 人生で一番幸せだなぁ」だと。
考えてみりゃ「男三人の旅行」は人生初である。うえちゃんのあさぼらけバッグと共に。
この話をきいた松村
「なんで僕呼んでくれなかったんですか」と真顔。松村は時々うちの子だと勘違いすることがある。

『タブレット純 音楽の黄金時代』
10月12日の生放送(18:00~20:00)で400回記念。私がSPゲストのラジオ日本。(200回も300回も私ゲスト) 
私がプレゼントした花と共に微笑みがこぼれるタブレット純。
12月には暗い自叙伝が出る。

皆ないい「想い出作り」だ。

お祝いご祝儀だからと私がかけたレコードは縁起物、噺家さんが歌う曲特集。

1.笑点音頭 立川談志
2.マドモアゼル 三遊亭小円遊
3.うぐいすだにミュージックホール 笑福亭鶴光
4.嘆きのボイン 月亭可朝
5.バチバチ 林家三平
6.余談ですけど愛してる 林家ペー

「余談ですけど」は私の作詞。

『ナイツ独演会』
(副題)<でも懐には分厚いお札が入っていた>
浅草公会堂にてツアースタート。
「みごと‼」としか言いようのない素晴らしさ。あの多忙の中 よくこれだけのネタを作ったと思って 頭があがる(ン?さがるか) 
並びに座った塙の兄も爆笑していた。二人真赤なジャケットで「ねづっちのです」と歌い踊った時は笑いすぎて死にそうになった。

夕方まであんなにインバウンドでいっぱいの人だった浅草。ライブ終って外へ出ると誰も居ない。お供上手のわたなべと路地から路地へ。以前も行った店。
寄贈された額みると寄席文字で「文扇堂」<筆・橘右之吉>とあるので嬉しくなって「オレ亡くなった文扇堂の主人と学生時代からの友人だよ」「そんなの知ってますよ。私はいま継いでやってる息子と小学校から同じクラスなんすよ」
これだからインバウンドの居なくなった浅草はいい。
「右之吉は勘三郎丈とも仲良かったしな」
「うちは右之さん所にお願いしておトリさまの熊手買ってるんですよ」
江戸っ子はいいネ。話が早い。

 

10月17日

 

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。